真田裕貴 単語

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サナダヒロキ

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真田裕貴さなだ ひろき、1984年2月7日-)とは、大阪府出身の元プロ野球選手投手)である。

概要

姫路工業高等学校時代は、3年次にエースで4番として活躍。甲子園では初戦で近藤一樹からホームランを放つも敗退した。

2001年ドラフト会議では、寺原隼人の外れ1位読売ジャイアンツに入団。背番号43

巨人時代

2002年は後半から一軍ローテーションに定着し、6勝3敗で優勝に貢献。高卒1年での6勝以上は堀内恒夫以来36年ぶりだった。


2003年リリーフに回るが、7月下旬に右肩痛で登録抹消されて以降、この年の登板はなかった。


2005年セ・パ交流戦で2年ぶりの勝利を挙げるが、球速135km/hに落ちた。


2006年は再びリリーフとして登板し、球速142km/hに戻るが、キレや制球は戻らなかった。

横浜時代

2008年鶴岡一成との交換トレードで横浜ベイスターズに移籍。背番号57先発では結果が残せなかったが、フォー改造が成功し、148km/hの速球を投げれるようになった。オフ背番号30に変更。


2009年は開幕から中継ぎとして活躍し、自己最多の68試合に登板した


2010年中継ぎとして62試合に登板8月1日東京ヤクルトスワローズ戦では、1球で勝利した。

第2次巨人時代

2011年オフ、突如ポスティングシステムでのMLB挑戦を表明。しかし当然のように入札はく、そのまま自由契約となった。今後はトライアウトでのアメリカ行きをす…はずが、3月に入って急転直下、古巣の読売ジャイアンツ契約して入団した。トレード相手の鶴岡FA横浜に移籍しており、トレード選手同士が出戻りする格好となった。

2012年巨人復帰後初登板で1アウトも取れずに3失点。その後一軍での登板く、11月4日戦力外通告を受けた。

台湾時代

2013年台湾兄弟エレファンツに入団。開幕からセットアッパーとして起用され、元日ハムブラッドトーマスと共に勝利の方程式を結成。67試合に投げ防御率2.24、ホールド数はCPBL記録となる32ホールドで最優秀中継ぎを獲得した。

ヤクルト時代

2013年11月29日ヤクルトへの入団が発表された。

2014年は12試合に登板したが、14失点と打ち込まれ、10月1日戦力外通告を受けた。

福島時代

その後福島ホープスに選手兼任コーチとして入団した。背番号は7。

2016年には福井ミラクルエレファンツに選手兼任コーチとして移籍するも、同年オフに現役を引退した。

引退後

2017年からは古巣・巨人打撃投手2018年からはスコアラーに就任した。

巨人入団当時のキャッチフレーズは、「真田幸村の末裔」だった。

成績

通算投手成績

通算:13年 登板 先発 完投 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 失点 自責点 防御率
NPB:12年 312 22 1 0 24 28 3 41 .471 437.1 123 240 232 215 4.42
CPBL:1年 67 0 0 0 3 2 0 32 .600 72.1 15 47 24 18 2.24

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