堀内恒夫 単語

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堀内恒夫とは、日本の元プロ野球選手自民党参議院議員である。

概要

現役時代

日本プロ野球史上初めてとなるドラフト会議読売ジャイアンツ1位名され入団。一年から沢村賞、新人王などのタイトルを獲得する。その後巨人優勝が続くV9時代が到来、堀内はそのエース投手として活躍し、1972年には26勝を記録シーズンMVPを獲得。1980年200勝を達成。2014年現在巨人生え抜き投手では最後の200勝投手である。
1979年頃から勝ちを伸ばせなくなり、1983年に現役を引退した。

大きく曲がるドロップカーブと速球が持ち味だった。また打力も高く、通算21本塁打記録し、さらに三打席連続本塁打記録したことがある。また三打席連続本塁打を達成した試合でノーヒットノーラン記録している。

悪太郎」のニックネームで有名。当時の監督コーチや寮長などはかなり手を焼いていたようだ。王貞治引退試合では打席に立った王に対し空気を読まずに剛速球を投げ込み、さらにマウンドに立つ王の投げた球を容赦なくホームランにするなど、なんかもうすごい人であった。

現役引退後

引退後は巨人コーチを務めたり解説者になったりを繰り返したり、球場へ試合観戦へ訪れた皇太子徳仁王(当時)の隣で野球解説をしたりなどしたが、2004年巨人監督に就任。史上最強打線と呼ばれる打撃プロ野球記録チーム259本塁打記録したが、反面投手は不調が続き、2005年チーム8年ぶりのBクラスに沈むなど結果を残せず、2005年監督を辞任した。一部力選手と堀内との不仲が報道されることもあったが、矢野謙次内海哲也ら若手選手の台頭などの成果も残していた。

2010年には参議院選挙自民党補者として出。惜しくも当選はならなかったが、その後現職議員の死去による繰り上げ当選により、2013年から2016年まで自民党参議院議員として活動した。

2017年5月からAmebaブログexitを開設し、その日行われた巨人の試合について
独自の解説をほぼ毎日更新している。
ブログの内容はかなり丁寧でコメントに寄せられたユーザーからの疑問や質問を
ピックアップし、ある時は解説者線、ある時は首線で摯に答えている。
文面も「悪太郎」のイメージはまったくなく、巨人の選手は基本呼び捨てだが
他球団の選手には「くん」付けだったり、質問に答える時も話しかけるような感じだったりと
巨人(記事によく堀内氏のが登場する)が大好きなおじいちゃんブログに近いので
巨人ファンだけでなく、気になった方は一度ご覧になってみることをオススメする。
(中にはあの「10.8決戦」の裏話が詳細に書かれている記事があったり、いろいろと面い。)

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