「白起」(はく・き ? ~ BC257)とは、中国戦国時代末期の秦に仕えた強靭!無敵!最強!な常勝将軍たる軍事の大天才。その功績は、司馬遷をして
周・召・呂望の功といえどもこれよりも益さず。
(かの周公旦・召公・太公望呂尚の功績も白起には及ばない)
と言われ、秦軍を率いて各地で粉砕!玉砕!大喝采!して常勝将軍の名を轟かせる連戦連勝ぶりに定評があると同時に、将帥として戦争における敵兵を殺した人数の記録保持者でもある秦の「白い悪魔」。(※実際の秦軍は黒備え)
名は「公孫起」とも。
三國志11 | 統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 |
白起 | 100 | 88 | 70 | 3 | 39 | 闘神 | S | A | S | S | B | C |
秦国の郿県に生まれ、若い頃は用兵に定評があり、左庶長として秦昭襄王に仕えた後、宰相の魏冉(魏ゼン)の推挙を受けて将軍となり、約35年間戦場を駆け巡った。
以下、「史記」に記されている白起の戦果である。
戦果 | 処刑者数 |
韓・魏の軍を伊闕にて攻略し、将軍・公孫喜を擒らえて五城を落す。 | 敗残兵24万人を斬首 |
国尉に昇進し、黄河を渡って韓の安邑から乾河に至る土地を獲る。 | |
大造良に昇進し、魏の六十一の城を陥落させる。 | |
司馬錯とともに垣城を攻めて陥落させる。 | |
趙を攻めて光狼城を攻略。 | |
楚を攻めて郢を陥落させ、夷陵を焼いて東の方竟陵まで至る。 | |
武安君に封じられた後、楚を攻略して巫郡や黔中を平定。 | |
魏の華陽を陥とし、芒卯を敗走させて三晋(韓・魏・趙)の将を捕らえる。 | 敗残兵13万人を斬首 |
趙の将・賈偃と戦って破る。 | 敗残兵2万人を河中に沈める |
韓の陘城を攻めて城五つを陥とす。 | 敗残兵5万人を斬首 |
韓の南陽を攻めて太行山の羊腸の道を遮断する。 | |
廉頗と交代した趙括大先生(笑)を長平の戦いにて釣り野伏せで破る。 | 敗残兵40~45万人を生き埋め |
謀略を用いず、基本的に正面から敵の弱い部分をついて打ち破るスタイルで、多くの城(城塞都市)を破る桁外れの功績をあげて秦の覇業の礎に貢献した白起だが、100万人近くの敗残兵を斬首・溺死・生き埋めにした残虐行為手当の背景には、当時の秦が商鞅による厳格な法治国家として昇進するには「首級をあげる」ことを鉄則としていた事があり、長平の戦い後の生き埋めを実行をする際は、少年兵240人は趙に帰国させている(「秦の黒兵には白い悪魔がいる」事を国内に流布させる目的もあったかもしれないが)。
特に、 机上の空論に定評のある生兵法の大家「趙括」を破った長平の戦いでは、白起を推挙した魏冉(魏ゼン)から范雎が宰相となっていた為、趙の攻略は王齕が担当していたが、藺相如との刎頚の友のエピソードで知られる老将「廉頗」の篭城策に手をこまねいていた際に、范雎の策によって廉頗から趙括に将軍を交代させ、無駄に自信満々な趙括が前線についた時には、
げえ!白起
と、白起が秦の将軍として王齕と交代しているマジックが展開され、趙括の生兵法を破って兵糧攻めの後に趙の兵士40~45万が降伏したの後は、養うだけの兵糧が確保できない事と、それにより反乱を起こす可能性があることを理由に生き埋めにした話は、三国時代でも首級は10倍申告が慣例であった事等から、白髪三千丈な数字と思われていたが、1995年5月の長平の古戦場発掘調査にて、大量の人骨が発見されている。
しかし、勝ち続けた事が逆に白起の命運を縮める事になった。
功績の大きさが逆に、宰相の范雎の警戒を生み、長平の戦いの大敗北で国力を大幅に落した趙の使者として范雎に面会した説客の蘇代が、
いまもし趙が滅亡し、秦王が帝王となられれば、武安君(白起)は三公に叙されるでしょう。
そのときあなたはその(白起の)風下に立つのをよしとするでしょうか?
と説き、さらに、
武安君(白起)には漢・趙の割き取るだけの功績に止め、それ以上の戦功を立てさせないのが最良の道と考えます
との言を受けた范雎は、趙攻略の準備をしていた白起を押しとどめて、趙と和議を結び、その翌年に王陵に趙攻略軍を指揮させた。
※蘇代と范雎の話を聞いた白起は、范雎と不和になったが、この時は、病を発して従軍できなかったとも記されている。
※またこの時、趙へ人質として送られていた嬴子楚と嬴政(後の始皇帝)は、命を奪われてんとした所を呂不韋に助けられている。
邯鄲を攻めた王陵は五人の将校を失い、秦からの援軍をうけても遅々として攻略が進まなかった為、昭襄王は病の癒えた白起に交代させようとしたが、范雎の行動に不信感を抱いていた白起は
邯鄲は険阻の地で攻めるに難く、諸侯の救援が日に日に到着しています。
諸将らは久しく秦を怨んでおり、秦は遠く山河を越えて他国の都を屠ろうと言うのですから、趙人が内を守り、諸侯が外から攻めれば、我が軍は必敗するでしょう。
これはどうあっても覆せません。
と言い、病を理由に引き篭もった。
仕方なく王陵に代えて王齕を将軍とした昭襄王だったが、邯鄲は落せず、楚の春申君が背後をついた為、秦軍は壊走した為、白起は、
秦王は私のいうことを聞かずして出兵したが、今となっては私の言の正しさを認識しただろう。
と、つい調子にのった発言をしてしまった事が昭襄王の怒りを買い、白起は職を罷免されて兵卒におとされ、秦の首都・咸陽から陰密へと移動させたが、范雎らの進言もあって
白起が陰密に移るとき、心中怏怏として承服せず、恨みがましい言葉があった
との理由で白起に剣を与えた。
剣をとった白起は、
自分は国家に功は有っても罪は無い筈だ。何故この様な報いを受けねばならぬのか?
と弱音を吐いた後、
私は死んで当然だ。
長平の役で、降伏した士卒四十万を尽く穴埋にした事だけで十分死罪に値する。
と言って自刎して果てた。
※「三国志」では、魏の鄧艾(トウ艾)が鐘会らの讒言によって無実の罪で捕らえられた際に、自らを白起になぞらえて身の危機を悟った記述がある。
白起の死後、秦の人々は常勝将軍の無残な最期を哀れみ、白起の霊を祀って慰めた。
※その他「白起」の詳細についてはWikipediaの該当記事参照の事。
▼架空戦記「春秋戦国三国志」。バー・ギゼンハートの飲んだくれの白さんは常勝将軍でした。キャーハクサーン
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187 ななしのよっしん
2022/11/10(木) 21:30:36 ID: WUD8y0XJsA
>>186
言ってることが的外れすぎて馬鹿にしか見えんぞ。
まず、白起は生涯一度も敗北しておらず負けたのは王陵や王齕らの将軍。しかもその原因は范雎が白起を恐れて時間を与えたせいで他国の援軍と軍の立て直しの時間を与えたせい。
次に白起の行いで魏と楚の士気が上がったとか勘違いも甚だしい。二国は趙が落ちたら自国の安全保障上ヤバいことになるから援軍を出しただけ。
最後に十万処刑が不都合なんてのはキングダムのファンタジー中国だけ。実際は長平と平陽で趙の兵力と労働人口に多大な損失を与えて、統一に多大な貢献をしてる。李牧が守戦の名将として名高いのはその激ヤバ状態の趙で逆襲を果たしたから。
というか時に虐殺・殲滅上等、毒流しも上等な中国で白起の処刑ごとき(兵糧問題からどうやっても養えない+少年兵は全て返した)が嫌悪されるわけないだろ。
結局ただ日本を貶したいがために小手先の屁理屈こねてるマヌケは黙っとけよ。
188 ななしのよっしん
2023/01/20(金) 15:22:58 ID: 3++v6CIc7X
范雎が足を引っ張らなければどこまで勝てたのかは気になるなあ。
189 ななしのよっしん
2024/10/16(水) 21:46:53 ID: 3lpQF1fhu0
達人伝白起はずっと機械の様に淡々と殺す大量殺戮マシーンだったけど
長平の戦いの余計な感情に動かされて40万坑殺して昭譲王もドン引きさせ
自害する寸前に40万坑殺した後に零れ落ちた物が私が生きた証だったって言って
最後の最後に人間らしい感情取り戻したのが良かった
達人伝の主人公は実質白起だった
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最終更新:2025/01/13(月) 07:00
最終更新:2025/01/13(月) 07:00
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