劉禅とは、中国三国時代、蜀漢の第2代皇帝であり、三国志の英傑である初代皇帝・劉備の息子。
劉禅、字は公嗣、幼名は阿斗。諡は思公。先主である父・劉備の後を継いで蜀漢の第2代皇帝になった。
暗愚の代名詞と言われるほど無能な君主とされている。
しかし、劉備が没した後、弱小国であった蜀を40年(諸葛亮の死後約30年間)も存続させ、その間に大きな乱も起きなかったというのは評価すべきであろう。
現に隣国の呉では政治の乱れによる謀反や反乱が度々起こっている。三国時代の“乱世”において国を治めた君主は数あれど、40年もの長きに渡り治世を続けられた君主は劉禅ただ1人である。ただし、劉禅を上回る在任期間の持ち主に万暦帝がおり、劉禅と違って国も滅ぼしていない。しかしその万暦帝が中華史上屈指の暗君扱いされていることを見ると在任期間の長さで名君・暗君が決まるわけではないということである。
特に諸葛亮を始め「蜀の四相」と称された蒋琬、費禕、董允を能吏として正しく用いており、こうした文官の支えがあって蜀漢は30年持ったと言ってよい。その間劉禅が何をやっていたかというと、後宮を増員しようとしたり、遊興や行楽に浸ったりして何度も譙周や董允に止められていた。それも黄皓を重用するようになってから政治はおおいに混乱し、国は乱れていくことになる。また、蒋琬および費禕の死後には政治に口を出すようになったが、大赦を乱発するなどおおよそ統治能力の無さをさらけ出すことになった。(正史三国志の筆者・陳寿も「諸葛亮が補佐した12年間は改元もせず、あれほど出兵しながらも、濫りに恩赦を行う事も無かった。なかなか出来ない事だ。しかし諸葛亮が没して後、そうしたやり方も崩れていった。優劣は歴然としている」と苦言を呈している。)
他にも即位した直後で自身が王位を諸葛亮に簒奪される危険性もある中、諸葛亮を信頼して在位中は内政の全権を預けていた。自身を上回る部下の有能さを認め、それを信じて政務を任せられることは、君主の条件の一つでもある。
しかし諸葛亮死後、黄皓を寵愛し政治の壟断を諫められなかった。または、軍部の実権を握った姜維の北伐を諌められなかった(または姜維ら武官と黄皓ら文官の対立を諌められなかった)ため、次第に蜀は衰退していく。
その後、北伐を完了した魏が大軍をもって南下すると、黄皓が前線への援軍を握りつぶしたことや、鄧艾が険道を迂回して首都へ直接進軍してきたこともあり、対応が後手に回ったことで最終的に降伏。この降伏も「明らかな国力差がある状況で民を危険に晒さない判断をした」という見方もあるが、そもそも降伏を勧めたのは譙周の助言によるものであり劉禅の判断によるものではない、また劉禅は南中に逃れようとしていた。もっとも姜維らの度重なる北伐により国土は疲弊していたという意見もある。
かくして矛を収め、蜀漢は滅亡。劉禅は前君主ということで安楽県を任じられ、それなりの食い扶持をあてられた。
その後も安楽県を治めながら7年生き、65歳で亡くなった。思公、または孝懐皇帝と諡号された。
弱小であった後期蜀を40年間も無事に存続させたことや、有能な部下を信じて仕事を任せていたことも事実ではあるが、黄皓のような佞臣を寵愛するようになって、結果的に自国を滅ぼしたこともまた事実である。
その業績をして、正史三国志の筆者・陳寿は劉禅を「白糸は染められるままに何色にも変ずる」と評している。つまり、周りの染め方で名君にも暗君にもなっていた(部下が優秀なら名君に、部下が無能なら暗君に)という意味である。また似たような評価として李密の「斉の桓公に次ぐ」がある。これは賢臣を信じて成功し、愚臣を信じて失敗した桓公に基づいたものである。また『華陽国志』では「中興の器に非ず」と低く見られている。そして劉禅の評価を決定づけるものとして薛珝の「主君は暗愚で己の過ちを知らず」というものがある。これを見れば正史でも当時の人間から劉禅が暗愚扱いされていることが分かるだろう。
『正史』の劉禅について詳しく知りたい方は、以下の動画も参考にしてみよう。
姜維の悪手を劉禅の責にしたり、宦官であった黄皓を重用した点から黄皓の罪も負わされたりと色々酷い。上記の行動も「何も手を打たなかった」と悪い方向に解釈され、徹頭徹尾救いどころのない暗君として描かれている。
また、晋時代の書「漢晋春秋」によれば、降伏の際に司馬昭が宴席を設けて蜀将をもてなしたが、蜀の楽曲を流すと蜀将が涙する中劉禅のみが笑っていたといい、さらに司馬昭が「こうして蜀風の歓待を受けると蜀を思い起こすであろうな」と尋ねたところ 「ここでの暮らしは安楽なので、蜀を思い出すことはもはやない」と答えたという。
こうした劉禅の反応から司馬昭は蜀将を哀れんだというが、そもそも魏国の宴席で、それも魏国簒奪の下地を作った腹黒謀臣・司馬昭の前で元蜀主がうかつな発言をできるはずがなく、わざと太平楽を装ったのだという意見もある。
現在の中国では劉禅は劉備の息子でありながらものすごく嫌われ、蜀将の墓所では劉禅の像のみが再建されるたびに何度も打ち壊されているという。また劉家の廟には、蜀滅亡に際し「先帝に詫びる」と劉備の墓の前で妻子とともに自害した劉禅の五男、劉諶の像が有る。だが、その像の説明には「劉禅の子」ではなく「劉備の孫」と書かれており、親子のイメージの差がありありと見てとれる。
その後、毛沢東が「お前ら阿斗になるんじゃねーぞ」と全人民に呼びかけたため悪名は決定的となり、現代中国でも幼名の『阿斗』をして暗愚・無能の代名詞として扱われている。
日本での三国志ブームの先駆けとなった、演義ベースの小説作品『吉川三国志』が基にされやすいため、以下の作品でも(一部を除き)おしなべてダメ君主として描写されている。
演義に拠ったことにより無能として描かれている。孔明在命中では酒びたりの生活を送っており、孔明死後も同じような感じ。晩年は若い頃より少し太っている。
初期作品こそ先帝の威光もあって魅力だけは高く、政治もまあちょっとはあったのだが、年を追うごとに取り柄であった魅力は衰退、『三国志X』以降では単なる語呂合わせでスタッフから遊ばれる始末。公式でも完全にネタキャラとなった。ニコニコ戦略歴史ゲー動画でも「これは三国志大戦ではありません」と注釈コメをつける者もいるほど。
『三国志11』では特技・強運(部隊が壊滅しても本人は捕縛されず、負傷や戦死もしない)を所持しているので兵1戦術として使うプレイも存在する(もっとも縛りプレイでもない限り、彼を採用することもないが)。
また同作品では彼の開く評定がカオスなことで知られる。
旧作では魅力の高さゆえ、徴兵要員になることもしばしば。
X以降では数値が3594(サンゴクシ=三国志)と、曹豹以上のネタ要員にされている。
また作品によっては玉璽(魅力が100で固定になる)を持っている場合もある。
そんな彼も13にて劉禅も3594(三国志)13、30(周年)というアナグラムネタ(みんなも劉禅の能力値を並び替えてみよう!)とある種の再評価も兼ねたか、久々に3594数値の脱却を果たした。ただ彼の特有のネタ成分すらも薄れた気もしなくもない。未だネタ要員であることは変わりないもののいつもの3594を捨てた結果、単なる凡将に成り下がった気もしなくもない君主阿斗様。彼の明日はどっちだ。
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 陸指 | 水指 | 身体 | 運勢 | |
三國志 | - | 24 | 34 | - | 93 | - | - | 71 | 81 |
三國志II | - | 23 | 33 | - | 74 | - | - | - | - |
三國志III | - | 22 | 20 | 31 | 64 | 18 | 4 | - | - |
三國志IV | 20 | 13 | 17 | 36 | 70 | - | - | - | - |
三國志V | - | 7 | 30 | 32 | 78 | - | - | - | - |
三國志VI | 24 | 17 | 21 | 23 | 92 | - | - | - | - |
三國志VII | - | 33 | 24 | 27 | 62 | - | - | - | - |
三國志VIII | 11 | - | 28 | 30 | 64 | - | - | - | - |
三國志IX | 3 | 2 | 4 | 7 | - | - | - | - | - |
三國志X | 3 | 5 | 9 | 4 | 64 | - | - | - | - |
三國志11 | 3 | 5 | 9 | 4 | 56 | - | - | - | - |
三國志12 | 3 | 5 | 9 | 4 | - | - | - | - | - |
三國志13 | 34 | 19 | 30 | 35 | - | - | - | - | - |
三国志大戦でも、暗愚ゆえどのカードも基本スペックが低く、計略もイマイチ(もっともこのゲームでは「三国にあらざれば端役扱い」という君主が多いのだが…劉璋や献帝(劉協)とか)。
『三国志大戦3』ではEX(ドタバタ戦法)に加え、蜀96枚目のカードとして追加された。ただしその計略は「魏の槍兵を」大きく強化するもの。自身のスペックは非常に低いが、計略の使いようによっては化ける可能性もある。
「最初に言っておこう。私は役に立たぬぞ」
昔はアイテム扱いされたりしたものの、真・三國無双4ではモブキャラながら総大将として登場。そして真・三國無双6ではついにプレイアブルキャラ、つまりモブキャラではない、専用の顔がある扱いに昇格した。
細剣を扱い、フェンシングのような突き主体の素早い攻撃を行う。最高性能武器は趙雲が長坂で夏侯恩から奪ったと言われる青紅の剣。無双ゲーなので当然前線に出てくる上に、性能も結構高い。
終始のんびりとした喋り方や態度で、空っとぼけているところがあるため周囲からは暗愚と評されており、劉禅も「自分は暗愚だから」などと謙遜するものの、彼は彼なりに考えを持って蜀漢二代を務めているらしい。どんな状況でもゆるいテンションは変わらないが、気を抜いていると時折ぎょっとするような恐いセリフが飛び出すことも。
そのため「爪を出さなかった能ある鷹」とも「暗愚になりそこねた君主」とも「昼行灯を演じる王者」とも評される、掴みどころのない性格をしている。人によっては「パトレイバーの後藤隊長(後藤喜一警部補)」と言ったほうがいいかもしれない。
史実の皇后を無双アレンジしたキャラクターの星彩にも恋愛感情があるようなないような自分を見せないムーブに徹している。
こういったキャラの上に、無双乱舞では「少し待ってくれ」などと言いながら派手にぶった斬ったり、「手加減は難しい」と言いつつ華麗にライダーキックを決めたりするため、プレイヤーからは「暗愚詐欺」「お前のような暗愚がいるか」「腹黒」「阿斗様無双」「三国一のゆるふわ君主」 「え○りかずき」などと評されることも。
シナリオやキャラについては人によって賛否が分かれるところだが、少なくとも他のゲーム作品のようにネタキャラ一辺倒の扱いではなく、司馬昭らに秘めたるモノを見抜かれるなど、弱小ながら一つの国を"継いでしまった"君主としての生き様を魅せてくれるキャラクターである。
プレイアブル昇格に際して最も議論を呼んだキャラクターであるらしいが、ある意味で最も演義らしくないキャラクター付けがなされているともいえよう。
無双OROCHI2では同じく現代であまり評価されていない今川義元に誘われ蹴鞠に興じ、共にその過程で何かを得ようとする。一方で長宗我部元親からは「才能を隠しているだけだ」と評されている。
また父が恐れた猛将の張郃とあっさり仲良くなり、彼の性格と武を利用して姜維を救っていたりもする。
「私が真の三国無双・・・・・・か。
ふふふ・・・・・・暗愚には似つかわしくないなぁ」
PS・PSP版withPK のおまけシナリオ「諸王の戦い」において、今川氏真に見いだされジョン欠地王と共に天下統一に挑むというネタが盛り込まれている。
三国志とは関係ないが、彼を元にしたキャラクターのアトが登場する。ヤウダ国の王。やはりここでも無能で、七英雄のワグナスに騙されてしまう。
明らかなネタキャラとして、無駄に人気がある。三国志系列の架空戦記以外にはまず登場しないが、出たら出たでアレな扱い。殆どウザイと言われ、作品にもよるが非常識な口調から『絶対無理』『引っ込んでろ』『何 故 い る』と言われる始末。
ただ、何故か登場するとみんな覚えてたりする無駄に孤高のキャラクターである(マイナス方向な意味で)
掲示板
1680 ななしのよっしん
2024/11/17(日) 09:36:03 ID: op6zkA5ICd
>>1676
なるほど、幼帝や病弱皇帝の相次いだ後漢では、高官どもをシャットアウトして絶大な権力を持てそうだな(在位40年の末帝陛下を横目で見ながら)
1681 ななしのよっしん
2024/11/17(日) 09:51:22 ID: af8f73545y
乱世だったせいで暗愚という評価がされてるけど
良くも悪くも凡庸って評価が一番しっくり来る
治世で家臣団が安定していたら、本来ならそんな記憶に残る事もなく
知ってる人は知ってる程度の皇帝で終わっていただろうに
1682 ななしのよっしん
2024/12/25(水) 09:52:15 ID: jOAhLdGZz5
姜維のプラン自体が「蜀を滅ぼす想定で構えてない、いつもの牽制程度の魏軍をあえて蜀の内地まで引き入れれば兵站が崩壊して自滅するから、そこに追撃をかけて魏に被害を与えよう」というもので、これは蜀漢追討軍が来ない想定(牽制程度の軍を相手にする想定)になってる。なので成都まで攻める準備が整った魏軍が来たこと自体がもうプランの崩壊を意味してる。
事前に構えてたプランが無意味になったから劉禅にしろ姜維にしろ即応力が求められるんだけど、そこで劉禅や黄皓がやらかしたからまともな対応はできてない。
剣閣で粘ってももうそれまでに取られた範囲が大きすぎて大した意味はない。
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最終更新:2025/01/11(土) 13:00
最終更新:2025/01/11(土) 13:00
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