基本データ | |
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正式名称 | オーストリア共和国 Republik Österreich |
国旗 | |
国歌 | 山岳の国、大河の国 |
国花 | エーデルワイス |
国鳥 | ツバメ |
公用語 | ドイツ語 |
首都 | ウィーン(Wien) |
面積 | 83,870km²(世界第112位) |
人口 | 約882万人(世界96位) |
通貨 | ユーロ(EUR, €) |
オーストリアとは、中央ヨーロッパ(中欧)に位置する国である。正式名称は「オーストリア共和国」(ドイツ語:Republik Österreich、英語:Republic of Austria)。
人口は約882万人。国民の多くは、ドイツ語(ただし方言色が強い)を母語とするゲルマン系が占める。首都はウィーン。
ドイツ語を母語とする者が多数を占めているという意味では広義の「ドイツ」の一部であるが、歴史的経緯からドイツ連邦共和国とは別の独立国家となっている。文化的に「ドイツ的なもの」と「オーストリア的なもの」とを峻別することは困難である。
現在のオーストリア領の中核はハプスブルク家が1278年から統治してきた「オーストリア(大)公領」である。元々は神聖ローマ帝国の皇帝に従う諸侯の一人に過ぎなかったが、1438年以降はハプスブルク家の当主が神聖ローマ皇帝位をほぼ独占するようになった。1804年、ナポレオンの台頭で神聖ローマ帝国が滅びると、ハプスブルク家はオーストリア大公領を中核とする自己の領土を「オーストリア帝国」として再編成し、その皇帝位を世襲するようになった。現在のオーストリア領は1918年までハプスブルク家の統治下にあったため、オーストリアというとハプスブルク家の印象が強い。
現在のオーストリアは海には接していないが、ドイツ以外にも、チェコ、スロバキア、ハンガリー、スロベニア、イタリア、スイスおよびリヒテンシュタインと領土が接している。
1995年以降は欧州連合(EU)加盟国となり、国境を越えるのが容易になった。
オーストリアの国土の東西を横切る形で国際河川のドナウ川が流れている。
ローマ帝国時代はドナウ川が国境で、ドナウ川の北が異民族の地、ドナウ川の南がローマ帝国だった。
ローマ帝国の領土とドナウ川の流域を見比べてみると見事に一致する。
ローマ帝国は北方異民族に対抗するためドナウ川沿いに砦を築いたが、これがウィーンの起源となった。
このドナウ川で西はドイツ・バイエルン州、東はハンガリーとつながっている。
ウィーンを根拠地としたハプスブルグ家はドナウ川に沿って軍を派遣して勢力を伸ばし、人を集めた。
このドナウ川があったからオーストリアは第一次世界大戦以前まで大帝国を築くことができた。
オーストリアは歴史上3回、異民族・異宗教・異思想の国と対峙する最前線の地域だったことがある。
1回目は先述の通り、北のゲルマン民族と南のローマ帝国の境界線だった時期。
2回目は、16世紀から17世紀まで東のオスマン帝国と国境を接していた時期。
オスマン帝国は勢い盛んで、オーストリアの東隣のハンガリーまで併合していた。
1529年と1683年にオスマン帝国軍が首都ウィーンを包囲している。ウィーンはドナウ川沿いなので、
西から川を通って軍需物資が運び込まれ、頑強に抵抗することができ、ウィーン陥落は免れた。
オスマン帝国はイスラム教国なので、欧州のキリスト教諸国はオスマンの脅威に震え上がった。
3回目は、1955年から1989年まで共産圏と国境を接していた時期。
北のチェコ、東のスロバキア、ハンガリー、南のスロベニアがすべて共産圏で、国境警備は厳重だった。
オーストリアは全土を英米仏ソの4国に分割統治、首都ウィーンも英米仏ソの4国に分割統治されていて、
このままならドイツのように分断国家になるところだったが巧みな政治交渉で回避、
「永世中立国になるから分割せずまるごと独立させてくれ」とソ連に訴えてこれが了承された。
1955年以降は永世中立国として独立した。永世中立国というと聞こえは良いが、実際は国際政治の場に
おいて西側諸国にも東側諸国にも相手にされず、ひとりぼっちになることを意味する。
資本主義陣営の一員ではあるが米軍基地駐留が許されない心細い環境の中、共産圏と対峙し続けた。
2回目と3回目はどちらもオーストリアが含まれる陣営が最後に勝利を収めている。
オーストリアには勝利の女神が住んでいるのだろうか・・・
オーストリアの首都ウィーンはヨーロッパを席巻した名門ハプスブルグ家のお膝元としての期間が長い。
ハプスブルグ家は音楽家を盛んに招いて保護する伝統があり、ウィーンは音楽の都として栄えていった。
ウィーンは、古くから数々の音楽家を輩出してきた。また、オーストリア圏以外の作曲家がウィーンで
暮らすことも多く、クラシック音楽の世界において、ウィーンは重要な存在である。
世界でも有数のオーケストラのウィーン・フィルハーモニーがある場所で知られる。
詳しくはウィーンの個別記事を参照のこと。
男性向けの伝統的な民族衣装は、肩紐と半ズボンから構成されるレーダーホーゼン。革製で茶色い。
もともとはアルプス山脈の農家の作業服だった。皮は、布よりも強く、重労働に適していて汚れに強い。
女性向けの伝統的な民族衣装は、ディアンドル。(ニコニコ大百科の個別記事あり→ディアンドル)
もともとはアルプス山脈の農家の女性が着ていた労働着である。農村からウィーンへ出稼ぎに来た女性が
これを着ていて、それを見たウィーンの貴族たちの間でも流行していった。
オーストリアの隣国バイエルン州ミュンヘンで行われるオクトーバーフェスト(ビールの酒盛り)で、
ディアンドルを着たウェイトレスが1リットルジョッキを何本も持ってくるのが恒例の風景である。
レーダーホーゼンとディアンドルはオーストリア固有の民族衣装ではなく、ドイツ・バイエルン州や
イタリア・チロル地方といったアルプス山脈沿いのドイツ人が多い地域共通の民族衣装である。
寒いので野菜や果物が豊富にとれない。牛肉・豚肉・鶏肉、ドナウ川で獲れる魚、ジャガイモが多い。
ドイツやチェコと同じようにビールの生産が盛んであるが、ぎりぎりブドウの栽培ができる土地柄のため
ワインの醸造も行われている。
ウィーンの宮廷に集う上流階級が食したお菓子もおいしい。ザッハトルテというチョコケーキが有名。
コーヒーも盛んに飲まれていて、首都ウィーンにはカフェが多い。
ドイツ・バイエルン州と隣同士なので、自動車産業が盛んである。
バイエルン州にはBMWやアウディの本社があり、その下請け企業がオーストリアにある。
もっとも大手の下請け企業は首都ウィーン近郊にあるマグナシュタイア。
この会社は世界最大の自動車委託生産企業で、自動車製造の腕前が良いことで評判が高い。
オーストリア南部のグラーツにマグナシュタイアの主力工場がある。
もともとはシュタイア・ダイムラー・プフという会社が自動車を作っていた。
カナダの自動車部品企業のマグナ・インターナショナル(自動車部品製造で世界3位の巨大企業)に
自動車製造部門を買収され、2001年にマグナシュタイアとして設立された。
西部のマッティヒホーフェンにKTMがある。オフロードバイク(土路面走行のバイク)に強みがある。
西部のザルツブルグ近くのフシュル・アム・ゼーという湖の畔の田舎にレッドブルの本社がある。
同社はエナジードリンク最大手で、モータースポーツや飛行機レースやサッカーへの投資が盛ん。
KTMと手を組んで、二輪レースの最高峰であるMotoGPで席巻している。
首都ウィーンにbwinやInterwettenといったインターネット・ギャンブル運営企業がある。
この両企業ともMotoGPのスポンサーでおなじみ。bwinはレアル・マドリーの胸スポンサーだった。
アルプス山脈が国土の62%を占めていて、気候が寒冷で雪がよく降る。
そのためウィンタースポーツが盛んである。冬季オリンピックではオーストリア国旗を多く見かける。
積雪が多いので室内競技も盛ん。卓球、ハンドボール、アイスホッケー、柔道など。
サッカーはオーストリア・ブンデスリーガを抱えている。このリーグからドイツのブンデスリーガへ
移籍していく選手が多い。サッカーオーストリア代表はなかなかワールドカップに出場できていない。
隣国のドイツ・バイエルン州とは色々な点で共通点があって親しい。
ローマ・カトリックが優勢で、自動車産業が得意で経済的にも豊かで、ビールをガブ飲みする。
歴史的にもバイエルン王国とオーストリアのハプスブルグ家は親しかった。
カトリックという宗派の特徴は、豪華絢爛な教会を建て、お祭りで盛大に騒ぐ、そういう特色がある。
南国系の宗教と考えておくと良い。バイエルン州やオーストリアもカトリックなので、
オクトーバーフェストや大晦日の年越しパーティーでは飲めや歌えの大宴会になる。
ドイツ北部で優勢なプロテスタントは質素な教会でお祭りも慎ましやかで節度をわきまえている。
ドイツ北部の住民からすると、「バイエルン州やオーストリアの連中は軽薄で騒ぎすぎだ」となる。
オーストリアの公用語はドイツ語で、過去の知識人たちもこぞって「オーストリアこそがドイツ」と言い、
民族もドイツ人が一番多く、ドイツとの経済的なつながりも強い。
だったら、ドイツと合併すればいいんじゃないか・・・このように誰もが思うだろう。
ところが、オーストリアはこの人を生んだ国なのである。
オーストリア西部のブラウナウで生まれ、ウィーンの美術学校に行こうとしたが落第、街角で絵を描いて
いたところ第一次世界大戦が勃発、ドイツに入ってドイツ軍に志願。戦後はドイツ・バイエルン州に住み、
政治活動を始めたら上手くいってドイツ政界で大出世していった。1938年に故国オーストリアを
ドイツが併合したが、それはこの人の意思による。
ドイツ合併論は即座にこの人やこれを連想するので、禁句中の禁句になっているのが実情である。
オーストリア国民のトラウマになっているので話題に出すのはやめよう。
ちなみにオーストリアでF1やMotoGPといったモータースポーツが行われるとき、観客たちが人文字で
赤白のオーストリア国旗を表現するのが恒例の風景である。(F1はこちら、MotoGPはこちら。)
他の国のサーキットではここまで綺麗な人文字は見られない。
口の悪い人がこの光景を見て「さすがこれを生んだ国だ」ということがある。
現地語のドイツ語表記では「エースターライヒ」(Österreich 東の国の意)であるため区別が付くのだが、英語・日本語表記の「オーストリア」(Austria)は南半球の英連邦加盟国である「オーストラリア」(Australia)と間違われることがしばしばある。日本の他、イギリスのTV番組でもこの事をネタとした事例が確認されている(ex.TopGear)。
オーストリアでは「カンガルーはいません」というシャツが販売されるなど、これを自嘲ネタとして活用している面もある。 混同を避けるべく、日本では一時「オーストリー」という呼び名が提案されたが、流行ることもなく既に忘れられているようだ。
余談だがこの両者、比較言語学的に見ると実は遠い親戚だったりする。
オーストリアの由来であるドイツ語の「東」という言葉は、印欧祖語におけるaus(≒輝く方)が語源である。これは太陽が東から上ることから来ているのだが、その太陽が登っていく先が南であり、これがラテン語におけるaustralis(南の)という言葉となり、オーストラリアの由来(terra australis=南の地)につながる。つまり太陽による方位表現が別の形で残ったのがオースト被りの遠因というわけである。
ぜんぜん違う経緯で名付けられた両者がたまたま似てしまったのは一種の先祖返りと言えるのかもしれない。
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最終更新:2024/12/23(月) 00:00
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