KTMとは、
ここでは2.について説明する。
KTMはオーストリア・マッティヒホーフェンに本社を持つオートバイメーカーである。
スウェーデンのバイクメーカー・ハスクバーナ(フサベル)を傘下に収め、世界12カ国に販売子会社を置くヨーロッパ第1位のバイクメーカーである。2014年に売上高でBMWを追い越してヨーロッパ1位に躍り出て、その座を堅持している。
社名の由来は2種類ある。Tは創業者のTrunkenpolzの頭文字、Mは本社があるMattighofenの頭文字。Kは、Kraftfahrzeug(「自動車」という意味のドイツ語)の頭文字でもあり、Kronreif(創業19年目に現れた投資家)の頭文字でもある。詳しくは、『KTM社史』の項を参照。
日本法人の正式名称は、KTMをドイツ語読みした「カ・テ・エム」である。
公道に乗り込んで違法行為バリバリのPVをゲリラ撮影するという極めてロックな一面もあったりする。
明るいオレンジ色に黒色をまじえた車体がトレードマーク。
土路面向けのオフロード車が得意中の得意分野で、ダカール・ラリー(アフリカ大陸や南米大陸を横断する過酷なラリー)で多くの勝利を挙げた軽量・ハイパワーのエンデューロマシンが代表的。
舗装路面向けのオンロード車は他社に比べてやや控えめだが、2003年からはVツインエンジンの製造を始め、製品ラインナップにもオンロードスポーツネイキッドのDUKEシリーズや、同社初の本格スーパー・スポーツの1190RC8(4スト1195cc)などが加わった。
さらには2008年には24禁の四輪スポーツカー「X-Bow(クロスボウ)」を発売している。こちらがX-Bowの公式サイト。画像検索すると
、奇抜なデザインが目に飛び込んでくる。
2014年12月31日の時点で、ステファン・ピエラ率いるCross Industriesという企業がKTMの51.18%の株を保有し、インドのオートバイメーカーであるバジャージ・オートが47.99%の株を保有している。
KTMとバジャージ・オートは持ちつ持たれつの関係にあり、KTMが技術を提供し、バジャージ・オートが巨大なインド市場の販売網と資金を提供している、といった間柄になっている。
KTMの主な傘下企業は、ハスクバーナ(スウェーデンのオートバイメーカー)、WPサスペンション(サスペンション製造)、パンクル(エンジン部品製造。F1のチームにエンジン部品を供給する優秀企業)、キスカデザインなど。
BMWからハスクバーナを買収したのが2013年で、その影響もあってKTMグループは2014年に売上高の面でBMWを追い越してヨーロッパ第一位のオートバイメーカーになった。
KTMのオートバイのデザインを一手に引き受けているのが、ゲラルド・キスカ社長率いるキスカデザインというオーストリア企業である。バイクだけではなく店舗や展示会やカタログのデザインも考案して、KTMブランドのかっこよさを世にアピールしている。
KTMはオートバイ製造を始めた1950年代前半からモータースポーツへ積極的に参加している。
特に、オフロード車を使った競技の成績がよく、ダカール・ラリー(アフリカ大陸や南米大陸を横断する過酷なラリー)は2001年から圧巻の18連覇を成し遂げている。
モトクロス世界選手権においても好成績を収めており、1974年にKTM使用ライダーが初めてチャンピオンを獲得したのを皮切りに、年間チャンピオンを多数輩出している。
舗装した路面を走るロードレースは2000年代に入って挑戦を始めた。2003年から2009年までMotoGPの125ccクラスに参戦し、13勝を挙げている。2005年から2008年まではMotoGPの250ccクラスにも手を広げ、4年で9勝を挙げている。
2008年秋のリーマン・ショックの影響でMotoGPから一時的に撤退したが、2012年からMotoGP・Moto3クラスに復帰し、2012年と2013年と2016年に年間王者を輩出した。2017年からはMoto2クラスとMotoGPクラスにも参戦するようになった。
こうしたレース活動において、レッドブルがメインスポンサーを務めるのが恒例となっている。レッドブルはKTMと同じオーストリアの企業なので、KTMに優しい。
1934年、オーストリア西部のオーバーエスターライヒ州マッティヒホーフェンにて、ハンス・トゥルンケンポルツという25歳の男が店を開いた。店の仕事の内容は、鍵の取付と自動車修理だった。
鍵の取付と自動車修理の仕事をこなしつつ、1937年からDKWのバイクを販売するようになり、1938年からはオペルの自動車を販売するようになった。
この当時の店の名前は「Kraftfahrzeug Trunkenpolz Mattighofen」だった。Kraftfahrzeugは「自動車」という意味のドイツ語、 Trunkenpolzは創業者の名字、Mattighofenは店がある街の名前である。
1938年にドイツがオーストリアを併合し、1939年にドイツがポーランドへ侵攻、1940年にドイツがフランス攻略、1941年にドイツがソ連へ宣戦布告する。このように第二次世界大戦が始まっていくのだが、その最中の「Kraftfahrzeug Trunkenpolz Mattighofen」はディーゼルエンジンの修理の仕事も請け負うようになった。ハンス・トゥルンケンポルツの奥さんが、ドイツ軍からその仕事を受けてきたのである。
1945年に戦争が終わると、当然ながら、軍隊向けのディーゼルエンジン修理の仕事は急減してしまった。自動車修理&販売店に戻ったのだが、ハンス・トゥルンケンポルツは自分でオートバイを製造して販売しようと考え、1951年にR100という名のオートバイを完成させた。エンジンはロータックス社のものを購入して取り付けていたが、それ以外は自分で設計して作っていた。
1953年にR100の量産体制が完成した。量産と言っても、いままで自動車修理工場だったところに従業員を20人ほど集めて1日3台ずつ作るというものである。
オートバイに付けるブランド名は短いものであるべきだと考え、1953年から「Kraftfahrzeug Trunkenpolz Mattighofen」の頭文字をとってKTMというブランド名を名乗るようになった。
その様子を見たエルンスト・クロンライフという実業家が、「貴社の事業を支援したい。貴社の株を私に売ってくれ」と申し出てきたので、それを承諾した。1953年にクロンライフは大株主になり、社名を「Kronreif & Trunkenpolz Mattighofen」に改めた。Kronreifとはもちろん、大株主のクロンライフのことである。
KTMのKという文字には2通りの由来があり、1934年から1953年まで使われたKraftfahrzeug(自動車)という意味と、1953年以降に使われたKronreif(大株主となったクロンライフ)という意味がある。
ちなみに、KTMの企業色を明るいオレンジ色にすることを決めたのは、エルンスト・クロンライフである。※このページが資料
1953年がKTMのオートバイ製造元年とされているが、そのころからモータースポーツへ積極的に参加していた。
1954年9月には、フランスのパリとオーストリアのウィーンを結んだ公道を走る公道レースを開催している。距離は1300km、高速道路なんてものはなく、田舎の粗末な道しかない。その時代はパリ・ウィーン間をArlberg-Expressという急行列車が走っていたが、列車の速度で24時間かかっていた。KTMのライダーたちはパリを出発して夜を徹して走り続け、22時間でウィーンに辿り着いた。「列車よりも速いバイクを作っています」という宣伝となり、バイクの販売がさらに伸びた。※この記事が資料
創業者のハンス・トゥルンケンポルツの息子であるエリッヒ・トゥルンケンポルツも直々にオートバイレースに参加している。エリッヒは1962年に会社を継いでKTMの社長になっている。
モトクロス(起伏のある土の路面をオフロード車でジャンプしながら走る競技)では素晴らしい実績を残した。1974年にモトクロス世界選手権250ccクラスでKTMを使用するライダーが初めてチャンピオンを獲得したのを皮切りに、250ccクラスで強豪の座を占め続けた。このページを見ると、1974年以降にKTM使用ライダーが急増している様子がよく分かる。
モータースポーツで勝利して商品性能をアピールし販売拡大、販売拡大した利益でさらにモータースポーツへ傾倒する、という好循環を続けてきたが、1980年代にその循環が上手くいかなくなってしまう。
お金がかかるモータースポーツの参戦を広げすぎて出費がかさんだこと、1980年代終盤にスクーターやモペッドの売れ行きが落ち込んだこと、1989年に社長のエリッヒ・トゥルンケンポルツが急逝したこと、などが重なり合い、1990年代初頭には経営が悪化、1991年に倒産してしまう。
そこに現れたのが、投資家のステファン・ピエラだった。1992年にKTMを引き継いだピエラは、会社を4分割した。オートバイ部門と、自転車部門と、ラジエーター(エンジン冷却装置)部門と、ツーリング(工具)部門である。KTMのラジエーター製造は評価が高く、ドイツの自動車産業向けに着実な売り上げを誇っていた。このため、すぐに買い手が見つかり、イタリア企業が買い取っていった。また、自転車部門もすぐに買い手が見つかった。ラジエーター部門や自転車部門を売り飛ばして得たお金で、オートバイ部門を再建することになった。
さらにはレース部門をエンデューロに絞り、レース関連の出費を抑えることにした。
こうしたリストラをしている内に、当時のヨーロッパではスーパーモタードのブームが巻き起こっていた。このブームに乗ることでオートバイ部門の業績が回復し、見事に経営再建を果たしたのである。
掲示板
11 ななしのよっしん
2020/12/20(日) 20:46:53 ID: UlWaRd0R5I
グランツーリスモ経由でこのメーカーを知った人はどれだけ居るのか
12 ななしのよっしん
2022/07/04(月) 00:28:08 ID: YRAhbbgptg
ひょんなことからこのメーカーの1290 SUPER DUKE Rを知っていつか絶対に買って乗り回してやると思ってるんだけど、ここ最近のモデルは側面のフレームデザインが妙にゴツくて微妙なんだよなぁ…。
2017年あたりのスラっとしてて白とオレンジの2色フレームが好きだったからこの路線に戻ってほしい
13 ななしのよっしん
2024/11/30(土) 03:19:07 ID: 3xCp04+kI5
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最終更新:2025/03/26(水) 19:00
最終更新:2025/03/26(水) 19:00
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