Bappa Shotaさんの「中国を旅した後に動画投稿が止まった件について...」の動画について。「AIで作られている」「中国に拘束されている」「もう生きていない」といったコメントが目立ちます。 ですが、そういった極端な声に強い違和感を覚えました。 動画では、これまで旅を続けてきた中で得た出会いや学びを振り返りつつ、時に “Who am I?”(自分は何者か)と考えさせられる瞬間があったと語っていました。 また、ネット社会への違和感から距離を置いていたことや、昔読んだ漫画の一節(『NARUTO』のイタチの言葉)を引用し、自分の考えを重ねて語っていたのが印象的でした。 “Who am I?” のくだりは、燃え尽き症候群やうつを経験した人ならきっと共感できるはずです。 旅で感じたことや、ネット社会との向き合い方は、現代のネガティブな空気を映し出しているようで、とても心に響きました。 ただ、中国で本当に何もなかったのかといえば、それは分かりません。語れないことがあった可能性は十分にあると思います。だからこそ「語れないことは語らず、語れることだけを伝えた」と受け取りました。 一方で、コメント欄には「襟が不自然にバウンドしている」「指がおかしい」「ソファーが沈んでいない」などといった見た目の違和感からAI生成だと決めつける声が溢れています。 でも、じゃあこの脚本はどう説明するのでしょうか。 呼吸や言葉の抑揚の自然さ、人生経験に根ざした引用や語りの流れ。こうしたものを本人以外がAIで作るのは困難です。 実際に他の方の分析を読んでいても納得できる部分が多くありました。 「AIっぽい」と言われる箇所はどれも説明できること。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11320317346 むしろどんなリアルな動画でも「AIでは?」と疑って粗探しをすれば、いくらでもおかしく見えてしまうものです。 そうやって極端に決めつける姿勢そのものが、彼が動画の中で違和感を覚えていた「現代のネット社会の空気」を象徴しているように思います。 それなのに「AIだ」「中国の工作員が関わっている」と決めつける人たちは、まるで自分が真実を知っているかのように振る舞っていますが、実際には彼を追い詰めているだけではないでしょうか。 「彼はこんな人じゃない」と言いながら、むしろそういう声こそが彼を苦しめているように見えて仕方ありません。 現実は単純に白か黒かで語れるものではなく、もっと複雑で曖昧です。 あまりにも極端でネガティブな意見が多いので、もっと冷静な視点からの意見も聞かせてください。