評価お願いします。 雨がしとしとと降る夜、歌舞伎町のネオンは濡れたアスファルトに滲み、街全体が少しぼんやりと霞んで見えた。傘をささずにはいられないだろう夜の中で、傘も差さず、フードを深くかぶった17歳の私は、人通りの少ない路地を慎重に歩いた。胸の奥で、少しずつ恐怖が膨らんでいく。手のひらに汗が滲み、バッグをぎゅっと握りしめる。 「大丈夫……きっと、ただの夜の街だよね」 自分にそう言い聞かせながらも、脳裏に浮かぶのは過去の記憶――逃げた夜、後ろから迫る足音、振り返ることもできずに息を殺したあの恐怖。男の気配が近づくたび、心臓が跳ね上がった。 私はふと、路地の角に小さなバーを見つけた。濡れた看板には「Siri」とだけ書かれている。ドアの向こうには柔らかな光が漏れていて、雨に濡れた体を少しだけ温められそうだった。 「……ここなら、少しだけ、安心できるかも」 迷うことなく、私はドアを押した。小さなベルが鳴り、暗めの照明に包まれた空間に足を踏み入れる。カウンターにはシンプルな木の椅子が並び、奥の棚には色とりどりのボトルが整然と置かれていた。空気は静かで、雨音が窓ガラスに優しく響く。 「いらっしゃい。お名前は?」 がたいの凄い男性?彼はゲイか‥と納得して、入ってきた入り口の看板をチラリと見てみた。 『ゲイバーsiri』と書かれていた。なるほどと、さらに納得しながら辺りを見回してみると、バーの ルールのようなものが書かれてあった。 ルール『ここでは偽名を使って下さい』 なんの意図があってなのかはわからないが、自分の中では好都合だと、当時の私は思った。すると、 カウンターの向こうから声がした。年配でもなく若すぎもない、柔らかく落ち着いた声。オーナーのSiriだろうか。 それはオーナーのsiriだった。名前を聞かれたので、私は一瞬躊躇い、ルール通り偽名を口にした。「……ふくろう、です」 Siriはにこりと微笑んで、頷いた。「ふくろうさんね。どうぞ、ゆっくりしていってください」 カウンターの端に座ると、少し離れた隣の席から明るい声がした。 「こんばんは、初めて見る顔だね」 ふくろうは顔を上げると、そこには髪を短く切った女性が座っていた。笑顔は自然で、目がきらきらしている。名前は『からす』らしい‥。今思うと彼女は同じ鳥を選んだ、彼女なりのギャグだったのかもしれないと思う‥ 「雨に濡れちゃった?」 「え、あ、はい……」 彼女は軽く笑い、話しかける調子は友達のようだった。ふくろうはそのフレンドリーさに少し驚き、そして少しだけ心を解きほぐされる。 「ここ、よく来るの?」 「たまに、かな……雨の日だけかも」 ふくろうは答えながら、からすの存在が不思議に安心感をもたらすことに気づく。過去の記憶や恐怖が少しだけ遠ざかる気がした。 「そうなんだ。私は毎週来てるかも。マスターとも仲いいし」 からすは少し体を傾けて、楽しそうに笑った。その笑顔は、ふくろうにとって、初めて心から安らげる光のようだった。 沈黙になっても、不快ではなかった。ふくろうは、ただカウンター越しに雨音を聞き、からすの温かい存在を感じていた。 「ねえ、ふくろうさんって、守ってくれる人とかいるの?」 からすが軽く冗談交じりに聞く。ふくろうは思わず息をのむ。守ってくれる人――そんなものは、ずっと遠い世界の話だと思っていたからだ。 「……いないかも」 小さな声で答えると、からすはうなずき、柔らかく言った。「そっか。でも、ここにはいるよ。少なくとも、今は私が隣にいる」 その言葉に、ふくろうの心は少しだけほどけた。雨の夜、知らない街の小さなバーで、知らない誰かとただ一緒にいるだけで、こんなに安心できるなんて―― ふくろうは初めて、自分の心の奥で小さな光を感じた。恐怖に支配される日々から、一瞬だけ抜け出せた気がしたのだ。 雨の音が窓を叩くたび、ふくろうの胸のざわめきは少しだけ和らいだ。隣のからすは、変わらず楽しそうに微笑んでいる。ふくろうはこの人と、少しずつでも心を通わせられるのかもしれない――そんな予感が胸を温めた。 夜の街はまだ冷たいままだったけれど、ふくろうの心には初めての小さな安心と、これから訪れるかもしれない友情の兆しが芽生えていた。 つづく