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石破は「軍部の勇ましい声」と一般的な意味で言ったのだと思います。「一年や二年」と言うのは山本五十六が近衛文麿に言った言葉とされていますが、山本は近衛に二度会っています。二回目の1945年9月12日、 近衛、「万一日米交渉がまとまらなかった場合、海軍の見通しはどうですか?」 山本はこう答えた、 「是非私にやれと言われれば半年や一年は存分に暴れて御覧にいれます」 「しかしその先は全く保証出来ません。三国同盟が出来てしまったのは仕方ないが、こうなってしまった以上は日米戦争を回避する為に極力努力をして頂きたい」 近衛は山本の言わんとするところを正確に理解し、第三次近衛内閣でアメリカとの友好関係を追求。しかし東條英機に代表される陸軍の拒否によって内閣総辞職に追い込まれました。 山本は対米開戦の決定に一切関わっていません。聯合艦隊司令長官と言えば軍人として立派な地位ですが、所詮は実戦部隊の現場の親分。上には軍令部があり、海軍省がある。更には陸軍との調整、そして最終承認は天皇です。対米戦争と言う国家としての最高意思決定は聯合艦隊司令長官の権限•責任外の領域です。 山本は海軍トップの嶋田繁太郎海軍大臣にはこう書きました。 「大勢に押されて立ち上がらざるを得ずとすれば、艦隊担当者としては尋常一様の作戦にては見込み立たず、結局、桶狭間とひよどり越えと川中島とを併せ行うのやむを得ざる羽目に追い込まれる次第、、、」 つまりまともな戦争にならないぞ、と。 また、別の手紙で「こうなった以上は陛下に戦争はやるなと言っていただく様にお願いしてくれんか」と言う意味の事まで書いている。しかし優柔不断で東條の副官、東條の男めかけとあだ名された嶋田海軍大臣は東條に引っ張られて開戦に同意してしまいました。 そしてもう一人の海軍トップの永野修身軍令部総長に対し、どうしてもやれと言われたら聨合艦隊としてはこんな作戦を、と説明したあと、こう言いました。 「次に一大将として第三者の立場として申せば、日米戦争は長期戦となること明らかなり。日本が有利なる戦いを続ける限り米国は戦いをやめざるべきをもって戦争は数年に亘り、資材を蕩尽せられ、艦船・兵器は傷つき、補充は大困難を来たし、ついに拮抗し得ざるに至るべし。のみならず国民生活は非常に窮乏を来たし、、、かかる成算なき戦争は為すべきにあらず」 「成算なき戦争」ですよ。勝てるわけのない戦争、、、 それにも拘わらず、耄碌が始っていた永野軍令部総長も東條に迎合して対米戦争を促進しました。 山本は日独伊三国同盟にも反対で、「あんなものを結んだらアメリカと戦争になる。そうなったら東京なんか三度くらい丸焼けになって日本人は惨めな目にあうだろう」と言っていました。 そしていよいよ日本が戦争を決めた時、山本は海軍兵学校同期の親友・堀悌吉中将に「個人としての意見と正確に正反対の決意を固め、其の方向に一途邁進の外なき現在の立場は誠に変なもの也、之も命(=運命)と言ふものか」と書いています。

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