ヨハネの黙示録について その19 『新改訳聖書』第3版のヨハネの黙示録11章18節に、次の ように書かれています。 *** 18節 諸国の民は怒りました。しかし、あなたの御怒り*の日が 来ました。死者のさばかれる時、あなたのしもべである預 言者たち、聖徒たち、また小さい者も大きい者もすべてあ なたの御名を恐れかしこむ者たちに報いの与えられる時、 また、地を滅ぼす者どもの滅ぼされる時です。」 * 「の日」は補足 *** 1行目から、「・・・しかし、あなたの御怒り(*の日)が来 ました。・・・」とあり、2行目から、「・・・あなたのしも べである預言者たち、聖徒たち、また小さい者も大きい者もす べてあなたの御名を恐れかしこむ者たちに『報い』の与えられ る時・・・です。」とあります。 ここで言われている『報い』というのは、救いに預かる者たち に与えられる報いのことである、と言うことができると思いま す。 また、『報い』については、ローマ人への手紙2章6節から1 0節までに、次のように書かれています。 *** 6節 神は、ひとりひとりに、その人の行いに従って報いをお与えに なります。 7節 忍耐をもって善を行い、栄光と誉れと不滅のものとを求める者 には、永遠のいのちを与え、 8節 党派心を持ち、真理に従わないで不義に従う者には、怒りと憤 りを下されるのです。 9節 患難と苦悩とは、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、悪を行う すべての者の上に下り、 10節 栄光と誉れと平和は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、善を 行うすべての者の上にあります。 *** これらの節には、①救いに預かる者たちに与えられる報いと、 ②さばきを受ける者たちに与えられる報いについて書かれてい る、と言うことができると思います。 このうち①の報いは、7節の「永遠のいのち」と、10節の 「栄光と誉れと平和」である、と考えられます。 それら以外にもあるかもしれませんが、さしあたり、そのよう に考えます。 ヨハネの黙示録11章18節の、「あなたのしもべである預言 者たち、聖徒たち、また小さい者も大きい者もすべてあなたの 御名を恐れかしこむ者たちに『報い』の与えられる時」の『報 い』というのは、ローマ人への手紙2章7節の「永遠のいのち」 と、同章10節の「栄光と誉れと平和」であると考えることが できると思います。 ヨハネの黙示録11章18節の『報い』というのは、ローマ人 への手紙2章7節の「永遠のいのち」と、同章10節の「栄光 と誉れと平和」である、と考えてよいと思われますか。 ご意見をお聞かせいただけるとありがたいです。 よろしくお願いいたします。

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ありがとうございます。 今回の質問からは少し離れますが、ご意見をお聞かせいただけ るとありがたいです。 それは、「あなたのしもべである預言者たち、聖徒たち、また 小さい者も大きい者もすべてあなたの御名を恐れかしこむ者た ちに報いの与えられる」(黙示録11:18)のは、「あなた の『御怒り・・・が来・・・た』」(同)時である、と言うこ とができると思います。 『御怒りが来た』ときに、彼らに報いが与えられる、と言って よいと思われますか。 もしよろしければ、ご意見をお聞かせいただけるとありがたい です。 そうでなければ、スルーしてかまいません。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

最も納得のゆくご意見でした。また、疑問点もありません。 ベストアンサーとさせていただきます。 ありがとうございました。

お礼日時:10/6 4:48

その他の回答(5件)

おっしゃる通り、黙示録11章18節の「報い」はローマ人への手紙2章7節の「永遠のいのち」、同2章10節の「栄光と誉れと平和」を指していると考えるのは、わかりやすい解釈だと思います。 黙示録は終末における神の裁きと祝福を力強く描き、忠実なしもべには永遠のいのちと栄光が約束される点がローマ書の教えと合致します。ローマ書が個人の行いに応じた報いを示すのに対し、黙示録は共同体としての聖徒への最終的な報いを強調しており、両書を並べて読むことで、個々の信仰形成と終末的祝福が一貫した救済論としてつながっていることが理解できると思います。 この対応関係を認める解釈は、聖書全体のメッセージをより深く把握するうえで、わかりやすいと感じます。

ありがとうございます。 ヨハネの黙示録11章18節には、『報い』がどのようなもの であるのか、具体的には示されていません。 聖書全体が『神』というお一方から与えられたものであるとす るならば、どの書であっても、内容は一致すると思います。 そうすると、『報い』に関しても、ヨハネの黙示録とローマ人 への手紙とでは、同じ内容になると思います。 ヨハネの黙示録11章18節には、『報い』がどのようなもの であるのか、具体的には示されていませんが、ローマ人への手 紙2章では、具体的に示されています。 両者を対比しながら読むことによって、「わかりやす」くなり、 ヨハネの黙示録が理解しやすくなると思います。 つづきます。

そうです。 聖書の希望は、神の国になる地球への復活と、そこでの永遠の命です。

黙示録11章18節の「報い」をローマ2章7節の「永遠のいのち」および同章10節の「栄光と誉れと平和」と同一視することは合理的だと思います。両者は義を行う者への神の最終的な報いと栄光を指しており、黙示録の文脈でもしも神に仕える者への報いが終末的な救いと栄誉の帰属を含むことが示されていると思います。 ただし黙示録は同時に地を滅ぼす者への裁きと世の回復を強調しており「報い」は救いの面だけでなく神の正義の実現全体を含む広い概念であると理解することも忘れてはならないでしょうね。

ありがとうございます。 1箇所、文意がとれないところがありました。 第1段落3行目から、「・・・黙示録の文脈で『もしも』神に 仕える者への報いが終末的な救いと栄誉の帰属を含むことが示 されていると思います。」とあります。 この『もしも』は、どの語句につながるのでしょうか。

黙示録11章18節の「報い」は、単なる現世的な報酬ではなく、終末における神の救いと祝福の賜物として理解するのが、ふさわしいと思います。 黙示録11章18節は、神の最後の裁きの時に、神を畏れ敬う者たちが「報い」を与えられると述べています。一方、ローマ人への手紙2章7節は、善を行い、神の栄光を求める者には「永遠のいのち」が与えられると明確に記しています。さらに、同章10節は善を行う者には「栄光と誉れと平和」があると述べています。 これらの聖句を合わせて考える時、黙示録の「報い」は、ローマ人への手紙で具体的に示されている「永遠のいのち」や「栄光と誉れと平和」を包括する概念と捉えることができると思います。 黙示録が終末の出来事を象徴的に描いているのに対し、ローマ人への手紙は救いと義認の教理をより詳細に説明しているのだと捉えています。両者は矛盾するものではなく、むしろ互いに補完し合っているのでしょうね。 ですので黙示録11章18節の「報い」を、ローマ人への手紙2章7節と10節で述べられている、神の国の相続、永遠のいのち、そして神との平和といった終末的な祝福であると解釈することは、聖書全体の文脈に照らしても、素直で真っ当な捉え方だと思います。

ありがとうございます。 回答してくださったことはありがたく思いますが、分からないことがあります。 第4段落1行目に、「黙示録が終末の出来事を『象徴的に描いている』のに対し、・・・」とあります。 「黙示録が」ということは、ヨハネの黙示録11章18節に限らず、「ヨハネの黙示録全体」のことをおっしゃっているのでしょうか。 「・・・のに対し、ローマ人への手紙は・・・」とあることからすると、ヨハネの黙示録11章18節に対し、と読むこともできます。 『象徴的に描いている』というのは、「ヨハネの黙示録全体」が、ということでしょうか、それとも、ヨハネの黙示録11章18節が、ということでしょうか。