当たり前を幸せと思えないのは、認識能力の欠如ですか? 心を軽くする言葉 宇宙を味方の「か・が・み」の法則 Kindle版 小林正観 (著) 第1章 人生のしくみがわかる「宇宙の方程式」 2◎「幸せ」の本質とは 幸せを求めない 「何もない、普通の生活」が最も「幸せ」なのであり、 「幸せ」という現象を求めている間は 「幸せ」を感じることはできない。 かつて講演会に「一〇年ほど片頭痛で苦しんでいる」という女性がいらっしゃったことがあります。いろいろな治療を全部やったけど治らなかったそうです。 「いまも痛い」ということでしたから、私は尋ねました。 「もしその片頭痛が治ったら、どんな感じでしょうか?」 「この片頭痛がなくなるんだったら、全財産を出しても惜しくないくらいです」 ところが、会の終わりにハグをしたら、彼女はこう言いました。 「あら? どうしたんだろう。痛くない!」 どういうわけか、彼女の片頭痛はなくなってしまいました。満面の笑みを浮かべて「本当にありがとうございました」と言って帰っていきました。 私たちは誰もが片頭痛を患っているわけではありません。だから、頭がすっきりして、普通に機能していることを「ありがたい」と思うこともありません。でも、彼女はずっと苦しんできたからこそ、それがない〝当たり前の状態〟に「幸せ」を感じることができたのです。 私たちは、「問題がない状態」を〝当たり前〟と考えているから、「何もない普通の生活」という「幸せ」の極みにいるのに、その「幸せ」を認識できないのではないでしょうか。 人生が好転する100の言葉: 頑張らずに楽しく生きる 単行本 – 2022/7/14 ひろゆき(西村博之) (著) 第6章 幸せ 088 福山雅治さんよりブサイクだと自分に言い聞かせても、なんの意味もありません 僕は福山雅治さんよりブサイクです。ほとんどの人が納得してくれると思いますし、自分でもそう思います。 だからといって、僕が毎朝、鏡の前で「自分は福山雅治さんよりブサイクだ」と思い起こすことに意味があるでしょうか。誰かと比べて「不幸だ」と落ち込むのは、これと同じことですよね。それなのに、多くの人が自分より恵まれた人と比べて「自分は不幸だ」と悩んだり、妬んだりしています。 〝マウンティング〟という言葉もよく耳にしますが、違う人生を歩んでいる人たちが語る、幸せな話を真に受けても仕方がありません。他人の生活を知識として知るのはアリかもしれませんが、それと自分を比べてしまうと不幸にしかならないので、比較癖は治したほうがいいと思います。 幸せを追求するのも、やめましょう。普通に暮らせていて、苦しいことがないなら、すでにもう幸せじゃないですか。それなのに、幸せを追求してしまうのは、もはや〝幸せであること〟を認識できない人です。 幸せを探し続けるのも、上と比較して、現状に納得していないのと同じです。 僕の友達に、腐った魚のような目をした、ひげおやじさんという人がいるのですが、彼はブサイクです。僕は彼に会うと「こんな顔じゃなくてよかったな」「この顔に生まれたら大変だな」と思います。 だから、場合によっては、自分より下を見るのはいいのかもしれません。