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調べた人が書いたものを読むと、 1944年(S19)4月、内務省が都道府県知事に、 空襲に備えて、都市部の住人に『身許票』を携帯させる様、 通達したらしい。 その後、 政府の広報誌「写真週報」(同年5月2日第319号)や、 「週報」(同年7月5日号、401・402合併号)で、 「空襲時の死傷者や避難者等の身許を明らかにするため」 身許票の携帯が図入りで指示されている。 やはり、全国民的な展開だったと思う… 興味深いのは、 写真週報では「上着の裏に縫い付ける」と、 写真入りで紹介されていること。 週報には、 「白色の布地または丈夫な厚紙、板片等で作り、 上衣の上前、胸部の裏側に縫ひつけるか、 或ひはポケット内に携帯する。 出来ればズボンにも縫ひつけておくがよい。」 と書いてある……
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質問者からのお礼コメント
なるほど、ありがとうございました。
お礼日時:2018/10/28 12:16
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地域差があります。 空襲が予想される都市部では縫い付ける率が当然高く 中には 防空頭巾にも 同様の内容を縫い付けた人も居ました。 但し 脱ぎ着の多い外套(コート)の類には殆どされなかった そうです。 地方の山村部などでは 付けない人も少なくなく 普段は付けなかったけど 工場などに勤労動員に行く際に 着ていく服には縫い付けたという例もあります。 血液型も 知っていれば書きますが 自分の血液型を 知らない人も 少なくありませんでしたから 必ず こう書かなければいけないなんてのは無かったと思います。
兵隊が身につけていた「認識票」の考え方を準用したもので、死体の身元を判断するための処置です。認識票は金属製ですが、これなら安価で誰にでもできます。
空襲で、焼夷弾で焼け死んだり、爆弾で飛ばされたりしたら、 身許を縫い付けておいても、識別不能になり、 あまり意味がなかったようにも思いますが、 つけていないよりはマシ、といった感じなのでしょうね。