女子枠についての私の主張です。意見して下さい。 大学入試の「女子枠」について。 「女性優遇だ」「努力が報われない」と感情的に批判する声をよく見るが、 まず前提を間違えている。 大学は単なる教育機関ではない。 知を創造し、社会的公益を生み出す研究・教育の総合機関だ。 だからこそ、どのような人材を受け入れ、どう育て、どんな環境を形成するかを決める権限は大学にある。 入試制度もその一部であり、大学の研究・教育理念に基づいた制度設計の自由がある。 テストの点数だけで選抜するのも、 性別・背景などを考慮して選抜するのも、 どちらも大学が「自らの目的に沿って」定めた一つの基準に過ぎない。 「点で決めるのが公平」というのは単なる慣習であって、それが倫理的・合理的に唯一の正解という根拠はどこにもない。点数だけで判断するのも性別を、含めて判断するのに本質的に違いはない。 大学にとって本当に重要なのは、社会的に有意味な知の生産と、その担い手の育成だ。 もし女子枠がその環境を多様化させ、研究の方向性や視点を広げる可能性があるなら、 それを「試してみる」ことは十分に正当化される。 社会制度も学術制度も、すべては試行から始まる。 「努力した人が報われるべきだ」という主張は個人倫理を、制度設計の話に持ち込んでいる。 大学の役割は「努力に報いる」ことではない。 社会的知の生産に資する人材を見出し、育てることだ。 その目的を忘れて「不公平だ」と叫ぶのは、本質を見誤っている。 努力と制度の目的を混同している限り、議論はかみ合わない。 さらに言えば、 「女子枠が公益性を持たない」と主張する側こそ、その根拠を示す責任がある。 大学が理念とデータに基づいて判断している以上、 「感情的に嫌だから」では反論にならない。 論理と証拠で語るべきだ。 結論として、 テストの点だけで決めるのも、性別を考慮して決めるのも、どちらも大学の制度的選択だ。 有効なら続け、無効ならやめればいい。 公益性を即座に証明しろと迫るのは、制度の本質を理解していない態度だ。 女子枠は「優遇」ではなく、大学が研究・教育の双方から公益を模索するための社会的実験である。 最後に私の個人的意見を言うなら私は男性なのでこの制度により不利益を受ける可能性があるので今すぐ廃止してほしいですね。