今日とんでもない事実に気づいて放心状態の30歳です。家の世界の常識と外の世界の常識があまりにズレていた話です。 ずっと人と会う理由がよく分からず、人に嫌われてばかりの人生でした。 何を話したら嫌われないのか どうやって話を聞いたら好かれるのだろう どんな表情をしたらいいのか どんな目つきならいいのか 色々努力しましたが、全て作っているので気を抜けることもなく 「また会うの楽しみにしてます」と送りますが、「内心は嫌われてないかな?これでよかったか?大丈夫かな?」という恐怖で 人と会うのが楽しみと思った事はありません。 しかも こんだけ努力しても、話聞くのうまいと言われても、笑顔が素敵と言われても、面白いと言われても、とにかくなぜか嫌われてばかりでした。 今日その謎が解けました。 なんだったと思いますか⋯ 正解は気分です。 当たった方いますか? まず原因は育った環境にありました。 嬉しい気分、楽しい気分だと必ず怒られる母親の元で育ちました。いつも無視され何時間も罵声を浴びせられていつも悲しい気持ちでした。 少しでも気分良さそうにすると必ず罵声を何時間も浴びせられるので身体が怖がるようになりました。そして私が不幸そうだとなぜか嬉しそうでした。 20歳の時に無意識に母と同じ要素がある男性と付き合いました。初めての彼氏です。15歳年上で周りの男友達にはやめたほうがいいと言われましたが、当時彼氏ができたことが嬉しくて。そして彼は私が人生最大の理不尽な体験のピンチを救ってくれました。さらに母親からも助けてくれて。私は一生感謝しようと決め、結婚しました。 彼(現夫)は私が気分良くなると、必ず気分を悪くさせてきました。嬉しい時に一緒に喜んでくれたことはありません。私が気分が悪くなると逆に嬉しそうでした。信じられないほど毎日毎日正論風な理由で私の気分を悪くさせてきて、でも罵声がないだけでも母親よりマシで、愛情もあるようだったので私が言われないように完璧になればいいんだよなぁ。。。と自分を責め30歳になりした。 そんな今日、あるインスタグラムの投稿に出会いました。 アメリカでは不機嫌をもろに出す。なんてわがままなんだ!日本では不機嫌を伝染させない、いい気分でいるのは礼儀。などの話題の投稿が流れてきました。コメント欄もそのような考えの人ばかりで カルチャーショックでした。 いい気分で居ていいの? むしろ楽しい気分嬉しい気分で居なきゃいけない 楽しい気分嬉しい気分でないと失礼になる世界線があるの? とだとしたらなんて幸せなんだろう 人と会って嬉しい気分楽しい気分になっていいの? それが喜ばれる世界線があるなんて 言葉にすると馬鹿っぽくなりますね。笑 でも今全身の力が抜けて、ショックでずっと放心状態です。 楽しい気分嬉しい気分を簡単に害するやつなんて普通縁切る。いなくていい。 という意見もコメント欄で見ました。 驚愕です。 あまり意識したことはなかったのですが 幼少期から植え付けられた楽しい気分嬉しい気分になったら虐められる。という恐怖が身体に染み付いていたなぁと自覚し 人が楽しそうに話してても、自分は楽しそうにしちゃダメだ嫌われちゃうといつも自分を抑え込んでいました。 自分が楽しそうにしたら嬉しそうにしたら嫌われちゃうと恐怖からいつも自分を抑えていたことが 相手からしたら「こいつは楽しい気分を害するやつ」とされていたのかもしれません。 そう考えると過去の嫌われた記憶の辻褄が少し合います。 話しが上手いと言われても 聞き上手と言われても 笑顔がいいも言われても 存在するだけで嫌われていたのは いつも嫌な気分でいたからだと気づきました。 家の中の世界では喜ばれていたことが 外の世界では嫌われる なんてこともあるんですね。 私はなんておかしい世界に住んでいたんだ。と自覚しました。 夫や母親に対する怒りを通り越して消失感です。 いい気分でいることを簡単に害する人は悪い人なんだと初めて気づきました。 ちなみにモラハラの特徴で「自分より幸せなのが許せない。正論風で引きずり下ろす。でも本人は実は分かっている」というのがあり、母親も夫も同じようなモラハラを選んでしまったんだと気づきました。なんか怖いです。 ポジティブに考えれば今気づけてよかったです。もう30歳ですがこれから人生取り戻したいです。 何度か人前で心を開いて楽しもうとしたことがありますがとてつもない恐怖を感じてしまいます。 そして失敗ばかりでした。 でも人生誰とも繋がれずに死ぬなんて嫌です。 変われますように。 話せる人がいないのでここに書きました。