駅伝選手の兄弟が抱く葛藤を、栄養たっぷりの料理が溶かす。「走ること」への葛藤と情熱を描いた物語『タスキメシ』
公開日:2025/1/1
年始に行われる「東京箱根間往復大学駅伝競走」通称「箱根駅伝」では、毎年多くのドラマが生まれる。だが、そのドラマは当日のみ起こるわけではない。選ばれなかった者、諦めた者、支えてくれた人たち。あらゆる人々の思いを背負う走者たちは、晴れの舞台に立つまでの道のりとともに襷をつなぐ。
額賀澪氏によるスポーツ小説『タスキメシ』(額賀澪/小学館)は、駅伝選手の兄弟が抱える「走ること」への葛藤と情熱を描いた物語である。高校生の眞家春馬は、1学年上の兄・眞家早馬の後ろを常に追いかけていた。兄のように走りたい。兄に追いつきたい。その一心で走り続けてきた。しかし、ずっと目標としていた早馬が高校2年の秋に右膝を剥離骨折してしまう。
その後、リハビリを終えた早馬は、日常生活は問題なく送れるようになったものの、陸上競技のフィールドになかなか戻ろうとしなかった。そんな折、生物の担当教員である稔の計らいで、早馬は井坂都という女子生徒と出会う。
都は、料理研究部の唯一の部員として、調理実習室で家庭料理を作っていた。早馬にもズケズケとものを言う都に圧倒されっぱなしの早馬だったが、彼女が作る料理の美味しさに開眼し、「自分にも料理を教えてほしい」と頼み込む。
早馬が料理を覚えたいと言い出したのは、2つの理由からだった。1つは、早くに母を亡くし、食事当番を担っていた祖母が要介護の状態になってしまったこと。もう1つは、弟の春馬が呆れるほどの偏食家だったことだ。食事の偏りは体の不調に直結する。走れなくなった自分の分まで、弟に走りきってほしい。その一心で、早馬は料理に没頭するのだった。
一方、弟の春馬は兄の復帰を心から願っていた。それゆえ、料理にのめり込む兄を見ながらもどかしい思いを抱く。料理ではなく、陸上への情熱を取り戻してほしい。俺が追いかけてきた背中を、もう一度見たい。春馬の切実な思いは、うまく言葉にならないまま空回りしていく。早馬のチームメイトで陸上部のキャプテンでもある助川亮介もまた、春馬と同じ思いであった。
早馬の気持ちを考えれば考えるほど、言葉に詰まる春馬と助川。早馬の気持ちなど意にも介さず、遠慮なく物を言う都。その対比から見えてくるものに、思わずハッとした。
「私は、たいして親しくもない他人から、可哀想って心配なんてされたくない」
都はかつて、“善意”という名の真綿に苦しめられていた。早馬に対する遠慮のない物言いは、彼女の過去の体験に起因する。優しさとはなんだろう。なにが「相手のため」なんだろう。そんな葛藤を抱える人は多かろう。答えは一つではない。本書においても、正解は明言されない。そのことに、読者として信頼を覚える。わかりやすい正解などないから、人は迷い、悩むのだ。
本書は駅伝のみならず、「ご飯」が大切な要素として盛り込まれている。章ごとに登場するさまざまな料理のレシピには、登場人物たちの忘れがたい記憶が絡んでいる。早馬が春馬のために作った豆乳麺、都がはじめて自分で作ったチンゲンサイとハムの炒め物。メニューに絡めて描かれるエピソードはどれも味わい深く、都が料理をするようになった背景を含めて、じわりと心に残る。
都と早馬が出会い、ともに料理を作りはじめたことで、2人の周囲にさまざまな変化が起きた。その変化は、必ずしも優しい結末だけをもたらしたわけではない。だが、少なくとも本書は、“誰の決断をも否定しない”という信念に満ちあふれていた。その一本通った芯が襷でつながれていく様は、とても味わい深く、優しい。
実は私自身、学生時代に駅伝選手として長距離を走っていた。そのため、本書におけるレースの場面は、ことさらに胸が熱くなった。今の私は走ることからずいぶん離れてしまったけれど、走る人を見るのは好きだ。年始の箱根駅伝は、私の楽しみの一つでもある。走り続ける道、走ることをやめる道、何らかの形で並走する道。どの道を選んでも、自分が決めたのならばその決断に胸を張って生きていい。そんなメッセージにあふれた本書は、「走ること」を志したすべての人への応援歌となるだろう。
文=碧月はる
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