国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)について、ややこしいニュースが流れてきている。

 いくつかのメディアが報道しているところによれば、ユネスコは、このほど、中国が申請していた「南京大虐殺の記録」を世界記憶遺産(Memory of the World)に登録したというのだ。

 事態を受けて、菅義偉官房長官は、10月12日に出演した民放の番組の中で、ユネスコに拠出している拠出金について「政府として停止、削減を含めて検討している」と表明した(こちら)。

 「ユネスコ」は、私の世代の者にとって特別な価値を持った名前だ。個人的には、「国連」そのものよりもありがたみが大きい。

 というのも、高度成長期の東京近郊に生まれ育った人間は、小学生の時代に遠足などの機会を通じて、埼玉県所沢市にあった「ユネスコ村」を訪れた経験を持っているはずだからだ。

 ユネスコ村は、1951年に日本がユネスコに加盟したことを記念して開演した娯楽・文化施設だ。ちなみに、1951年というこのタイミングは、サンフランシスコ条約が発行して主権が回復する1952年よりも早い。52年に申請して56年に加盟が承認された国連への参加と比べても5年も前だ。つまり、ユネスコへの加盟は、戦後の混乱と孤立の中にあった日本が、国際舞台への復帰を果たす最初のきっかけになった出来事だったわけだ(参考リンクはこちら)。

 それだけに、昭和30年代の子供たちにとって、ユネスコ村はその言葉の響きだけでわくわくさせる対象だった。施設自体も、当時としては珍しいインターナショナルな雰囲気の遊園地だった。園内には、オランダの風車があり、チューリップのお花畑があり、世界の住宅があり、メリーゴーランドが回っていた。

 後年、村内にあった大きな広場は、野外コンサートやイベントが開かれる場所になった。

 私は、高校1年生の時、所沢に住んでいた友人の家に一泊して、当時大人気だった天地真理という歌手がユネスコ村の広場で開催した新曲発表会に出かけたことがある。

 時間どおりに広場に駆けつけた約10万人の愚か者の一人であった私は、運営から渡された色のついた板を手に、人文字航空写真の1ドットとしての扱いに耐えながら、丸々2時間ほど、炎天下のユネスコ村広場に立っていた。

「ごめんねー。真理遅れちゃったー」

 と、ヘリコプターから降り立ったお目当ての歌手がたわけたセリフをほざいた後のことは、あまりよく覚えていない。

 アタマに来ていたからだと思う。
 もしかしたら、私はその時点で帰ったのかもしれない。
 ともあれ、以来、私はアイドルビジネスに心を許したことはない。
 思春期の純真につけこんだ、ネズミ講よりタチの悪い商売だと思っている。

 とはいえ、ユネスコ村に悪印象を抱くことはなかった。
 ユネスコという名前のつくあれこれについて、私たちは、点が甘い。

 ユネスコと名の付くものは、いずれであれ「世界の」「国際的な」「教養あふれる」「平和と人権のための」「善き人々による」「文化的な」何かだという思い込みを、私の世代の人間は、ごく幼い子供だった時分に、心の奥底に刻印している。

 であるから、世界遺産のような物件に対しても、ほとんど批判能力を持っていない。
 だからこそ、白神山地や、熊野古道や、富岡製糸工場や、富士山などなど、自分が多少とも知っている場所が登録されるたびにわがことのように喜んでいたわけだ。

 それが、どうやらおかしなことになっている。
 菅さんは、ユネスコへの拠出金を停止することを考慮しはじめていることを明言している。
 安倍晋三首相は遺憾の意を表明している。
 そのほか、何人かの政府関係者や自民党の幹部が、世界遺産の政治的利用を非難している。

 ヒゲの隊長として知られる佐藤正久参議院議員(自民)は、「歴史戦」という言葉を使って、政府が一体となってこの問題に当たることの重要性を指摘し、あわせて次回の「記憶遺産」の審議で、「慰安婦」が申請される事態にそなえて「先手」を打つことを訴えている(こちら)。
 私たちは、ユネスコに裏切られたのだろうか。
 そう考えるのは早計だ。

 何かに裏切られたと考えている人間の多くは、裏切られたというよりも、単にその何かに対して不当に高い期待を抱いてたことの報いを受けているに過ぎない。つまり、ハシゴをハズされたと思っているのは彼の側の勘違いで、彼はありもしないハシゴを登って中空に浮いていたのである。

 だとしたら、落ちるのも当然ではないか。

 調べてみると、「世界記憶遺産」という訳語自体、ややフレームアップくさい。

 本家本元の「世界遺産」が「World Heritage」であるのに対して、「世界記憶遺産」は、「Memory of the World」だ。ということは、「世界の記憶」ぐらいに訳しておく方が元の語感に近い。事実、メディアによっては「ユネスコ記憶遺産」と、より軽いニュアンスの訳語を採用しているところもある。

 「世界遺産」は、大看板だけに、影響力が大きい。
 そして、影響力が大きいということは、「さまざまな思惑で利用され得る」ということでもある。

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