百年文庫(95)
第95巻は「架」(火野葦平「伝説」 ルゴーネス・牛島信明訳「火の雨」 吉村昭「少女架刑」)
<東北地方の太平洋沿岸が津波で壊滅的な被害をこうむった東日本大震災の後、改めて注目を集めることになった作品に、1896年と1933年の大津波を題材にした吉村昭の『三陸海岸大津波』(1970年刊)があります。ドキュメントや歴史小説の傑作を数多く残している吉村は、綿密な取材をおこなって執筆することで知られており、この作品でもさまざまな話を生存者から聞き出して記録、津波の恐ろしさを読者に訴えかけます(妻で作家の津村節子さんは増刷分の印税を被災地に寄付したことが報道されていました)。この『架』に収録した『少女架刑』は、病院に献体された少女の遺体が解剖されていくさまを当の死んだ少女の視点から描いた、幻想的作風の初期の作品。記録文学とはまた違った吉村昭の一面をお楽しみください>
「伝説」は、突然消息を絶った「鈍重で、暗愚ではあるが、真摯で、傲岸で、怠惰な」河童の行方を「名探偵」が追究する。空に昇ったのではないかという女の河童の証言が現実味を帯びるが、結局行方を掴めなかった「名探偵」の信用は地に堕ちる。やがて、作家のところに一通の手紙が送られる。そこには、かつて多くの河童が大空めがけて昇っていったという「伝説」が綴られていた。
「火の雨」は、ある日突然燃え盛る銅の粒が落ちてくるという奇怪な出来事を描いた作品。ただ、その恐怖があまり迫ってこないのが残念。
「少女架刑」は、貧しい家に生まれた16歳の少女が、風邪をこじらせ肺炎を起こして死んでしまう。死体は大学病院に献体されることになり、家から病院に運び込まれるところから物語は始まる。死んだ少女の目で、一連の献体の処理される様が語られるのだが、それがまるで少女の目に固定されたカメラで撮影された映画を観ているような気分にさせてくれる。引き取り手のない骨が置かれた堂の棚に並べられた「私」は、闇の中で音がするのを聞くラストが、みごとだ。
<――ぎしッ、ぎしッ、ぎしッ、その音は次第に数を増した。
私はようやく納得できた。その音は、あきらかに古い骨壺の中からきこえてくる。古い骨が、壺の中で骨の形を保つことができずに崩れている……。
音は堂の中いたる所でしていた。それは間断のない音の連続であった。時折り、一つの骨が崩れることによって骨壺の中の均衡が乱れ、突然、粉に化すらしい音かきこえることもあった。
堂の中には、静寂はなかった。それは、音の充満した世界であった。骨のくずれる音が互いに鳴響しあっている。音だけの空間であった。私の骨は、凄まじい音響の中で身をすくませていた。>
<著者略歴
火野葦平 ひの・あしへい 1907-1960
福岡県生まれ。本名・玉井勝則。1937年に応召して中国へ渡り、翌年に『糞尿譚』で芥川賞を受賞。『麦と兵隊』など〈兵隊三部作〉を中国戦線で執筆して流行作家となった。その他の代表作に『花と竜』など。
ルゴーネス Leopoldo Lugones 1874-1938
アルゼンチンの詩人・小説家・ジャーナリスト。社会主義の影響を受け、新聞社勤務のかたわら、詩人として頭角を現す。近代アルゼンチン文学の基礎を築いたが、晩年は保守化して孤立、自殺を遂げた。代表作に『イスール』『火の雨』、詩集『黄金の山』など。
吉村 昭 よしむら・あきら 1927-2006
東京・日暮里生まれ。1966年に『星への旅』で太宰治賞を受賞後、戦史小説『戦艦武蔵』で作家の地位を確立。綿密な調査・取材に基づく作品で人気を集めた。その他の代表作に『三陸海岸大津波』『ふぉん・しいほるとの娘』『破獄』『天狗争乱』など。>