百年文庫(94)
第94巻は「銀」(堀田善衛「鶴のいた庭」 小山いと子「石段」 川崎長太郎「兄の立場」)
<家・家族を描いた3篇。お勧めは川崎長太郎の『兄の立場』で、長男の自分が文学を志して東京に出てしまったために、家業の魚屋を継がざるをえなくなった弟への思いを、飾り気のない率直な言葉で綴った私小説です。著者の川崎長太郎は、半世紀にわたってひたむきに私小説を書き続けてきたことに対して1977年に菊池寛賞を授与されていますが、この『兄の立場』は私小説作家・川崎長太郎の出発点ともいえる作品。西村賢太や小谷野敦らを通じて「平成の私小説」に注目が集まっている現在だからこそ、かつて「私小説の極北」と呼ばれた川崎の作品にも、ぜひ触れてみていただきたいと思います>
「鶴のいた庭」は、北前船でにぎわった能登の廻船問屋の旧家での思い出を綴ったもの。かつての隆盛を知る曾祖父が庭で飼っていた鶴を一日見て飽きない姿が、滅びていくものへの哀惜を語っている。生家の廻船問屋を題材にした長編小説の冒頭部分として書かれたが、自宅火事で資料を消失したため短編小説になったもの。だからといって、短編としての物足りなさはない。
「石段」は、佐渡への旅の途上で出会った、跛の父親とその子供の姉弟との不思議な縁を描いた作品。ラスト、傍若無人の父親を恥ずかしがる姉弟が、必死で石段を登る父親に駆け寄る場面が感動的。
「兄の立場」は、作家志望の「私」の代わりに家業の魚屋を継ぐことになった弟。私は気がとがめてならず、成績が良く絵も上手な弟を中学に進学させてやりたくて仕方ないのだが…。自分の不甲斐なさと、弟への思いやりが空回りすることにたまらなく罪悪感を抱いてしまう兄のどうしようもないやるせなさが描かれているのだが、私にはインテリ特有の、自分を責めている自分に酔っているようにしか思えなかった。初期の作品だから感情の垂れ流しのようで、読んで良い気分になれる作品ではない。それにしてもこの「私小説」というジャンル、中々奥が深い。
著者紹介
堀田善衞 ほった・よしえ 1918-1998
富山県生まれ。慶應義塾大学卒業。 1951年の『広場の孤独』『漢奸』で芥川賞を受賞。 乱世の中で歴史と向き合う人物を数多く描き、
アジア・アフリカ作家会議の推進にも力を入れた。 その他代表作に『方丈記私記』『ゴヤ』ほか。
小山いと子 こやま・いとこ 1901-1989
高知県生まれ。本名・池本イト。 社会的視野を持った作品を数多く手がけ、 1950年に『執行猶予』で直木賞を受賞。
人生相談の回答者を長年務めたことでも知られる。 代表作に『熱風』『オイルシェール』『皇后さま』ほか。
川崎長太郎 かわさき・ちょうたろう 1901-1985
神奈川県・小田原生まれ。 徳田秋声に師事したのち、 小田原の生家の物置小屋で暮らしながら、 私娼窟を題材にした私小説で人気を博す。 代表作に『路草』『抹香町』など。