百年文庫(55)
第55巻は「空」(北原武夫「聖家族」 ジョージ・ムーア・高松雄一訳「懐郷」 藤枝静男「悲しいだけ」)
<早春の美しい朝、画家になることを決意したその日から、「いくの」の新しい人生が始まった。理想の生活をひたむきに追い求め、辿りついたあまりにも無垢で素朴な生を描いた「聖家族」。酒場の匂い、群衆のざわめき。故郷を捨て、アメリカでの人生を選んだ男の目に鮮やかに浮かんだ景色とは。「懐郷」。結婚生活のほとんどを闘病に費やした妻と、彼女の死を看取った「私」。諦念、しかし希望を予兆させる強靭な魂の記録を描いた「悲しいだけ」。人生を生き抜こうとする者達の強さが圧倒的な三篇>
「聖家族」は、いかにも作り話めいた女性「いくの」の生涯を描いた作品。主人公である働き者でストイックな「いくの」の生涯をテーマに宇野千代が「或る客間での物語」を、里見弴が「釜芋さん」という小説を残しているということだが、作りものめいた主人公だからこそ、取り上げやすかったのだろう。
「懐郷」は、健康を害したアメリカの貧民街の酒場に勤める男が、故郷のアイルランドの村に療養のため帰ってくる。だが、村の生活に慣れて来ると、アメリカでの生活が恋しくなり…。故郷は「戻る場所」ではなく「懐かしむ場所」だった。
「悲しいだけ」は、結婚してすぐ肺結核に冒され35年にわたる闘病生活を送った妻の死を悼む物語。胸を打つというより、寂寞とした感じにさせられるラストはこうだ。
<「妻の死が悲しいだけ」という感覚が塊となって、物質のように実際に存在している。これまでの私の理性的または感覚的の想像とか、死一般についての考えとかが変わったわけではない。理屈が変わったわけではない。こんなものはただの現象にすぎないという、それはそれで確信としてある。ただ、今はひとつの埒もない感覚が、消えるべき苦痛として心中にあるのである。
私の頭の中の行く手に大きい山のようなものの姿がある。その形は、思い浮かべるどころか想像することも不可能である。何だかわからない。しかし自分が少しずつでも進歩して或るところまで来た時、自分の究極の行く手にその山が現れてくるだろう、何があるのだろう、わからないと思っているのである。今は悲しいだけである。>
<著者略歴
北原武夫 きたはら・たけお 1907-1973
小田原市生まれ、本名健男。
慶應義塾大学在学中より、翻訳、文芸評論などを発表、都新聞入社後も創作活動を続ける。1936年、宇野千代と共に日本初のファッション誌「スタイル」を創刊、編集と経営に奔走した。38年発表の『妻』が芥川賞候補となる。代表作に小説『マタイ伝』、評論『告白的女性論』など。
ジョージ・ムーア George Moore 1852–1933
アイルランドのメイヨー州に生まれる。画家をめざし、青年時代をパリで過ごした後、ロンドンで執筆活動に入る。自伝的小説『一青年の告白』や、社会の貧困を描いた『エスター・ウォーターズ』で文名を高める。外国作品の普及や、母国の文芸復興運動にも尽力した。
藤枝静男 ふじえだ・しずお 1908-1993
静岡県生まれの作家、眼科医。本名勝見次郎。旧制八高時代の友人・平野謙と本多秋五に勧められ初の短篇『路』を執筆、結核を病む妻を描いた。代表作に『空気頭』(芸術選奨文部大臣賞)、『欣求浄土』、『愛国者たち』(平林たい子賞)、『田紳有楽』(谷崎潤一郎賞)など。