偏読老人の読書ノート

すぐ忘れるので、忘れても良いようにメモ代わりのブログです。

邪魔をしてはいけない?

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 写真の絵は風間完さんの「エンピツ画のすすめ」(朝日文庫)の中の挿絵の一枚である。そして、この本の中で私が一番好きな絵である。もっと言えば、この絵をじっくり見たくてこの本を買ったと言っても言い過ぎではないだろう。絵画の世界に疎い私は「風間完」という人がどんな画家であるのか良く知らない。良くは知らないがおそらく女性を観る目が私と相似しているのではないかと想像することができる。


 <何よりも大切なのは、目の中に美しいものをいつも見たいという願望を秘めたきらめきがあるということ。そして口は優しく良き言葉がそこからついて出てきそうな、そういう眼や口でありたいものだと思います。このことが年齢とは別の意味で若々しく張りのある顔をつくる要点であり、かつまた、美しい女性を描こうとする時いつも私が考えていることでもあります (女性の顔について)>


 男でも女でも、仕草や表情がとてつもなく愛らしく見えるときがある。つい先刻まで何とも思わなかったのに、たったひとつの仕草、表情が。そしてそのように愛らしく見えたそのとき、人はストンと恋に落ちる。そのうえ口惜しいことに、どうして好きになったのかうまく説明できないから始末が悪い。 そんなときこんなセリフをつぶやいてみればどうだろう。フランス映画「天井桟敷の人々」に登場する孤高の犯罪詩人ラスネールのつぶやき。


「誰も愛さない・・・・絶対の孤独! 誰にも愛されない・・・・絶対の自由!」


思わず唸っちゃいませんか、「上手い!」って。そう、どういうわけか男は「孤独」と「自由」という言葉に滅法弱い生き物だ。だが、所詮言葉はいつも「恋」という感情の前でその無力さをさらけだす。そんな恋する男の心を嘲笑うようにラスネールのこんなセリフもある。


「女は誰のものでもない以上、嫉妬はすべて男のものだ」


 最近特に思うのだが、どうも私には論理的な明晰さというものが欠落していて、書いている記事を読み直してみても、「言葉」の意味よりも「言葉」そのものの響きであるとか、イメージにこだわりがちである。自分の思いを言葉に変換する時、私は「ENTER」を押すのではなく、想像力の扉を押そうとするのだ。だが、悲しいかなその扉は軽く小指で押すだけではびくともせず、思い切って体当たりをしてみるのだが、そのたびに弾き返されてしまう。どうやら私の「想像力の貧困」は、「自らの想像力の貧困」を想像できないところにあったようだ。 怠け者を自称する私にぴったりのフレーズがあるのを知ったのはつい最近のことである。


 <彼が自分自身になまける権利を与えるためには、その白紙の原稿の上に、蝿が一匹とまるだけで十分だった。そうすると彼は書くのをやめた――。蝿の邪魔をしてはいけない、と思って。    (ジュール・ルナアル「博物誌」)>

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