「昭和」が終わって三十数年。あなた自身が「昭和人間」の場合も、身近な「昭和人間」についても、取り扱い方にはちょっとしたコツが必要です。有効で安全なやり取りをするために考えた書籍 『昭和人間のトリセツ』 。「昭和人間」ならではの持ち味や真価を存分に発揮したりさせたり、インストールされているOSの弱点をカバーしたりするだけで、世代を超えた有意義な時間やコミュニケーションが生まれるかもしれません。今回は日本に対する“セルフイメージ”について。
人は「過去の栄光」が、なかなか忘れられません。そして、漠然と抱いている「セルフイメージ」は、最も輝いていた時期をベースにしがち。今は「セルフイメージ」から遠くかけ離れていると分かってはいても、素直に認めるのは至難の業です。
いや、個々人の過去と現在の話ではありません。確かに昭和人間は、自分自身に関しても「セルフイメージ」と実態とのギャップを折に触れて感じさせられています。微妙に重なる話かもしれませんが、ここで考えたいのは、「日本」という国に対する認識について。「世界の中の日本」をどうイメージしているかは、昭和人間と若者の皆さんとの間に、大きなギャップがあるといえるでしょう。
昭和人間にとっての「世界の中の日本」は、バブル期のイメージを引きずっています。世界有数の経済大国で、勤勉さではどこにも負けない国で、欧米先進国から一目置かれていて、アジアのリーダーとして周辺諸国に「憧れ」を抱かれていて……。もちろん、現状はぜんぜんそうではありません。昭和人間も「最近は違うらしい」と気づいています。しかし、染み付いたセルフイメージは、なかなか変えられません。
昨今は繁華街でも観光地でも、外国から観光にやってきたと思われる家族連れやグループをたくさん見かけます。ある時、同年代の友人(60代)と一緒に繁華街を歩いていたら、アジア系の外国人の若者グループとすれ違いました。それぞれ大きなスーツケースを引きずっています。友人は振り返って彼らの背中を見ながら、「みんなで日本に旅行に来るなんて、若いのにけっこうお金持ちなんだね」と感心した口調でつぶやきました。
もちろん、悪気も他意もありません。友人の中では「貧しい(と見ている)国から、日本という金持ち(と見ている)の国に来るのは、とても贅沢なことに違いない」という認識があるのでしょう。しかし、その認識は完全に過去のものです。しかも、かなり失礼です。私は「お金持ちじゃないから日本に来たのかもしれないよ」と返して、今の日本は「激安な国」なんだという話をしましたが、あんまり伝わっていない感じでした。
昭和人間が子どもの頃や若い頃、いわゆる高度経済成長の時期の日本は、まさに「飛ぶ鳥を落とす勢い」という言葉がピッタリでした。GNP(国民総生産)で西ドイツを抜いてアメリカに次ぐ世界2位になったのは、1968(昭和43)年のこと。現在50代の昭和人間は、物心ついた頃から「日本は世界第2位の経済大国」と思って生きてきました。
アメリカの社会学者エズラ・F・ヴォーゲルが日本や日本人をホメ称えた本『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が大ベストセラーになったのは、バブル前夜の1979(昭和54)年のこと。当時の企業戦士たちは、大きな背中を追ってきた超大国の学者にそう言ってもらって、しみじみと喜びをかみしめたものです。令和の今、もし同じタイトルの本が出たとしたら、皮肉か冗談としか受け取られないでしょう。
日本人が日本という国への自信を最も過剰に膨らませていたのは、昭和末期のバブルの頃です。「調子に乗っていた」と言ってもいいでしょう。「ジャパンマネー」にものを言わせて海外の資産や有名な絵画を高額で買いあさり、同時に世界からひんしゅくも買っていました。やがてバブルがはじけて、それなりに意気消沈します。しかし「アメリカに次ぐ経済大国」「アジアの絶対的なリーダー」という自意識は持ち続けていました。
しかし、2010(平成22)年にGDP(国内総生産)で中国に抜かれて世界3位になります。さらに先日、2023年の名目GDPでドイツに抜かれて世界3位から4位に転落したことが発表されました。ちなみにドイツの人口は、日本の約7割です。
経済活動の規模を示す指標は、かつては「GNP」が主流でしたが、グローバル化が進んで「国民」の総生産でくくると正確に把握できなくなってきたため、21世紀に入ってからは「国内」の総生産を示す「GDP」が用いられるようになりました。
「国際的に見て日本の立ち位置が低下している」という現実を受け入れられない昭和人間は、「今は円安だからドル建てで計算したら不公平だ」なんて反論していますが、もはやそういう問題ではないのは明らかです。念のためですが、ここで言っているのはあくまで経済力の話で、日本がダメな国になったと言いたいわけではありません。
バブル自慢は過去のモテ自慢と捉える
繰り返し書きますが、昭和人間も「日本はもうお金持ちの国ではない」ことは、自分自身の経済的な余裕のなさとも相まって、十分に実感しています。外国人観光客が日本の「物価の安さ」に驚いているとか、インバウンド向けリゾート施設のラーメンや海鮮丼がやたら高いといったニュースを見ると、デジャブを覚えずにいられません。
かつて日本人も先進国ではない国に旅行に行ったときに、物価水準の違いや円高のおかげで贅沢三昧したり、レストランで地元価格とはかけ離れた値段を吹っかけられて「まあしょうがないか」と思いながら払ったりといったことをさんざんしてきました。今、日本に来ている外国人観光客のみなさんは、同じ経験をしているわけです。
世界の中での日本の立ち位置の変化は分かっていても、残念ながら一部の昭和人間は、海外から日本に働きに来てくれている人に対して「日本の豊かさに憧れて貧しい国から出稼ぎに来た人たち」という見方を持ち続けています。外国人観光客に対して、相手の属性などから「見下してもいい理由」を探す癖がある人もいます。
「自分はそんなことはしない」と思っている人だって、油断は禁物です。「過去の栄光」にすがりたい気持ちや、日本に対するイメージにバブルの残像が紛れ込んでしまう可能性は、誰もが抱えていると思ったほうがいいでしょう。ことさら卑下したり意気消沈したりする必要はありませんけど、ありのままの「今の日本」を受け入れたいものです。
こういう話になると、政治や政治家がどうとか声高に批判を繰り広げる昭和人間もいますが、それはまた別の問題。ムキになって「日本の素晴らしさ」を強調したがる(≒他国を貶めたがる)人も少なくありません。どちらも、プライドを埋め合わせようとしている点では同じ。みっともなくて不毛な悪あがきであることを自覚したいものです。
若者の皆さんは、昭和人間に「バブルの頃はこうだった」みたいな話をされたところで、どうでもよすぎて腹も立たないでしょう。「過去の栄光が忘れられないんだな」と少しほろ苦い気持ちになって、実害がない限りは聞き流してください。過去のモテ自慢と同じで、「今は違いますよね」と返すのは残酷です。
日本が「お金持ちの国」という前提で、ちょっとズレた認識の話をしてきたときも同じ。会議の場なら反論したほうがいいですけど、雑談の場合は親切に現状を説明してあげる必要はありません。ちょっと説明されたぐらいで現状を認める理解力と度量があるなら、とっくに認めています。昭和人間も昭和人間なりに頑張ってはいるんですが、何かと至らないところだらけですみません。
- 華やかだった頃の「残像」に引きずられないように注意
- 「豊かな日本」を刷り込まれ続けてきた影響を自覚したい
- 「日本はすごかった」の話は過去のモテ自慢と同じである
文/石原壮一郎
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