反党分子『紙屋研究所』に突っ込む(2024年12/30日分)ほか(副題:森田拳次の訃報)

◆紙屋のツイート

紙屋高雪
 森田拳次は現役連載時代*1はぼくの生まれるずっと前で、ぼくにとっては『ぼくの満州*2』など「引揚体験マンガ家」という印象。
 でも、年配の人が時々「あの議員が自分で作ってきたビラが、丸出ダメ夫で*3」とかよく言っていた。
「丸出だめ夫」人気博した漫画家・森田拳次さん死去、85歳…ちばてつやさんらと戦争体験伝える | ヨミドクター(読売新聞)2024.12.25

 俺的には森田といえば、第一に「フジテレビ土曜6時半のアニメ枠で放送されていた丸出だめ夫(1991年11月~1992年9月:だめ夫役が、これがアニメ初主演の鉄炮塚葉子氏(1964年生まれ)、だめ夫の父親『丸出はげ照』が『目玉おやじ(ゲゲゲの鬼太郎)』等で知られる田の中勇氏(1932~2010年)、はげ照が製造したロボットが『クリリン(ドラゴンボール)』『ルフィ(ONE PIECE)』などで知られる田中真弓氏(1955年生まれ))」ですね。1970年生まれの紙屋は「もはやそんなアニメなど見る気にはならなかった」のか、はたまた「関東ローカルの放送」で紙屋は見られなかったのか。
 「おそ松くん(フジ:1988年2月~1989年12月)」「ひみつのアッコちゃん(フジ:1988年10月~1989年12月(第2シリーズ)、1998年4月~1999年2月(第3シリーズ))」「平成天才バカボン(フジ:1990年1月~12月)」「レレレの天才バカボン(テレビ東京:1999年10月~2000年3月)」とか一時期「懐かしまんが」のアニメ化がされたことがありますが、フジ「丸出だめ夫」もその一つです。
 「フジテレビ土曜6時半」枠は今はバラエティ枠になっていますが、「タイムボカン(1975å¹´10月~1976å¹´12月)」「ヤッターマン(1977å¹´1月~1979å¹´1月)」「ゼンダマン(1979å¹´2月~1980å¹´1月)」「タイムパトロール隊オタスケマン(1980å¹´2月~1981å¹´1月)」「ヤットデタマン(1981å¹´2月~1982å¹´2月)」「逆転イッパツマン(1982å¹´2月~1983å¹´3月)」「未来警察ウラシマン(1983å¹´4月~12月)」「OKAWARI-BOY スターザンS(1984å¹´1月~8月)」「ゲゲゲの鬼太郎(1985å¹´10月~1988å¹´2月)」「おそ松くん(1988å¹´2月~1989å¹´12月)」「平成天才バカボン(1990å¹´1月~12月)」「おれは直角(1991å¹´1月~10月)」「幽☆遊☆白書(1992å¹´10月~1995å¹´1月)」「NINKU -忍空-(1995å¹´1月~1996å¹´2月)」「みどりのマキバオー(1996å¹´3月~1997å¹´7月)」「烈火の炎(1997å¹´7月~1998å¹´3月)」「花さか天使テンテンくん(1998å¹´10月~1999å¹´9月)」「HUNTER×HUNTER(1999å¹´10月~2001å¹´3月)」「パラッパラッパー(2001å¹´4月~9月)」「バンパイヤン・キッズ(2001å¹´10月~2002å¹´3月)」など長い間、アニメ枠でした(フジテレビ土曜夕方6時台枠のアニメ - Wikipedia参照、このうち赤字はタイムボカンシリーズなどタツノコプロ作品、青字は週刊少年ジャンプ連載作品)。
 第二に、公明新聞に連載されていた「あしたの女王*4」ですね。

ふじぽんぽん
 「あしたの女王」が休載中だったので心配してたのよね
「丸出だめ夫」「ロボタン」の作者・森田拳次さん死去 盟友・ちばてつや氏が報告「ワシと同じ85歳で…」 - ライブドアニュース

おめでとう 結党50年 | ニュース | 公明党2014.11.17
漫画家・森田拳次氏
 結党50周年、おめでとうございます。公明新聞の日曜版に「時事ばあチャン」を描き始めて以来、35年ほど、本当に長いお付き合いになりました。現在、執筆している「あしたの女王」も15年になります。


ドラえもんに受け継がれた『丸出だめ夫』ボロットの遺伝子 : 読売新聞
 受け継がれてるかどうかはともかく「お世話ロボットの登場」「ダメな主人公」という設定は似ています。

森田拳次先生の訃報 - 藤子不二雄ファンはここにいる
 2016年7月、戦争と平和の資料館ピースあいちで行なわれた森田拳次先生の講演会も心に残っています。
 この講演会で森田先生がだめ夫とのび太を比較して語られる一幕がありました。中国で丸出だめ夫を描くとよくのび太と間違えられるのだとか。
 森田先生はこんなことをおっしゃっていました。
『中国へ行って丸出だめ夫の絵を描くと、のび太と間違えられることが多い。「のび太とは違う」と否定すると、「じゃあ、のび太のマネか?」と言われるので、「のび太よりだめ夫のほうが先だ*5」と返すと、「じゃあ、のび太がだめ夫のマネなのか?」と言われ、「いや、それも違う」と、そんなやりとりになった。のび太よりだめ夫のほうが先に描かれたことを知った中国人から「のび太の創始者」扱いを受け、群衆に囲まれて「のび太を描いてくれ〜!」「ドラえもんを描いて〜!」と大変なことになったこともある(笑)』

という記事もありますね。

*1:『丸出だめ夫』(週刊少年マガジン1964~1967年)、『ロボタン』(少年画報1966年9月号~1968年9月号)などを連載していた時代のこと。後にほぼ引退状態になった赤塚不二夫とは違い、『丸出だめ夫』等「ある程度の長さがあるストーリーマンガ」から、『あしたの女王』など「4コママンガ」に移行したとは言え、最晩年まで森田は一応現役漫画家だったと思います。

*2:1995年、亜紀書房。森田同様に満州引揚体験マンガ家である赤塚不二夫、上田トシコ、北見けんいち、高井研一郎、ちばてつや、古谷三敏、山内ジョージ、横山孝雄との共著(このうち、赤塚、上田、高井、古谷、横山は既に森田同様故人)。

*3:俺もそういうのは色々ありますね。「当たり前田のクラッカー」とか

*4:勿論「あしたのジョー」とかけている

*5:丸出だめ夫の連載開始が、1964年の『週刊少年マガジン(1967年まで連載)』、ドラえもんの連載開始が『よいこ』『幼稚園』『小学一年生』『小学二年生』『小学三年生』『小学四年生』1970å¹´1月号(連載雑誌の変更はあるが、1997年まで連載(なお、藤子・F・不二雄は1996年に死去))(丸出だめ夫 - Wikipedia、ドラえもん - Wikipedia参照)