さて今日は比較的最近の本で、しかもめちゃくちゃ流行った、しかも流行からはかなり遅れ気味の本を紹介する。
サンデルの「これからの正義の話をしよう」である。
「NHK教育テレビで、ハーヴァード大学の教授が政治哲学の講座をやっているのが流れている、ものすごい人気のある講座で、大きな講堂がぎゅうぎゅうになっている」というウワサをツイッターで聞いたのが2010年の4月のこと。
それから、テレビを見ながら、ツイッターで意見を交換するのが習慣になった。
結構楽しかった。
サンデルの「これからの正義の話をしよう」である。
「NHK教育テレビで、ハーヴァード大学の教授が政治哲学の講座をやっているのが流れている、ものすごい人気のある講座で、大きな講堂がぎゅうぎゅうになっている」というウワサをツイッターで聞いたのが2010年の4月のこと。
それから、テレビを見ながら、ツイッターで意見を交換するのが習慣になった。
結構楽しかった。
講義は「ソフィーの世界」のように哲学の歴史を順に追っていく形式になっているが、「もし一人を殺せば五人が助かる場合どうするか」のような問題が随所に挟まるのが特徴である。
「病気で歩くことは出来ないが、スイングはすごくうまいゴルファーが、電動カートを使って大会に出ることを認めるべきか」
「アメリカで傷病軍人に与えられるパープルハート勲章を、ヴェトナム戦争でPTSDを受けた兵士にも適用すべきか」
といった、現実に今まさに起こっている、ホットなトピックを扱う。
こういった問題について、大学生同士に議論させる。
サンデルが何か問題を出すたびに、数多くの学生がサッと手を上げ、サンデルが生徒を指してマイクを渡す。
「いま、ジョシュアは面白い意見を述べた」
「ジョシュアの意見に反対の人は・・・すごく多いね!」
「君、名前は? マリリンか。マリリンの意見は、ジョシュアの見解を真っ向から否定することになるね!」
という風に、学生の名前を聞いてその名前を後々まで使うのが面白い。
そして「今のジョシュアの見解をカントだったらどう言っただろうか」「アリストテレスはジョシュアの意見に賛成しただろうか」と言う風に今日のテーマとたくみに絡めて行く。
学生同士の議論も活発にしなければいけないが、講義のノルマは果たさないといけないのだ。
このへんのスポンティーニアスな能力がすばらしい。
感心したのがハーヴァードの学生がガーガー手を上げて、刺戟的な意見を述べることだ。
もっとも面白かったのが、ある大学で白人の女の子が受験に失敗したので、調べたところ明らかに自分よりも出来の悪い黒人の子が合格していたのが分かった、と言う問題だ。
この女の子は大学を相手取って訴訟を起こすが、大学は「一定の割合の黒人の生徒を合格させる政策(アファーマティヴ・アクション)があった。それを履行したまでで、合法である」と言う。
このことをどう思うかサンデルが尋ねると、生徒がいっせいに手を上げる。
見事に黒人の生徒と白人の生徒で見解が分かれるのである。
「私は大学は正しいと思う。黒人は長い間迫害されてきた。白人はその借りを返すべきだ」
「ちょっと待ってよ。黒人を迫害したのは私じゃないわ。私の父でも、おじいちゃんでもないわ。なぜ他の人がやったことを、今の受験生が償わなくてはいけないの」
「でも普通に受験していれば、現実問題として貧しい黒人は十分に勉強できず、合格できない。そうすると黒人のインテリは世に出られないから、大学は多様な生徒を得られないし、黒人の意見は社会に反映されない」
「貧しい白人はどうなるんだい。君は黒人だけど、ハーヴァードに来れている君が貧しいとは思えないね!」
みたいな、記憶に頼って適当に書いているが、本当にこんな調子である。
考えて見ると、ハーヴァード大学だから、この学生たちはアメリカを動かす。
ということは世界をある程度動かすことになるのである。
ということは、ここで行われている議論は、自分たちが属する集団を社会の中でより高い扱いにするにはどうすればいいかを、ある程度直接的に反映している。
このテレビや本のパッケージングは、ちょっと難しい言葉を覚えて頭が良く見えるようになろうとか、ハーヴァードという「知のブランド」の香りをなんとなく味わおうといういやらしい動機を喚起する。
ぼくについても、そんな動機はどうしようもなくあった。
しかし、見ているうちに、これはどうしようもなく現実の問題だ、と思った。
確かに難しく、堅苦しく、そうでなくても暗く、重苦しい議論である。
でもこれをぼくたちはきちんと学び、自分で考えるべきだ。
さもなければ、ぼくたちと反対の立場で、ちゃんとやってる奴らにやられ放題になるのである。
これはサバイバルの問題だ。
あとサンデルと池上彰は全然違う。
「病気で歩くことは出来ないが、スイングはすごくうまいゴルファーが、電動カートを使って大会に出ることを認めるべきか」
「アメリカで傷病軍人に与えられるパープルハート勲章を、ヴェトナム戦争でPTSDを受けた兵士にも適用すべきか」
といった、現実に今まさに起こっている、ホットなトピックを扱う。
こういった問題について、大学生同士に議論させる。
サンデルが何か問題を出すたびに、数多くの学生がサッと手を上げ、サンデルが生徒を指してマイクを渡す。
「いま、ジョシュアは面白い意見を述べた」
「ジョシュアの意見に反対の人は・・・すごく多いね!」
「君、名前は? マリリンか。マリリンの意見は、ジョシュアの見解を真っ向から否定することになるね!」
という風に、学生の名前を聞いてその名前を後々まで使うのが面白い。
そして「今のジョシュアの見解をカントだったらどう言っただろうか」「アリストテレスはジョシュアの意見に賛成しただろうか」と言う風に今日のテーマとたくみに絡めて行く。
学生同士の議論も活発にしなければいけないが、講義のノルマは果たさないといけないのだ。
このへんのスポンティーニアスな能力がすばらしい。
感心したのがハーヴァードの学生がガーガー手を上げて、刺戟的な意見を述べることだ。
もっとも面白かったのが、ある大学で白人の女の子が受験に失敗したので、調べたところ明らかに自分よりも出来の悪い黒人の子が合格していたのが分かった、と言う問題だ。
この女の子は大学を相手取って訴訟を起こすが、大学は「一定の割合の黒人の生徒を合格させる政策(アファーマティヴ・アクション)があった。それを履行したまでで、合法である」と言う。
このことをどう思うかサンデルが尋ねると、生徒がいっせいに手を上げる。
見事に黒人の生徒と白人の生徒で見解が分かれるのである。
「私は大学は正しいと思う。黒人は長い間迫害されてきた。白人はその借りを返すべきだ」
「ちょっと待ってよ。黒人を迫害したのは私じゃないわ。私の父でも、おじいちゃんでもないわ。なぜ他の人がやったことを、今の受験生が償わなくてはいけないの」
「でも普通に受験していれば、現実問題として貧しい黒人は十分に勉強できず、合格できない。そうすると黒人のインテリは世に出られないから、大学は多様な生徒を得られないし、黒人の意見は社会に反映されない」
「貧しい白人はどうなるんだい。君は黒人だけど、ハーヴァードに来れている君が貧しいとは思えないね!」
みたいな、記憶に頼って適当に書いているが、本当にこんな調子である。
考えて見ると、ハーヴァード大学だから、この学生たちはアメリカを動かす。
ということは世界をある程度動かすことになるのである。
ということは、ここで行われている議論は、自分たちが属する集団を社会の中でより高い扱いにするにはどうすればいいかを、ある程度直接的に反映している。
このテレビや本のパッケージングは、ちょっと難しい言葉を覚えて頭が良く見えるようになろうとか、ハーヴァードという「知のブランド」の香りをなんとなく味わおうといういやらしい動機を喚起する。
ぼくについても、そんな動機はどうしようもなくあった。
しかし、見ているうちに、これはどうしようもなく現実の問題だ、と思った。
確かに難しく、堅苦しく、そうでなくても暗く、重苦しい議論である。
でもこれをぼくたちはきちんと学び、自分で考えるべきだ。
さもなければ、ぼくたちと反対の立場で、ちゃんとやってる奴らにやられ放題になるのである。
これはサバイバルの問題だ。
あとサンデルと池上彰は全然違う。