ぼくぐらい字をたくさん書いていて、いろいろ物を考えていたら、やはり最終的に書きたいのは小説である。
別に芥川賞、直木賞を取れなくてもいいし、新人賞も取れなくていい。
ネットで発表する手もあるし、KDP(Kindle Direct Publishing)というワザもある。
別に芥川賞、直木賞を取れなくてもいいし、新人賞も取れなくていい。
ネットで発表する手もあるし、KDP(Kindle Direct Publishing)というワザもある。
ぼくは小説を読むのが好きで、いい小説わるい小説の違いも分かっているし、面白い筋書きや燃える展開ぐらい考えられそうな気がする。
高校の頃から書きかけては消したりしている。
でも、出来ない。
小説を書くという行為に構造的な問題を見出し、根本的な解決方法が分からないのである。
ぼくは小説を書くのであれば、社会の問題を扱おうと思っている。
単純に自民党がどうの、民主党がどうのという問題ではなく、貧困や差別の問題、正義や悪の問題を書こうと思っている。
それは、ぼくが社会的な問題や正義感にあふれているというからではなくて、その方がノりやすいしスカッとすると思っているからだ。
たとえそういうものを意識しないで書こうと思っても、ついついそうなると思う。
いまの激動の世の中に住んでいて、逆に社会性がまったくない作品を書く方が難しい気がする。
で、そうなるとどうしても、正しい人が勝って間違った人がみじめに敗北するスカッとする小説にしようと思っている。
絶対、ついついそうなってしまうので、だったら最初からそうしようと思う。
でも、世の中は、運や風向きに非常に左右される。
努力や才能よりも運に左右される部分が大きいのだ。
そうすると、正しい人がここぞというときには運がいい展開にしないといけない。
これが書きにくい。
ウソっぽいから、リアルでないからという意味ではない。
ぼくは小説なんか「花も実もある嘘八百」でいいと思っている。
ただ、小説家は神の立場で、自分がいい感じに運命をあやつるのは、やりにくい感じがするのだ。
「こんなに都合よくいくか?」と、書く方が半ば白けているのに、感動的な文章を書けるものだろうか。
ぼくは何人か小説家の知己を得て、この問題を聞いたが、いずれも納得のいく回答を得られなかった。
「自然に書いているだけだ」と言う風に言われる。
言いにくそうにしていたから、企業秘密かもしれない。
ぼくも人の小説を読んでいて、作者の神様性が鼻についたことはない。
読んでいるときは没入していて、作者の存在を忘れている。
やはり制作者と読者は違う脳の働かせ方をしているのだろう。
一番この問題に近い回答を得たと思ったのは「バクマン。」というマンガである。
しかしこのマンガも、いちばん肝心なところはぼかしていたような気がする。
このマンガに出てくるおびただしい劇中マンガは、あまり面白くなさそうなのである。
良く分からない。
小説は最初から最後まで、内容が白日の下にさらされている点で、美術や料理、音楽とは違う。
オープンソースなのである。
好きな小説を一冊まるまる写してみたり、小説のあらすじを抜き書きしてみたりすれば、何か分かるかもしれない。
高校の頃から書きかけては消したりしている。
でも、出来ない。
小説を書くという行為に構造的な問題を見出し、根本的な解決方法が分からないのである。
ぼくは小説を書くのであれば、社会の問題を扱おうと思っている。
単純に自民党がどうの、民主党がどうのという問題ではなく、貧困や差別の問題、正義や悪の問題を書こうと思っている。
それは、ぼくが社会的な問題や正義感にあふれているというからではなくて、その方がノりやすいしスカッとすると思っているからだ。
たとえそういうものを意識しないで書こうと思っても、ついついそうなると思う。
いまの激動の世の中に住んでいて、逆に社会性がまったくない作品を書く方が難しい気がする。
で、そうなるとどうしても、正しい人が勝って間違った人がみじめに敗北するスカッとする小説にしようと思っている。
絶対、ついついそうなってしまうので、だったら最初からそうしようと思う。
でも、世の中は、運や風向きに非常に左右される。
努力や才能よりも運に左右される部分が大きいのだ。
そうすると、正しい人がここぞというときには運がいい展開にしないといけない。
これが書きにくい。
ウソっぽいから、リアルでないからという意味ではない。
ぼくは小説なんか「花も実もある嘘八百」でいいと思っている。
ただ、小説家は神の立場で、自分がいい感じに運命をあやつるのは、やりにくい感じがするのだ。
「こんなに都合よくいくか?」と、書く方が半ば白けているのに、感動的な文章を書けるものだろうか。
ぼくは何人か小説家の知己を得て、この問題を聞いたが、いずれも納得のいく回答を得られなかった。
「自然に書いているだけだ」と言う風に言われる。
言いにくそうにしていたから、企業秘密かもしれない。
ぼくも人の小説を読んでいて、作者の神様性が鼻についたことはない。
読んでいるときは没入していて、作者の存在を忘れている。
やはり制作者と読者は違う脳の働かせ方をしているのだろう。
一番この問題に近い回答を得たと思ったのは「バクマン。」というマンガである。
しかしこのマンガも、いちばん肝心なところはぼかしていたような気がする。
このマンガに出てくるおびただしい劇中マンガは、あまり面白くなさそうなのである。
良く分からない。
小説は最初から最後まで、内容が白日の下にさらされている点で、美術や料理、音楽とは違う。
オープンソースなのである。
好きな小説を一冊まるまる写してみたり、小説のあらすじを抜き書きしてみたりすれば、何か分かるかもしれない。