ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

「東京から考える」再考|「思想地図vol3」東浩紀、北田暁大、原武史の鼎談より

2009å¹´08月11æ—¥ | èª­æ›¸
「思考地図 vol.3」の中で、東浩紀、北田暁大、原武史の鼎談「『東京から考える』再考」が掲載されていた。「東京から考える」は東浩紀、北田暁大の2人が、「東京」という存在の都市論を語った2007年の著作。70年代~80年代にかけて登場した広告都市・渋谷や広告郊外・青葉台、そして90年代に台頭してきた、大型ショッピングセンターやファミレスなどロードサイドショップが軒をつらねどこであろうと快適な均質空間が続く国道16号的郊外・ジャスコ的郊外について論じている。

特に下北沢のような個性ある街を巡って二人の考えの違いが明確で、東浩紀が「アーキテクチャ的な環境管理(ex.ジャスコ的郊外)は否定してもしかたがないと考え、アーキテクチャ的な自己生成的なあり方を認め、そのことで人間的な街(ex.下北沢)が消えていくとしても必然性がある」と考え、北田暁大は「もう少し人間的にアーキテクチュアに介入する可能性がある」と考えている。

今回の鼎談は原氏が入ったことで、議論としては抽象論だけでなく、独自性ももった郊外の成立要件の歴史性のようなものが加味されたのではないかと思う。


思想地図〈vol.3〉特集・アーキテクチャ (NHKブックス別巻)

郊外の開拓に際して、西武や東武、新京成は1DK~3DKの「賃貸」を中心に進め、東急は「分譲」を中心にそれも3DKや3LDKといったアッパーミドル以上を対象とした。さらに「金妻」ブームの頃からは、田園都市線は「団地」ではなく「一戸建て」が中心となっていく。阪急の小林一三から五島慶太が学んだ手法を用い、計画的に田園都市線地域の開発を進め、結果、「東急は隙間なく、西武はすかすかな感じがする」「青葉台は無駄なものが全くない。空間という空間が住宅地や商業施設、スポーツジムなど、人で埋め尽くされている」状態となった。

しかしその一方で「広告郊外」である青葉台も、国道246号沿いにはヤマダ電機の2号店ができたり、高級スーパーの紀ノ国屋が潰れ格安のフジスーパーが立ったりと、国道16号的な郊外が広がりつつある。「広告郊外」の展開が臨界点に達し、「国道16号的な」リアリティがせり出しつつある。

その都市の歴史性という意味では、都市と政治の問題からもわかる。

例えば「清瀬」という町は「結核」の病棟が多く、そうした背景があって共産党のシンパが強い地域となった。

初期の団地ができた頃というのは60年代安保の時期とほぼ重なっている。自治会とは別に「香里ヶ丘文化会議」などの組織が出来上がって行くのだけれど、そこに共産党の影響を受けているものも少なくない。これは団地というものが、駅から一定程度隔離され(バスで通うなど)、均質的な建物が続き、住民の同質性が担保された状態であるというアーキテクチュア的な規定がある上で、実際にそこに入居してみると、共通のさまざまな問題に直面したからだろう。

共稼ぎしようとしても保育所がない、スーパーがあるけれど高くてまずい、バスが少ない、駅に急行や特急が止まらない…などなど。そこで保育所をつくったり、青空マーケットを実施したりと、少しずつ自らの手で住みやすい環境に変えていくための「運動」を起こしていく。こうした運動は、安保闘争を通じて、団地住民が民主主義とは何かを考えていくことになる。安保闘争で政治の季節が終わったのではなく、住民運動という形で引き継がれていったのだ。

一般的に団地や都市部では革新カラーが強いといわれているが、しかし、田園都市線沿線ではこうした革新勢力よりも自民党支持率が高い。特にたまプラーザでは団地ができてから7年近くも自治会自体が存在しないといったケースもあった。「団地」の場合、自治会だけでは足りないから別の組織を作るという発想なのに、自治会さえも作らないという「政治」に対する警戒心が強い。これは東急の分譲・戸建戦略の影響なのだろう。神奈川県という郊外は、そうした影響からか、「政治嫌い」(政治色がない)という政治性を帯びることとなる。

つまり都市にはその歴史性が反映されているのだ。

これに対して「東京」という都市は、敗戦国になったにも関わらず天皇制が維持されたということもあって、敗戦までの歴史をきちんと説明するパビリオンがない都市となった。かっては占領軍のパレードやメーデーの会場にもなった「皇居前広場」が今ではその政治性が一切忘却されている。特に60年代以降、皇居や天皇制についての議論がタブー化されていった。

こうした空間から政治的営みの痕跡を読み解くという「空間政治学」的アプローチというのは、メディア論としてもアーキテクチャ分析にも大きな示唆を与えてくれるだろう。こうした空間政治学的な視点というのは、実存的な問題から一定の距離をとり、都市空間の政治性を見出していく上でも有効だろう。

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この話の中での論点は2つ。都市というのは結局は「歴史性」によって作られていくものだということ。そして現在、「国道16号線的郊外」のリアリティが、広告郊外である青葉台を含めて、席巻しようとしているということ。そしてもう1つが「空間政治学」という言葉で示されているように、動物化した社会・環境管理型権力を分析するためのアプローチとして、「空間政治学」という言葉で示されたようなアーキテクチャ的な分析が有効かどうかという点だ。

前者については、「動物化するポストモダン」以降の問題意識の延長であり「東京から考える」との補完関係といっていいだろう。この鼎談の中でも触れられていたが、かっては自らの住環境・生活空間をより快適にするために、住民自らが「運動」を起こし、そのことが政治への関心を高めていったのだとすると、今、我々が「動物化」した背景の一つとして、住民が自ら働きかけなくなっても「快適な」生活空間が実現されてしまうから、なのだはないか。

60年代、70年代というのは経済が急成長していた時期であり、プロダクトアウト的な流通構造、つまりメーカーが作りたいものを提供すれば売れる時代だったはずだ。そこでは消費者の細やかなニーズなど必要なかったであろう。だからこそ、その実生活に合わせた細やかなニーズを住民自らが掬い取らねばならなかったのだ。

しかし時代は変わった。90年代以降、日本国内の経済成長は鈍化し、また世界的な大競争の時代となり、消費者の細やかなニーズを商品開発・サービス開発が大事になってきた。そうした背景が、マクドナルドやジャスコ、ユニクロといったロードサイドショップ、つまり「国道16号線的郊外」を作り出したのだろう。

そしてそれは同時に、住民自らが自らの生活空間を「自発的に」変えなくとも、企業が、統計的アプローチによって、住民(の多く)が快適と感じるような空間を作り出してくれることを意味する。それはショップの存在自体がそうであり、そこで売られている商品が自らの生活空間を少しずつ便利に・快適にしてくれるのだ。

そうした受身的な姿勢がさらに我々を「動物化」させていくのだろう。

しかし果たして僕らが「快」を感じる都市というのはそんな国道16号的・ジャスコ的郊外だけだろうか。京都や大阪の下町や、西荻窪や下北沢や、そういった「個性」ある「人間的」な都市にこそ、ほっとし、憧れる気持ちはないだろうか。

「動物化」の転機がどこかにくる――そう思わずにはいられないのだが。



思想地図〈vol.3〉特集・アーキテクチャ (NHKブックス別巻)


東京から考える―格差・郊外・ナショナリズム / 東浩紀,北田暁大 - ビールを飲みながら考えてみた…

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