ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

グーグルに勝つ広告モデル / 岡本一郎

2008å¹´05月24æ—¥ | èª­æ›¸
グーグルの勢いが凄いのか、テレビが本当に危ないのか、このところ「グーグルが日本を破壊する」や「テレビ進化論」など、このところ今後のテレビのあり方について書かれた本が立て続けに刊行された。この岡本一郎さんの「グーグルに勝つ広告モデル」はどちらかというと既存のマスメディア側の立ち位置でかかれたもので、インターネットが「メディア」として確実に成長する中で、既存のメディアの強みとどうビジネスモデルを変えるべきかについて書かれたもの。

どちらかといえばネット側に属する僕からすると、突っ込みたくなるところもあるけれど、既存メディアの人だけでなく「攻める」インターネット側にとってもそれぞれの立ち位置を見直す上で有益な本。これと「テレビ進化論」とをあわせて読んでもらえば、これからのテレビあるいはWEB1.0型の動画配信の方向性が見えてくるのだろう。



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テレビ・新聞・雑誌・ラジオの4マスメディアのビジネスモデルの本質は「注目=アテンション」の卸売りである。これに対して、グーグルのビジネスモデルは「アテンション」ではなく「インタレス(能動的な興味・関心)」の卸売りである。消費者の購買行動「AIDMA:Attention(注意)→ Interest(関心)→ Desire(欲求)→ Memory(記憶)→ Action(行動))」に従うならば、インタレスの方が購買に近い以上、グーグルの検索連動広告の方が広告効果が高いのは当然である。

メディアの接触時間総量は 平均5H/人×1.2億人。メディアやエンターテインメントはこの総時間の取り合いとなる。またメディアやコンテンツビジネスの特徴として、過去(の作品)と競合関係にあることが挙げられる。新しい作品(クリエイション)は常に過去の作品との競争関係にある。これまでは探索コストや流通コストの関係上、それほど大きな問題ではなかったが、デジタル化によって自体は大きく変わった。グーグルは何かをクリエイションするのではなく、それらの情報を整理することで新しい価値を生み出している。

さてこれまでのメディアに比べて、インターネットは何が強いのか。1)消費者のアテンションを獲得するパワー(仕入れの戦い)、2)獲得したアテンションを販売するパワー(卸売りの戦い)の2点から整理してみたい。

インターネットは既存のメディアのどの部分からアテンションを奪っていくのか。それを検討する上では、①提供情報、②情報の消費シチュエーション、③アクセススタイルという点から考える必要がある。たとえばAMラジオ。情報の中身だけに注目するとネットで簡単に代替できそうであるが、AMの典型的な利用シーンが「自動車の中」「仕事中」であること、またラジオの電源を入れるだけで聞こえるという受動的なスタイルであることを考えると、ネットでの代替には限界がある。

横軸に「セグメントターゲット←→マスターゲット」、縦軸に「情緒的・感覚的↑↓理性的・説得的」ととった上で、4マスのポジショニングを整理すると、テレビは「マス向け・情緒的感覚的」となり、新聞は「マス向け・理性的説得的」、雑誌は「ターゲット・理性的説得的」、ラジオはテレビほどではないけれど「マス向け・情緒的感覚的」な位置づけとなる。このように考えるとインターネットは初の「ターゲット・情緒的感覚的」なポジショニングであり、同時に「ターゲット・理性的説得的」をも網羅するものといえる。こうした新しいポジショニングを持ったメディアの登場は、マーケッターにもパラダイムシフトを求めることになる。

■テレビvsインターネット

提供情報:映像クオリティとしては遜色なし
消費シチュエーション:デスクトップとリビングという違いはあるがともに屋内
アクセススタイル:テレビは受動的メディア(ボタンを押せば放送が始まる)

もっともこのアクセススタイルの違いもHuluやJoost、Zatto、VeohTVなどが登場しており、代替性は高まっている。

そもそも何故、視聴率が必要なのか。視聴率とは「広告取引に一種のアカウンタビリティ・透明性を与える指標」。しかしそれが有効に機能するためには、視聴率1単位の価値が同じである必要がある。これは、視聴者全体の所得や消費性向のバラつきが小さいこと、視聴率1単位あたりの接触人数のバラつきが小さいことが求められる。しかし格差社会の到来や1世帯あたりのTVの普及台数の増加はそうした前提は崩れ始めている。今後、テレビは視聴率=アテンションの数ではなく、単価を上げる必要があるだろう。

また視聴者のニーズは高精細画像(ハイビジョン)ではなく、タイムシフト(好きなときに見たい)と編成権(好きなところだけを見たい)にあるのであれば、取引コストの高いプロダクトプレイスメントではなく、オンデマンドポイントキャストを放送局自らが推進するべきだろう。これによって広告の無駄打ちを減らし広告単価を上げることができるし、過去のコンテンツをフル活用することで、資産の回転率の向上にもつながる。

通信と放送の融合とは、番組という枠組みが崩壊して、コンテンツはメタデータを背負ったモジュールとなり、検索やレコメンドによって組み合わせて楽しむ、という形式になるのかもしれない。

■ターゲットメディアとしてのラジオ

ラジオは他のメディアと異なり、インターネットの普及以前から市場が縮小している。過去には子供が個人的に接触できるメディアがラジオだったが、ファミコンの登場や価格の低下によってテレビの普及が進み、その地位を取って代わられた。

FMラジオは、

提供情報:音楽中心
消費シチュエーション:職場や自宅など屋内中心
アクセススタイル:受動的アクセス、編集柔軟性なし

であり、インターネット、特にネットラジオとの代替性は高い。FM局放送局は、音楽放送を行っていくという側面で、組織としてずばねけた能力を持っていることから、自らネットラジオを展開することが必要。その際も、電波によるラジオ放送を基幹事業としつつ、ある特徴を持ったセグメント向けのサブステーション(専門チャンネル)をネットでいくつか立ち上げるべきだろう。

AMラジオは

提供情報:トークが中心
消費シチュエーション:営業車やタクシーなど車の中、工場などの屋内
アクセススタイル:受動的アクセス、編集柔軟性なし

となっており、インターネットとの代替性は低い。しかしリスナーがシニア層に偏っているという問題がある。しかし今後日本ではシニア層向け市場は成長していくことから、シニア向けに特化したメディアとして事業機会を追求するべきだろう。

■新聞

提供情報 代替性が高い
消費シチュエーション 自宅、電車の中、トイレなど非常に多様
アクセス 自由度が高い

これらは新聞の物性によってもたらされている。また新聞には世の情報を見出しや記事の配置によって「重要度」や「ジャンル」などを整理するというエージェント機能をもっている。

しかし情報のコモディティ化によって有料の新聞をとるいう需要が減りつつあり、また新聞が提供してきた「常識」を必ずしも必要と考えない人の増加によって購買世帯が減少している。

新聞は固定費としての多数の記者と宅配ネットワークを抱えている。とするとどのように戦略的差別化を図るかというのが大事になる。

かってWSJは「2つ目に選ばれる」ことを目指し、主要なニュースの配信ではなく、一段深い情報を配信することで再生をはかった。新聞はインターネットでは提供しにくいローカル情報を扱うことができ、またその宅配ネットワークを活かすことで世帯ごとに広告やコンテンツをカスタマイズすることも可能だろう。
宅配ネットワークを活かすというのなら、このネットワークに乗せる情報量を増やすということも考えられる。いずれにしろ情報のコモディティ化の中で価格競争を脱する必要がある。


■ネットとの差別化に特化する雑誌

近年の雑誌の推移をみると、ネットで代替取得可能な情報を扱っている一般週刊誌や女性誌、情報系の雑誌は発行部数を減らし、ビジネス誌やラグジュアリー誌が好調である。帰りにキヨスクで暇つぶしに買うことが多い一般週刊誌はモバイルでの暇つぶしコンテンツにくわれ、また雑誌の持つ「モビリティ」というメリットも携帯電話によって奪われている。さらに速報性という点に関しても、雑誌はネットにはかなわない。

では好調な雑誌は何故なのか。

1つはインターネットでは代替不可能な情報を扱うことであり、もう1つは拡大しつつある格差の幻想を利用することである。こうすることで広告単価をあげることが可能となる。また雑誌のコンテンツは経時劣化しにくいものも多い。こうしたコンテンツをデジタル化し、データストックサービスなどと組み合わせることも考えられる。


何故、マスメディア必要不可欠なのか。1つにはマスメディアが弱体化すると健全な民主主義が脅かされるためであり、もう1つが知の地盤沈下が起こるためだ。

現時点でインターネットは関心のある情報を効率的に収集するには便利ではあるが、偶発的にニュースに出会い自分と異なる意見に出会うということが難しい。社会としての連帯感を養う上でも必要なのだ。

またWikipediaなどは多くのボランティアによって成り立っているが、彼らが投稿前に得た知識は何らかの経済活動の対価として得たはずだ。情報は断片的に生み出されて編集され、様々な形態で流通し、最後には貨幣に交換される。Wikipediaはこうした旧世界が作り上げた「知のバリューチェーン」によって作り出されている「知」を無料で拡充するという形で肥大化している。このままではWikipediaが寄ってたつところの信頼できる「知のバリューチェーン」(BBCやNewsweekなど)の経済価値が低下し、事業運営上の困難に直面する可能性がある。そうなるとWikipediaも成立しえない。

マスメディアは大きな変節点を迎えており、過去にとらわれず変化しなければならない。

では新しい時代にはどのようなコンテンツが求められるのか。

グーグルが「情報を整理しつくす」のだとしたら、過去のコンテンツのストックへのアクセスが改善され、常に最適なものが提供され、新しいものへの需要が減るのかもしれない。

これまでのTVであればチャンネル数が限られていることもあり、8/10人が「まぁ、いいんじゃないか」というコンテンツが求められていたが、無限の間口とストックを有するネットの世界では、8人が非難したとしても2人に「最高だ」と評価されるコンテンツが求められる。そうなるとこれまでの「視聴率=見た人の数」では評価できなくなる。ネットという流通プラットフォームに合ったコンテンツが生まれてくることになる。

またこうした変化に対して広告主もマーケッターも変化していかねばならない。

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各メディアごとに現在直面している危機をうまくまとめられているので、ネット側の僕から見ても納得することが多い。ネット側でメディアに関わる仕事をしている人間が感じているネットの課題とは何か。

良くも悪くもTVなどのマスメディアはそれを契機とした「ブーム」や「ヒット」が生まれている。人気ドラマの主題歌はそれなりに売れるし、テレビで発せられた言葉は何度も繰り返し放送され「流行語」になりうるだろう。

これに対してネットのメディアは、メディア側で何かを生み出せただろうか。

「のまねこ」や「電車男」がある、と言われるかもしれないが、あれはCGM系というかユーザー同士で盛り上がった結果であり、メディア側が仕掛けたわけではない。マス向けに何かを訴えかけるということがネットのメディアでは弱いのだ。それがいいことか悪いことかは置いておいて。

またここでも指摘があったように、ネットというのは過去の様々なコンテンツを現在と等価なものとする。そもそも時制というものが喪失しているのだ。現在~過去までの膨大なストックの中で、個人が自らの関心のあるものだけにアクセスするとなると、そこにあるのは「コミュニティーの分断の問題」であり、新しいものを創り出すことを中心とした経済活動をどのように整備するか、という問題だ。

CGMのように個人が創作し、それを発表するという機会は格段に増えた。「見てもらいたい」「認めてもらいたい」といったモチベーションだけであればそれでいいかもしれないが、結局、そうした行為でのみ完結した場合、クリエイターやこれまでそれを流通させることを商売とした人々にはお金が流れることができなくなり、実はグーグルだけが儲かっているという事態になりかねない。

いずれにしろネット側のメディアのあり方も変化の途上なのだ。

グーグルに勝つ広告モデル / 岡本一郎


【レビュー】テレビ進化論-映像ビジネス覇権のゆくえ- / 境真良


【レビュー】グーグルが日本を破壊する / 竹内一正



インターネット時代の2つの時間感覚

「つながり・同期・メタデータ」東浩紀が捉えたネット社会





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こんにちは (maru)
2008-05-28 11:27:09
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読ませていただいております (drarbeit)
2008-06-03 18:54:29
 こんにちは。drarbeitと申します。読ませていただいております。
>ネット側でメディアに関わる仕事をしている人間が感じているネットの課題とは何か。
>CGMのように個人が創作し、それを発表するという機会は格段に増えた。「見てもらいたい」「認めてもらいたい」といったモチベーションだけであればそれでいいかもしれないが、結局、そうした行為でのみ完結した場合、クリエイターやこれまでそれを流通させることを商売とした人々にはお金が流れることができなくなり、実はグーグルだけが儲かっているという事態になりかねない。
>いずれにしろネット側のメディアのあり方も変化の途上なのだ。
おっしゃるとおりです。「Googleに整理しつくされて」お金が流れなくなると大変なことですね。
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