ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

DoCoMoのCMで反応する人間の「錯覚」

2010å¹´05月19æ—¥ | æ€è€ƒæ³•ãƒ»ç™ºæƒ³æ³•
テレビでDoCoMoのCMが流れている時に、ちょうどバイブの音が流れて、渡辺謙が「寒くて震えているわけではありません」って言うシーンがあるのだけれど、この「音」、何度きいても(何度CMを見ていても)、とっさに体が「電話が鳴った!」と反応してしまう。普段から、仕事用の携帯は打ち合わせ中に鳴ってもいいようにマナーモードにしているのだけれど、それでもやっぱりお客さんとの打ち合わせ中に鳴ると「バイブ」の音は目立つもの。鳴るととりあえず手に取るというのが習慣になってしまっている。

そうしたこともあってか、CMだと分かっていても、そこに渡辺謙の姿が映っているにも関わらず、バイブの音がなると「ドキッ!」としてしまうのだ。

NTTドコモ CM 「岡田と謙さん」篇


これは何故なのだろう。条件反射と言えば条件反射なのだけれど、あの「ブルゥゥ……ブルゥゥ…」っという音が聞こえると、何かが震えているわけでもないのに「振動」している気になってしまう。仮にそれが想像力による錯覚だとしたら、何とも人間の感覚なんていい加減なものだ。

そういえば遊園地やテーマパークなどへいくと、実際にジェットコースターのような乗り物もあるけれど、座席に座ってモニターを眺めつつ、岩山を上昇したり落下したり水中へ突入しそうになったりしながら、座席の角度が変わったり上下に揺れたりするアトラクションがある。これなども実際にはせいぜい前後に3、40cm、上下に10cm、角度が30°くらいの間を動いているだけなのだろうが、それでも本物の乗り物と同じような感覚を味わえる。これなども感覚の錯覚なのだろう。

そうはいってもこれらはあくまでも「錯覚」だ。

では3D映像、3Dテレビなど、これらはどうなのだろうか。これらももちろん錯覚といえば錯覚。右目と左目に視差の異なる映像を見せることで立体的に見せているのだから。こうした「視覚」の錯覚に、5.1chサラウンドのような音響が加わるとこの錯覚はさらにリアルになる。右斜め前から左後ろに鳥が飛び立ち、自分の周りを囲む草木の風に揺れる姿を「耳」から感じてしまう。

こうしたものは視覚と聴覚だけではない。

例えば「香り」通信。これは既にNTTコミュニケーションズが提供しているが、配信先に「香り合成装置」を用意し、香りの成分情報を装置に伝えることで数種類の香りの成分を合成し、配信先に「香り」を届けるというもの。あるものの「香り」を正確に再現するためには様々な成分を調合することが必要のようだが、ある程度の再現性に限れば、数種類の成分の合成で済む。つまり「臭覚」の錯覚を利用した通信だ。

となると残りは「触覚」と「味覚」ということになるのだけれど、このうち「触覚」についてはバーチャルリアリティを利用したロボットの開発なども行われているわけで、やがて「触覚」の通信というのも可能になるのかもしれないし、もっと言えば攻殻機動隊のように脳や神経に対してもっと直接に通信が可能となるような世の中が訪れるのかもしれない。

そう考えると「通信」が成立するためには、こうした人間のいい加減な感覚器官が必要なのだなぁと思う。


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