実りある「生物学とジェンダー学の対話」のために featuring 瀬口典子さん&中村美亜さん+司会・山口智美さん

 こんにちは、みなさま。昨日の後藤和智さんに続き、今日も豪華ゲストをお迎えしての座談会をお届けします。今回参加していただいたのは、『バックラッシュ!』で「『科学的』保守派言説を斬る!生物人類学の視点から見た性差論争」という記事を書き保守派による脳科学の間違った政治利用を批判されている生物人類学者のせぐりんこと瀬口典子さんと、『心に性別はあるのか?』の著書を持ちジェンダー・トランスジェンダーの問題に詳しいセクソロジストの中村美亜さんです。
 今回の座談会を企画したのは、日本学術会議が今月はじめに主催した「生物学とジェンダー学の対話」をテーマとした講演会に関連して、斉藤正美さんらがブログで報告したことをきっかけに議論が広まっていることを受け、生物人類学とセクソロジーという対照的な専門分野を持つお二人(中村美亜さんは現にその講演会にも出席していたそうですし)にお話を聞けたら面白いなと思ったことが理由です。
 また今回は、普段司会役をつとめる chiki さんがスケジュール上の都合で参加できなかった(最後の方だけ間に合って乱入していますが)ため、かわりの司会としてみなさんおなじみの山口智美さんに登場していただきました。

山口
 今日は、ゲストにみあさんとせぐりん、そして macska さんをお迎えしてます。
 chiki さんの代役司会の山口でございます。よろしくー。


せぐりん
 よろしくー。


みあ
 よろしくー。


macska
 司会ひきうけてくださってありがとうございました。


山口
 いえいえ。うまくできるかわかりませんが。


山口
 本日のチャットは、先日の学術会議での「生物学とジェンダー学との対話」議論をうけて、企画されました。『バックラッシュ!』本とのからみでいえば、瀬口論文と、小山論文が関係深いですね。


みあ
 そうですね。両論文とも読んで壮快な気分になりました。


山口
 必殺人類学インタビュー技として、読者に対して簡単な自己紹介をみあさんとせぐりんにしていただけるといいのではと思います。とくに今日のテーマに関連して何やってる人なのか?ということなどお願いします。


せぐりん
 生物人類学、やってます。日本人にはあまりなじみのない学問かもしれません。人類の多様性、適応性、人類進化、などなど。


みあ
 ううんと、それでは私は一応、性科学をやっていることになっています。どうして「一応」かというと、日本にある「性科学会」には、泌尿器科と産婦人科と精神科のお医者さんが多数所属していて、性に関する「病」をどう治療するかということに取り組んでおられるのですが、私のやっていることは、それとは随分違います。私は、性を生き方の問題、文化の問題として学際的に捉えていきたいと思ってやっています。ただ、日本では仲間がほとんどいなくて、かなり孤立していますが…


山口
 性の問題というと、医者が対応することになってしまっているということ?


みあ
 そうですね、マイナスのイメージ。


山口
 「問題」扱いなのですね。


みあ
 病理化しないと、性を語れない雰囲気はありますね。


山口
 ああ。


せぐりん
 病理化しないとって、なんだかひどい。


みあ
 お医者さんて、病気にしないと、対象を語ることができないらしいんです。とにかく、自分と距離を置いて、客観的になることを訓練されるみたいで。


せぐりん
 自分と距離を置く、、、それが客観性、、か。


山口
 そうか。


せぐりん
 私もそこが気になる。心理学者もノーマル、アブノーマルにすぐ分ける。


みあ
 そうですね、心理学者にも同じ傾向がありますね。当事者意識を持たないようにする、っていうか。


山口
 ああ。


みあ
 性の問題でいうと、本人たちがどうしたいかよりも、お医者さんがどうしてあげたいかが問題になる。


せぐりん
 どうしてあげたいか、ってそのアプローチいやですね。日本の医者って医療に関してその傾向が強い気がする。一般的に。


macska
 トランスセクシュアルの人たちが医療化に乗ったのは、ある程度戦略ですよね?


みあ
 そうですね。でもミイラとりが、ミイラになってしまっている。


山口
 ミイラ取りがミイラ、ってのを、もう少し具体的に説明していただけますか?


みあ
 当事者の人たちは医療化を方便に使おうとしたはずなのに、それが当事者にとって「真理」になってしまって、自分たちがそれに踊らされている。
 そもそも、ジェンダー・アイデンティティって何だと思います? 私も明確な答えはないので、ご安心を。


macska
 わたしはそもそもアイデンティティがわからないので(笑)


山口
 言われてみると難しいですねえ、バシッと答えるの。


せぐりん
 おなじく。


macska
 でも誰かがバシッと言わないと話が進まない!(笑)


みあ
 そうなんです、よくわからないんです。ところが、生物屋さんやお医者さんは、それがすでに実在しているかのように話してしまう。そもそも、これって仮説だったんですよ。生まれつきの要因があるかもしれないっていう、そういう譲歩付きのものだった。ところが、これが、だんだん実体化されてきてしまったように思えるんです。


macska
 それはどのように?


山口
 それが起きたのは90年代ですか?


みあ
 もっと前。


山口
 いつ頃、どんな感じで実体化されてきたように思われます?


みあ
 例えば、ダイアモンドが書いた 1965 年の論文にも、生まれつきの要因については慎重に書かれている。もっとも、『ブレンダと呼ばれた少年』では、ダイアモンドが先天説を唱えたかのような書き方がされているけど、ダイアモンドが言いたかったのは「生物学的要因を無視するな!」だったんです。


せぐりん
 話が変わってきているのだねえ。


みあ
 そうなんです。いろいろな理由が考えられるのですが、一つには、生物屋さんや形成外科屋さんが、自分の業績作りに躍起になった点。それから、トランスセクシュアルの人たちが、自分たちを正統化するのに、先天説を利用した。


山口
 ああ。


せぐりん
 それはよくききます。


みあ
 で、政治の問題になってしまった。


macska
 それは、同性愛者が「生まれつき」というのと地続きでしょ。


みあ
 その通りです。いったん政治の問題になってしまうと、まっとうなことが言いにくくなってしまう。当事者がそうしたのは仕方がないとしても、研究者たちまでもそれに便乗することはなかったように思うのですが…


macska
 そういえば、前回の大統領選挙のテレビ討論で「同性愛は生まれつきだと思いますか?」という質問がありました。


山口
 どんな答えでした?


macska

 ケリーは「生まれつきだと思う」と言い、ブッシュは「分からない」と言った。ケリーの答えは多くのゲイ活動家が支持するものですが、これに限ってはブッシュの方が正しいと思いました。
 でもどうして「同性愛者に対する差別は禁止されるべきですか?」とか「同性婚は認めるべきですか?」という質問ではなく、「同性愛は生まれつきだと思いますか?」という質問になるのか非常に不思議。仮に生まれつきでなければ平等に扱われる権利がないとでも言うのか。


山口
 そうですねえ。へんな質問だ。


みあ
 たとえば、文献あさると 1982 年にいかにトランスセクシュアルの告白に「でっちあげ」が多いかということが論じられているんですが、そういう論文は、注目を集めなかったようです。もしこれが重要視されたら、ジェンダー・アイデンティティについても理解が変わったと思うのですが。でも、後に引けない人たちが既にいっぱいいた。自分の診断が誤り、手術が誤りとなったら大変ですから。


せぐりん
 都合の悪いところは無視された?


みあ
 そうですね。


macska
 一応言っておくと、でっちあげが多いのは当たり前ですよね。ホルモンや手術を希望している人がいて、それを与える権限がカウンセラーや医者にある。正直に何もかも打ち明けるわけがない。できるだけ自分が欲しいものがもらえるように作り話するにきまっています。


山口
 当たり前ですね、でっちあげ。ウソは必ずはいってきますね。


せぐりん
 そうですね。


みあ
 でっちあげでないとしても、人が過去を語る以上、現在の自分を正当化する話になるのは仕方がありません。


macska
 それに、でっちあげというほど意図的なものではなくても、誰にでもあるような、普通なら忘れている記憶が、トランスセクシュアルの人にとってはすごく大きな過去になっているとか。


みあ
 その辺りについては、社会学者の一部や、人類学者には常識だと思うんでですが。


山口
 そうですね、常識です。


みあ
 ただ、医者は、それを考慮しない。そんなことしてたら、診療できないって。


山口
 ウソがない、「客観的」だというフリをする分野は多いからな。


せぐりん
 自分を守るためじゃないのかな。


macska
 この件に限って言えば、患者自身もそれを求めているわけですけど。


みあ
 で、生物屋さんも、一度始めると引けない。ジェンダー・アイデンティティは、あるのだからって。


せぐりん
 人間の認知度なんて完璧であるはずがないのに。何で客観的だとおもいこむのかしら。


みあ
 そうですね。ところが、そういうところで作られたものが、お真面目で、ジェンダー・シンポジウムとかで議論になってしまう。


山口
 そうなのか。

macska
 斉藤さんが学術会議の報告を書いていましたね。


みあ
 ジェンダー・アイデンティティが不変だというのは、神話だと思います。中には不変な人もいるかもしれないけど。つまり、うまれたときに獲得したジェンダー・アイデンティティが変わらないというのは、そういうふうに想定しているだけであって、現実にいろんな人と会えばそうでないケースも例外ではない。それに、そんなアイデンティティ持っていないという人だってたくさんいる。


せぐりん
 いえてます。


山口
 macska さんも事前に同じテーマを出していたけれど、「性自認をめぐる議論の混乱」で、どういう点が問題だと思ってます?


macska
 ええとですね、社会構築主義と社会学習論の区別がついていないこと。


みあ
 うまい!


macska
 「生まれか育ちか」というのは社会学習論の議論であって、社会構築主義の是非とは別のレイヤーにある議論ですよ。生物学的に何らかの傾向の違いがあるというのはほとんど否定できませんが、生まれ持った生物学的な傾向が現実の社会でどのように表現されるかというのは、その社会の状況によるでしょ。
 単純な例として、かつてならブッチダイクとして一生を終えていたはずの人が、いま大挙して FTM の「男性」として生きています。突如レズビアン遺伝子の頻度が減ってトランスセクシュアル遺伝子の頻度が上昇したとは全く考えられない(笑) また、かれらが「ダイクであるように」「トランスであるように」と育てられたわけでないことも明らかです。社会状況が変化したために「ダイクであること」「男性であること」というカテゴリ自体の範囲が変わったからだとしか解釈のしようがないわけですよ。


せぐりん
 生まれ持った生物学的な傾向ってどうやってわかるの? 生まれたばかりの赤ん坊にインタビューすることできないのに。そのへんがよくわかりません。


みあ
 生まれたときの生物学的傾向と、生まれたばかりの赤ちゃんがどう思っているか、というのも別問題だと思うのですが、よく混同されます。


macska
 生まれ持った生物学的な傾向というのは、例えばさまざまなインターセックスの症状で、外形的に同じだけれど胎児期のホルモン状況が違う例が多数あるわけです。それを追跡調査すれば、同じように育ったはずでも大人になったときの性的指向や性自認が診断によって全然違う。


山口
 「同じように育ったはずでも」ってのが追跡不可能ですよね、実際のところでは。


みあ
 そこがミソです。よくある双子研究が、その辺りのことをしようとするのですが。


せぐりん
 その辺、双子研究にかたよってるでしょうね。


みあ
 どうしたって、限界があると私は思います。


山口
 そうですよね、限界あると思います


macska
 そりゃそうです。でも双子調査は重要ですよ。


みあ
 双子研究って、世間受けいいんですよ。


macska
 そういえば同性愛研究で双子をよく募集しているような。


山口
 そうかー。


せぐりん
 進化生物学では双子研究に重点をおきすぎてるって批判が、遺伝学の人から出ていたことがあります。


みあ
 もちろん、有為な差が出た場合、それを追跡調査する必要はあると思うのですが。


山口
 せぐりんのいってるのは、進化心理学が双子研究に重点おきすぎているという批判が、遺伝学の人からあったということ?


せぐりん
 そうです。


みあ
 その批判は、どんな感じでしたか?


せぐりん
 でも、遺伝の人も双子研究をしている。


macska
 双子研究は、変数を減らせるから重宝されるわけでしょう? もちろん、双子であること自体が新たな変数になるけれど。


山口
 遺伝の人の批判、どんなのだったかおぼえてる?


せぐりん
 identicla twin は遺伝的に 100% おなじだから、環境でどう変わるかが見れると思い込んでいる。でも、環境がどのくらい影響するかがみたいのよね。遺伝の人たちは。


macska
 双子研究って、identical twin で一緒に育ったケース、identical twin で一緒に育たなかったケース、fraternal twin で一緒に育ったケース、fraternal twin で一緒に育たなかったケース、くらいは比べるでしょ?


山口
 一緒に育ったっていっても、またいろいろ違うからなあ。。


macska
 そこにそれぞれ有為な差があれば、それは重要だと思うんですけど。


みあ
 そこですよね、有為な差。


せぐりん
 双子のどちらかが養子にいって、ばらばらに暮らしたのに、共通点があるっていうのがよく報告されている。


macska
 ばらばらに暮らしたのに共通点がある確率が、fraternal twin よりも identical twin の方が有為に高いという結果が出たなら、それは何らかの生物学的な要素があるのではないかと考える理由になりますよ。


せぐりん
 遺伝学の人はだからこそ双子研究をやっている。


macska
 問題は、それが一般にどう伝わるかということですか? それとも、研究者自身が何か勘違いしている?


みあ
 ケース・バイ・ケースのような。勘違いしている研究者もいるかと。

 双子もそうなんですが、脳の研究というのも世間では重宝がられます。ジェンダー・アイデンティティについても視床下部が問題だとか。


山口
 『バックラッシュ!』の瀬口論文で脳の話を扱ってますね。


macska
 ごめんなさい、脳の話にも移りたいんですけど、ちょっと双子研究の何が批判されているのかよく分からなくて。


せぐりん
 ああ、遺伝学者が批判してたという話?


山口
 そうそう、遺伝学者が進化心理学の何を批判してたのかが、よくわかりませんでした。


せぐりん
 ああ、あれは双子ケース研究だけに重点をおいているけど、他にもメソッドを考えないといけない、ということだったと思う。でも、新しい方法論ってでてないんじゃないのかな?


macska
 難しいですよね。


みあ
 めぐりめぐって、やっぱり双子に限るってことになってしまう。


せぐりん
 identical twin といっても 100% 遺伝子配列が同じとはいいきれないらしいから、みたいなこと。identical twin でも、髪の毛の色、目の色、利き手、病気の現れ方は concordance(日本語ではなんといいますか?)が100%同じとはいえない。これが遺伝子と関係しているのか、それ以外の環境などの要因が関連しているのか、まだ分かっていないでしょう。


macska
 そういったランダムな誤差はサンプル数で解決するのでは。


せぐりん
 あと、双子の行動を見る研究が多いでしょ?冒険をこのむ、とか、無茶な行動をするとか。


山口
 ああ。


macska
 進化心理学だとそうでしょうね。


せぐりん
 その辺の測り方、ってどうなんだろう?


山口
 怪しい気がする。


macska
 観測者バイアスが入る。


山口
 入りまくりでしょうね。


せぐりん
 その辺の批判もあったと思った。


macska
 その双子が identical か fraternal か知らせずに観測させても、外見がどれくらい似てるかとかから考えちゃうかな。


山口
 ああそうですね。あと、性別も見るだろうねえ。


みあ
 ここのところ、ダイアモンドは慎重だったと思います。少なくとも、1965 論文では sexual behavior とはいっても、gender behavior とは言わなかった。


macska
 それは、動物実験ではないですか? 動物実験でジェンダー・アイデンティティについていろいろ言う研究者がよくいて、なんで言えちゃうのっていつも思うんですが。赤ちゃん以上に調査のしようがないじゃん。


山口
 このへんは、せぐりんが詳しいところかも。


せぐりん
 動物でどうやってアイデンティティがわかるんでしょう?


みあ
 この前の学術会議では、竹村和子さんがまじめな顔で、「ラットちゃんは、オスかメスか自分でわかっているんですか?」って聞いていた。


山口
 ああ。


みあ
 そうしたら、場がしらけてしまった。私は、いいところついたと思ったんだけど。


せぐりん
 動物実験の結果を話されたら、確かにそうおもうよ。動物の気持ち(笑)、どうして分かるのと。私もいいとこついてるとおもった。


macska
 動物の性行動をそのまま人間における性的指向にも性自認にもアナロガスだとして使ってしまう。


山口
 うんうん、そうですね。サルだって、人間とは違うのに。


macska
 でも本当に「ラットちゃん」って言ったの? 「ラットちゃん」と言ったのだとすると、竹村さんは意外に萌えキャラかもしれません。チキさん喜ぶぞ。


山口
 萌えキャラ竹村(笑)


みあ
 生物屋さんは、性別によってちがう行動があると、それでジェンダー・アイデンティティがあると思う人が多いようなんだけど、生物人類学的にはどう?


せぐりん
 性別によって違う行動がジェンダー・アイデンティティなんて変だ!


macska
 別にジェンダーアイデンティティがあるとは思ってないのでは? 人間の場合ジェンダーアイデンティティの生物学的要因に相当するものがあると考えてはいそうだけど。


みあ
 ところが、そこがごっちゃにされている節がある。ついでに、性役割ともごっちゃに。


せぐりん
 それなのに、なぜ動物実験をもってくるの? 動物では性行動自体が性役割にされているの?


macska
 でも、性自認・性的指向・性役割を分けるというのも絶対だとはわたしは思わないんですが。


みあ
 問題なのは、性別によってちがう行動をとると、それを性役割があると決めてかかることだと思う。


せぐりん
 それは問題。


macska
 そう思っているとすると、それは単に性役割という言葉を理解していないだけでは?


みあ
 というか、性役割を決める基準が堂々巡りなんです。性に関わる行動があった場合、性が行動を決めるとも思っているし、行動が性を決めるとも思っている。


せぐりん
 なるほど、そこで脳がでてくるのか。


みあ
 そのあたり、すごく混乱しているのに、あたかも何も問題はないかのように話されてしまう。それに、性行動を決める場所が無理やり脳の中と特定されることもあったりして。でも、性行動を引き起こす場所って実はわかっていないのでは?


山口
 バックラッシュ派系の書物類は、よくわかってないものを厳然たる事実のように語ってるのはよくありますよね。


みあ
 たしか、オランダの脳研究者さんで、Swaab という人がいると思うのですが、何かご存知ですか?


macska
 BSTc の性差研究で有名な人ですね。


せぐりん
 UCLA の脳研究の連中も性行動を引き起こす思われている(まだはっきりと特定はされてないはず)場所を比較している。例えば、interstitial nucleus とか。


みあ
 さっきの Swaab が、2004論文に "direct effects of testosterone on the developing fetal brain are of major importance for the development of male gender identity and male heterosexual orientation" って書いてますけど、どう思います?


せぐりん
 どうなんだろう。こういう研究、UCLA の人たちよくやっているけど、ラットが研究対象、死体が対象。


macska
 Swaab の記述は、医学的ディシプリンの枠内で言えば一番ありえそうな話だと思いますが。


みあ
 それはどういうことですか?


macska
 枠内というのは、gender identity や sexual orientation というものの実在を疑わない範囲でということです。それを疑うことは、医学のディシプリンをはみ出してしまう。それは、例えば創造論が生物学のディシプリンをはみ出すのと同じことで、ディシプリンの境界自体は悪いことじゃありません。


みあ
 それはそうですね。


macska
 もちろん個別に、枠が古くなって問題が起きているのにそれに固執していたりという事はあり得ますが。


みあ
 そこが問題だと思うんですよ。もう 50 年もたって、いろいろわかっているのに、性指向や性自認の研究の前提は、まったく変わらない。で、もって問題なのは、この古い前提にもとづく研究を、一般の人が「科学」として受け取るところです。


macska
 性自認というものがあると考えて、さらに通常の統計学上の技術を使って知り得るデータを集めれば、gender identity の形成に胎児期のホルモンが強く関係しているということは、ほぼ疑えないと思うのです


せぐりん
 ごめん、もう一度聞きます。性自認の definition は? gender identity のは? はじめ、わたしは性自認とジェンダー・アイデンテイテイは翻訳しただけで同じ意味だと思って話をしていたのですが、なんだか、違うみたいなので、質問します。


みあ
 ええと、人それぞれです(笑)


せぐりん
 性自認のほうだけ、お願い。


みあ
 というと、日本語の意味ってこと? 私は、今、単に訳語として使いました。が、日本では、違う意味で使われています。


山口
 どういう意味で?


せぐりん
 わたしも性自認と gender identity はおなじだとおもってたけど、どうもちがうみたいだから。


macska
 それは聞いてみたい。


みあ
 ああ、アイデンティティの問題ではなく、自分の心に潜むもの、「心の性別」。日本では、「心の性別」「からだの性別」という言い方が、とても流行しています。


山口
 そうなんだー。


みあ
 私の本のタイトル『心に性別はあるのか?』は、これに対する最大の皮肉だったんですけど。


山口
 からだと心の性別が不一致だとか、一致しているとかいう言い方するのかな?


macska
 でも英語の gender identity だってそういう使われ方するような。


山口
 うん、英語の gender identity との違いについて、聞きたい。


せぐりん
 ききたい。


みあ
 日本では心理的にどうこうというより、心に存在している性別、と考えられる傾向にあります。


山口
 心に存在していて不変のもの、って感じですか?


みあ
 そうですね。


macska
 それは、単に分かりやすい表現としてそう言っているだけじゃないんですか?


みあ
 でも、そういう言い方をしていると、そういうものと思われるようになるんですよ。


macska
 「からだの性別」に対置される何か、という考え方であるのは共通ですよね? 同じじゃないのかな?


せぐりん
 心って、そこが脳になるのですか? そこがききたいの。


みあ
 心が脳同じと一般に考えられているかどうかはわからない。けど、科学を用いたがる人は、そこで脳を持ち出す。


せぐりん
 こころって脳にあるって言うか、脳でつくりだされてるものとして話されるのですか? 脳で作り出される認識っていうか。


macska
 普通こころって脳のこととは考えないのでは?


せぐりん
 こころって普通どう考えます?


macska
 物質に還元して考えていないと思う。だから、どこにあるかといわれても困る。


せぐりん
 それを何で生物的な話にするのだろう?


みあ
 要するに、何か根拠がほしいんだと思います。


せぐりん
 やっぱり、生物学の人は心を脳に置き換えてる気がする。


山口
 「脳」っていわれると急に物質的な印象がしますよね。


せぐりん
 物質ですね。


山口
 生物学者はそうなのかな?ラットの「こころの性別」=脳と考えているのかな?


せぐりん
 なんだかそんな気がする。


山口
 で、それを人間にも応用しようとする?


macska
 みなさま、ラットは「ちゃん」付けで呼びましょう(笑)


山口
 あ、失礼、ラットちゃんのこころの性別。


せぐりん
 あははっ。


みあ
 というか、生物屋さんは、ラットちゃんの行動を見て、「雄らしい」行動を見つけると、雄のジェンダー・アイデンティティがあるって言うんだと思う。


せぐりん
 それはすごいへんだー。


macska
 言わないよーそれはさすがに。


みあ
 でも大隅氏は学術会議で言ってたような。


macska
 言ってたの? えーー。


せぐりん
 げ!


みあ
 大隅さんがいろいろお話になられたことを簡略化すると、そのようなことを言っていたと。


macska
 例えば、ラットちゃんの特定の遺伝子をノックアウトして、その結果メスなのに「オスらしい」行動をするようになったとするとーー


みあ
 あのときは、ハエでしたが。


山口
 ハエのジェンダー・アイデンティティか。ハエちゃん。


macska
 ーーそれと同じ遺伝子が人間ではジェンダー・アイデンティティを司っている可能性がある、みたいには言うかもしれない。それには「どうしてそう考えるの?」と思うのだけれど、それはラットちゃんにジェンダー・アイデンティティがあると言っているわけじゃないです。


せぐりん
 そりゃ、性行動の遺伝子ノックアウトで、ジェンダーアイデンティティの遺伝子じゃないんじゃないの?


macska
 そうそう。


山口
 しかし、ハエを人間につなげるというだけで、想像を絶するな。


せぐりん
 フルーツフライの性行動と人間の性行動を一緒にされては困る。


みあ
 だけど、先にジェンダー・アイデンティティありき、だと、そういうふうに見つけだそうとしてしまう。


macska
 UCLA の Eric Vilain さんは、性腺発達以前のマウスちゃんの胎児の脳に、オスとメスの性差があることを発見したんですねーー


山口
 マウスちゃんの胎児かあ。


せぐりん
 そこ、くわしくききたい。


macska
 それは科学的にはかなりの驚きで、これまで脳の性差はホルモンによってできると思われていたけれど、今回の発見は性腺発達以前だから、その性差はホルモンが原因だと言う事はできない。そういう論文を出したんですね。
 ところが UCLA のパブリシティがプレスリリースを出して、「うちの大学の研究者が性自認や性的指向の遺伝子的原因を解明するかもしれない発見をした」と書いちゃった。


せぐりん
 結果がただしく報道されてないのでは。


macska
 元の論文には性自認や性的指向のことなんて一切書いてないんですよ。にも関わらず、そのように宣伝されてしまった。
 脳にホルモンに還元できない性差があるといっても、それが性自認や性的指向にどういう関係があるかどうかは全然分かっていない。そもそもマウスちゃんだし、人間でも同様の性差があるのかどうかすら分かっていない。


みあ
 そこがふっとんじゃうんですよね。


せぐりん
 そうだよね。


macska
 それで以前Vilainさんにすごく疑いを持ったんですね。でも北米インターセックス協会の Cheryl Chase さんになだめられて、会ってきたの。そしたらかれはパブリシティの責任にしたいみたいだから、そういうことにしてあげた(笑)


みあ
 トランスセクシュアルのこととか見ていて思うのは、研究者の業績をあげるのによく利用されるということですよね。


山口
 ああ。


せぐりん
 性行動をつかさどるとされる場所の大きさを比べると性差があった、とかそういった研究ばかり。そのあり方を全て否定するわけではないけど。


山口
 小山エミ論文もそういう論点だったね。それが上野さんとかにどこまで伝わっているのか、わからないけど。


せぐりん
 うんうん。


みあ
 で、ジェンダー学は、そういうのに翻弄されている。


山口
 私、「生物学とジェンダー学の対話」ってタイトルに違和感ありました。「ジェンダー学」って、本来、あらゆる分野を含むものじゃないのかと思ったのです。


みあ
 はいはい。


せぐりん
 そうだね。


macska
 そうですねー。


みあ
 たぶん、人文系のジェンダーやっている人を総称する言葉がなかったので、それを使ったんじゃないかな。


山口
 だけど、ジェンダー学=社会科学(もっといえば社会学)みたいに解釈されてません?


みあ
 その通り。しかも、構築主義。


macska
 で、構築主義が社会学習論と勘違いされている。「生物学とジェンダー学」が「生まれか育ちか」という風に単純化されてしまったり。


山口
 ああそうですね、生まれか育ちか論争に帰結されてしまっているような


せぐりん
 それは生物学側の勘違いですか?


macska
 主にそうじゃないですか? ジェンダーやってる方も人によってはよく分かってなかったりしますが。社会構築論は、「育ち」論とは違うんですが。


せぐりん
 たしかに生まれか育ちかだけになっている。


みあ
 あと、「科学と政治」ともとられたかも。


山口
 ああ、そうですね。科学は政治的であるかないか、みたいなことになってる。


macska
 それもありますね。


みあ
 実際、生物学系の人たちは、自分たちが政治的であることを認めるのを極端に嫌う。


せぐりん
 ああ、そうみたいですね。


山口
 そこが、生物学と生物人類学の違いでもあるかもしれないですね。生物人類学は、政治的であることを認めている面があると思うから。


みあ
 とりあえず、生物学も政治から無縁ではいられないことに自覚的になってほしい、と学術会議の場で発言したのですが。


macska
 でも先日わたしが行った性労働コンファレンスでは、社会学の人たちが一番「客観性」に気を使っていた。


山口
 ああああ。


みあ
 そうかも…


せぐりん
 心理学とか、社会学ね。


山口
 それは「科学」信仰、もっとえいば、物理をトップにおいたアカデミア内での科学ヒエラルキーに影響されてる人たちが多いからといえるかもしれない。


macska
 女性学なんて、何をどうやっても客観的な学問だと思ってもらえるはずがないですから(笑)


山口
 文化人類学もそうだ(笑)


macska
 開き直るわけじゃないけれど、客観的なポジションなんてないんだと考えて、自分が立つ政治的利害関係や社会的位置がもたらす影響に自覚的になろうというスタンドポイント理論をメソドロジーとして抱えているわけで。でも文化人類学は社会学と同じあたりじゃないですか?


山口
 いや、社会学は統計族が多いですから、かなり違うと思う。「社会科学」アイデンティティが社会学はもっと強いと思います。


せぐりん
 おそろしいことをいうようだけど、統計使うだけで客観的だと思い込んでる人たちもいます。


macska
 いるいる。性労働コンファレンスで性労働者にアンケートして、「性労働者の職業満足度」を調べていた経済学者。自己選択バイアスを考えろと言いたい。


みあ
 日本の社会学では、最近、グラウンデッド・セオリーとかはやってるみたいですが


せぐりん
 グラウンデッド・セオリーとは?


みあ
 質的調査なのですが、データをコード化するもので、もともとバリバリの構造主義だったようです。日本では、それを「日本化」した修正版というのが使われているようですが、すごくマニュアルで主観的な作業をあくまでも「科学的」と見せようとするところが、見ていて痛い。


山口
 うん、社会学の人たちは質的調査といっても、じっさいはコードつくってデータをソフトにぶちこむだけの人もよくいる。


せぐりん
 ああ! 私の友人がその統計ソフトを買ったといってたわ。彼女(社会学)は、あまりにひどいので使うのやめたといってた。


macska
 あ、chiki さんが来たみたいです。


山口
 chiki さんだ。


せぐりん
 こんちは。


みあ
 おつかれさま。


chiki
 みなさまこんばんわ!


せぐりん
 こんばんは。


山口
 司会道の極意をきわめた chiki さん復活!


chiki
 遅れてすみません。


山口
 いえいえ。


chiki
 ログがないと会話内容がわからないよう(笑)


macska
 chiki さんについて話していました。


山口
 chiki ちゃん、とよびましょうか。


chiki
 な、なんだと。


山口
 chiki さんの性自認と性的指向と脳について。


chiki
 はっはっは。


macska
 みあさんによると、この前の学術会議で竹村さんが「ラットちゃんは、雄かメスか自分でわかっているんですか?」と質問したそうで、彼女はもしかしたら萌えキャラかもしれないと思ったのですが、どうでしょう?


chiki
 もしそうなら、竹村さんは、難解語彙系ドジッ子萌えなのかなと。アニメキャラで言えばNG騎士ラムネ&40のココアか。しかし竹村さんはお見かけしたことはありますが、萌えなかった。


山口
 ラットちゃん発言を聞いたら変わるかも!?


chiki
 口調によりますよね。


せぐりん
 実は皮肉の味もはいってたりして、ラットちゃんということばに。
 竹村発言は珍問ではなく、的を射た質問だったという話だよね。


chiki
 なるほど。


山口
 うん、そうそう。


chiki
 (今、macska さんにログをいただいたので、一通り目を通したら司会させていただきたいと思います。)


みあ
 そんな気もしたけど、でも竹村さん断然不利だったと思う。


せぐりん
 どうして?どういう状況だったのですか?


みあ
 あそこで、ジェンダー・アイデンティティをめぐって、発言者間の認識に差がある、という明確な考えをもっていたのは、竹村さん一人だと思います。あとの人は、なぜ食い違っているのかわからないまま。だから、戦いようがない、というか、自分の主張をするしかなかった。


せぐりん
 そうですね。大隅氏なんか完璧にその竹村発言の意味が分かってなかった。


山口
 皆さん、わかる言葉で議論してたのでしょうか?


macska
 上野さんのプレゼンテーションがディスコミュニケーションを拡大してしまったということはないかな。『バックラッシュ!』のインタビューでも、性自認の議論はちょっと混乱している気がしたから。


山口
 ありうるな、上野さん。『バックラッシュ!』本のインタビューでは、上野さん自ら、生まれか育ちか議論にもってってしまってるような気がした。


みあ
 竹村さんは、「ジェンダー・アイデンティティ」という言葉を使いながら、文系の人と理系の人とでは違うものを話してる気がする、と言ったのですが、その意味を他の人たちは理解しなかった。


macska
 具体的に、どう違ったのですか?


みあ
 生物学系の人が思いえがいたのは、性行動=性自認だったと思います。


せぐりん
 大隈ブログをみると、竹村発言に答えた長谷川眞理子の言い分で、性自認の認識が違うのが分かる。

 竹村先生からは「ホルモンによって雄化した雌は、自分を雄だと思っているのでしょうか?」という珍問があり、長谷川先生から「それは訊いても答えてくれないでしょうが、交尾行動を取ることをもって雄だというのであれば(定義)、そうだと考えられます」


macska
 なるほど。竹村さんの質問は、レトリカルですよね? なのに、長谷川さんはそれをそのまま答えてしまった。


せぐりん
 そう。


みあ
 でも、この違いがなぜ起きるのかを議論できなかったのは、残念。


macska
 つまるところ、竹村さんは「自分を雄だと思っていたのでしょうか?」と聞きたかったのではなく、そう質問することで「どうして動物研究の知見を元に性自認について議論できるのだ」と言いたかった。


せぐりん
 ほんとうにそう。


山口
 そうですね。大隅さんは、ジェンダー学の人たちは生物学に関する知識がないから、こんな珍問がでてもおかしくない、みたいに思い込んでたのかな。


macska
 それで、単にジェンダー側の研究者が変な質問しているよ、と失笑して終わらせちゃったのか。


せぐりん
 そう、それだけで終わっちゃった。


みあ
 上野千鶴子さんの発言で、ジェンダーは言語を持つものにしか関係がない、というのがあったけど、ああいってはおしまいと思った。そう発言する気持ちはわかるけど。


macska
 翻訳すると、どういう意味ですか?


せぐりん
 あれで、私は混乱したんだよね。


山口
 説明がうまくできてないということか。


みあ
 上野さんにしていみれば、ジェンダーというのは言語によって意味が与えられるものであり、何かそれらしき実体があるわけではない。言葉を使わないものには関係ない、というか…


山口
 紛らわしい言い方ですよね。


みあ
 要するに、文化的構築物だということが言いたかったんだと思う。


macska
 ジェンダーという言葉を門外漢の人に説明するのに、それは不十分ですよね。


みあ
 そうなんですよね。それは、竹村さんにも同じで、竹村さんがプレゼンテーションを始めたとき、それはレトリックに満ちた難解語の連続で。


山口
 あああ。


みあ
 あれは、竹村ゼミではいいかもしれないけど、他のディシプリンの人と話す言葉としては、ちょっと不適ではないかと。


山口
 一般向けに話せていない。ジェンダー学ってのが、閉じた世界になってる弊害がある気がするな。


みあ
 私は、理論は大事だと思います。だけど、それをわかりやすく話す努力も、もう少し必要かと。


山口
 私が『バックラッシュ!』本のヒューストンさん&マーティンさんのインタビューでさすがだな、と思ったのは、「一般人にわかるように、わかりやすく、混乱をなくすように話してください」って頼んだら、本当にかみくだくように話してくれた事でした。


みあ
 その辺、アメリカのインテリには、わきまえた人が多いですよね。


macska
 やはりここはスーパーミドルマン(ミドルパーソン?)の chiki さんの登場に期待しましょう。


山口
 おお、ログ読まれたかな?


chiki
 ここまでようやく読んだぞ(笑い)
 おいついたー。


山口
 やったー。


みあ
 おおー!


せぐりん
 私もちょっと認識がみんなとちがっているような。


macska
 どのあたり?


せぐりん
 さっきの言語のところ。はっきりわかってないのかなと、わたしが。


chiki
 えーと、一旦ここまで整理してから再出発していいでしょうか?


山口
 はい。


せぐりん
 おねがいします。


chiki
 ログをまとめるために、司会者が強引に介入します。


macska
 さすが田原総チキ郎。


chiki
 急ぎ足でログを読ませていただきましたが、ここまでざっと読んだ限りでは、まず最初に「性自認に関する議論」の経緯を簡単に整理していただいたうえで、いくつかの細部を参照にしながらそれらを議論することの複雑さについてそれぞれの立場から述べられていました。で、後半ではそれを踏まえ、最近行われた学術会議でのディスコミュニケーションがなぜ起こったのかを検討している過程で、「社会構築主義と社会学習論の区別」があまり機能していないこと、その機能不全を改善するための議論も十分ではないことが指摘されたと。


山口
 おお、すごい。


せぐりん
 さすがだ。


macska
 わたしがリサーチアシスタント雇えたら絶対 chiki さん雇うのに。


chiki
 で、最後に瀬口さんが、その機能不全に対する理解自体ももしかしたら齟齬があるのではないかと疑問を呈したところだと思うのですが、あってますか?


みあ
 うわー。


せぐりん
 ええ。


chiki
 よかった。で、これからちょっと議論を整理するために、次のような流れでいったらまとまると思うので、ちょっとスケジュールを意識していければなと。まず、ここでその齟齬自体を完全に解消できなくとも、その齟齬に対するそれぞれの意見をまずはいただいて討議した後、『バックラッシュ』の具体的文章をたたき台に、今後の指針を示せればいいかなと。なぜなら、その学術会議、読者の皆様参加していないので、テキストが手元にあると便利だし、誰でも参加できるし、販売促進にもなるからです(爆)


山口
 それはいえる。


chiki
 というわけでその齟齬の問題なんですが、ジャーゴンや思考パターン(コミュニケーションのトライブ)の問題以外に何かあるでしょうか? 門外漢の印象では、「社会構築主義と社会学習論の区別」をいかに「理解」し接続していくかが問題かと思うのですが、まずはこの齟齬について、瀬口さんから口火をきっていただけたらいいなと。


せぐりん
 じゃ、読者のため(わたしのためです、ごめん)、言語とジェンダーのところをもう一度分かりやすく説明してほしいです。上野さんのがなんだか違っていたような。だから、上野的説明じゃない、皆さんの説明、お願いします。


chiki
 ジェンダーを説明するために、「言語」という概念がなぜ出てくるのか、というような問題ですね。macska さん、いかがでしょうか。


macska
 ちょっと単純化して言いますが、言語還元論なんですよ。社会構築主義の一種で、男性とか女性とかいう区別を人間の意識がつけて、それを言語で違うように呼ぶから差異があるという。


せぐりん
 うんうん。


macska
 当然、しかし生物学的な差異だってあるじゃないか、という反論がありますね。ところが、わたしたちは生物学的な差異そのものを認知できない。全ては、生物学的な差異についての言語を通して解釈されたモノです。


せぐりん
 私も同感です。


みあ
 ただ、生物畑では、もっと古い起源のジェンダーがあります。


macska
 それを大隅さんが言っていましたね。


せぐりん
 古い起源のことをお聞かせください。


macska
 大隅さんの言うのは、人類のそうした言語文明より古くから人類には男女がいたと。そしてかれらには性差や性役割分担があった。したがって、言語に先立つ性差があるではないかと。
 しかし、言語に先立つ性差を、「わたしたち」は体験していない。あくまで、過去にあったとされる性役割分担を現代の視点から言語を通して解釈しているのであって、言語的に構成された性別についての知を、過去に投影しているだけだかもしれない。


せぐりん
 それって大隈さんがその人類祖先が性差を認識してたって勝手にきめてるだけじゃないの?


macska
 いや、認識されていなくても性差があったと言っているんだと思います。


せぐりん
 その性差はセックス。


macska
 そういう区別自体、わたしたちが過去に投影しているものですから。


山口
 あと、言語うんぬん言われると、じゃあ言語以外の振舞いとか感情とかはどうなんだ?って思う人もいると思う。大隅さん、ちょっとそれも念頭にあるかな?って気がした。違うかもしれないが。


chiki
 macska さん、それらについてはいかがですか?


macska
 そうですね、言語以外の振舞いや感情もわたしたちは言語を通して理解している、ということなのだと思いますけれど、わたしはそもそも普通にジェンダーを説明するときに、まずそんな事は言わないですよ。


みあ
 またそれとは別に、半世紀ぐらい前に、ジェンダーという言葉が生まれた時には、身体の区別とは違う何らかの区別があると想定されていて、それにジェンダーという言葉があてがわれた。生物系の人には、こっちのジェンダーを考えている人も多いようですよ。


macska
 それは、ストーラーとかマネーのジェンダー?


みあ
 そうそう、macska さんの方がくわしいのでは?


せぐりん
 私もさっきのみあさんのいっていた認識をもっているとおもう。


みあ
 ええと、ストーラーに関しては、高橋さきのさんが書いたのがネット上にあります。

http://homepage2.nifty.com/delphica/archives/sakino01.html

私が今度書こうと思っていたこと、すでにここに書かれていたって感じなんですけど。


macska
 確かに、精神医学でもマネーの「ジェンダー」はまだ生き残っていますからね。


山口
 みあさんの言われる50年前のジェンダーってのが、現在の政府の定義などに使われるバージョンと近いのかな?


macska
 近くない。


山口
 違うのか。


macska
 性同一性障害医療のジェンダーに近い。


せぐりん
 それは?


macska
 要するにジェンダー・アイデンティティです。ストーラーやマネーはジェンダー・アイデンティティがセックスから独自だと考えたわけですが、ジェンダー・アイデンティティと性役割や性的指向とは繋がっていた。だからこそ、今はだんだん違ってきていますけれど、ジェンダー・アイデンティティが男性なら性的対象は女性で趣味や仕事も男らしいもので、という決めつけがずっとあった。


みあ
 先に URL を挙げた、高橋さきのさんの「生命科学とジェンダー」からの引用です。

一九六四年にストーラーは論文を発表し(学会発表は前年)、ジェンダー・ アイデンティティ(性自認)の概念を提示する。本人が自らをどの性(sex) に属すると考えているのか、すなわち、自らを女性、男性のいずれと考えて いるのかについてのセルフ・イメージ、というのが、その定義であった。ジ ェンダー・アイデンティティを決定すると推定される三つの要因として挙げ られたのは、(一) 外性器の解剖学・生理学的性状(外観とセンセーション)、 (二)親兄弟等周囲の態度の影響、(三)生物学の作用(biological force) で、すなわち、従来から強調されてきた(一)、(二)のみならず、(三)も 除外できない存在であることが強調されていた。ストーラーがこの論文で提 示したモデルは、胎児段階で、性関連の遺伝的・生物学的作用が加わり、出 生後は環境要因も加わって、以降は、環境要因と生物学要因が協調して作用 することにより、所定のジェンダーが発現されるというものである。また、 この論文で提出されたジェンダー・アイデンティティ、コア・ジェンダー・ アイデンティティといった概念は、この分野の骨格概念となり、臨床用語と しても定着した。
 とはいえ、この概念体系は、(一)強固な性的二型性を前提とした体系であ ったし、また、(二)sexを、それが何かをとりあえず棚上げしたまま温存し、 genderを、sexとは異なるが、sexに対して相対的に決定される何ものかとし て措定し、各種の状態を、sexとgenderの一致・不一致・距離として記述し ていくという、いってみれば、濃度の異なる二つのブラックボックス的実体 を、互いに相対的な距離を持つものとして便宜的に措定するという、すこぶ る機能主義的な方法論によって提出された概念体系でもあった。この議論枠 組みは、八〇年代後半〜九〇年代前半に、性(sex)/ジェンダー二元論に対す る疑義が提出されるようになり、また多様なセクシュアリティを記述するこ とが要請されるようになるまで、標準的な枠組みとして採用されつづけたし、 医療の現場では、いまだに健在である。


山口
 ただ、学術会議にでてきた生物学の人たちは、この定義を採用しているのかな? 単に一般的な政府の定義的なものを念頭においている気もしないでもないのだが。


みあ
 いずれにせよ、古い定義では、ジェンダーを規定するのに、セックスが不可欠だった。というか、セックスと瓜二つのものを想定していたんだと思います。


せぐりん
 かみ合わないのがなぜか少し見えてきた。
 あとになってしまいましたが、ジェンダー・アイデンティティが男性なら性的対象は女性で趣味や仕事も男らしいもので、という決めつけがずっとあったーーこれが生物系の人たちの研究に現れてる気がします。


macska
 動物研究やってると、そんなの区別しようがないですから。


みあ
 そうですね。ジェンダー・アイデンティティを決めるのには、性的対象がどっちとか、どういう行動をとるとかから決めるしかないってわけです。


macska
 性行動だけしか観測できない。


せぐりん
 そうなの。だけど、これだけの認識で研究している。


山口
 だけど、その決めつけが動物の社会をみる上でも反映されている。


みあ
 その通り。


山口
 お猿さん研究なんて典型的かと。ハエもラットちゃんもそうかもしれないが。


せぐりん
 典型的よ。


みあ
 だから、同じような結果しかでない。男と女の関係に関して。


せぐりん
 そうだ! これで次に進める!


山口
 せぐりんのブログに、骨について面白いことかいてあったね。

そういえば、女性生物人類学者のグループが、過去にカーニバリズム(人食い風習)がおこなわれていたと報告された遺跡の人骨の再調査を始めたという話を聞いた。予備調査によると、骨折などが顔に集中しており、しかもその怪我が、女性、子供の骨に偏っているというのだ。カーニバリズムではなく、ドメスティック・バイオレンスの可能性が高いのではないかと、このグループは再調査を始めたらしい。

 ここの部分


せぐりん
 この研究の視点、いろんなことが反映してると思う。


macska
 ドメスティックバイオレンスという用語を脱歴史的に適用するのはどうかと思うけど、面白い話ですね。


山口
 同じ骨の状態みても、解釈が違うということですね。
 強引に本につなげると、『バックラッシュ!』本の瀬口論文は、そういうバイアスの話をいろいろ例示してあった。




みあ
 ジェンダーの研究を生物学者がするとき、すでにその人たちのジェンダー観が投影されているんですよね。で、こちらから見ていると、それがとても歯がゆい。他にやり方はないのかと。


せぐりん
 そこがききたい!


macska
 生物学者を研究するしかないですよね。


せぐりん
 ああ、いい考え。


山口
 ジェンダー観が投影されているってことを認めないこと=客観性、と思っているようだし。


せぐりん
 これはこわい。


みあ
 あるある。


せぐりん
 動物行動学は研究者のジェンダー感が投影されてるし、骨、化石あつかっててもそうだ。


山口
 うん。それが、瀬口論文の進化モデル話によく出ていたと思う。


みあ
 でも、まさに瀬口論文は、いかにそうしたバイアスが投影されているか、ってことを、見事に示してくれていますよね。


山口
 ですねえ。


chiki
 うん。瀬口論文で面白いと思ったのは、現代のジェンダーを強化するための論拠であるモデルが、現代のジェンダーの投影を強く受けているということを描いているところだと思ったんですね。


せぐりん
 ミシガンの生物人類スクールで教育を受けた者は、動物行動(霊長類)やってる連中にはものすごい male bias がまだまだあるとおもっている。


山口
 うん、そう思う。霊長系、動物系はとくにそう。


みあ
 メイルバイアスもそうだけど、二元論バイアスも。


せぐりん
 そうです。で、一般にひろまっちゃった。 sexual dimorphismって言葉使うのやだな。


みあ
 だから、ジェンダーまで二項対立である必然性はないのに、そういうものに仕立てあげる研究がどんどん出てくる。


山口
 sexual dimorphism って言葉、あの世界では広く使われてるもんねえ。
 二項対立に捉えてしまうことの問題点をふまえてない人が多すぎるという問題もありそうだ。


みあ
 学術会議での「生物学とジェンダー学との対話」に関して言うならば、まずは、こうした生物学でモデルとなっているジェンダーと、社会構築主義のジェンダーとの違いをお互いに認識することから始めなくてはならないかと。


せぐりん
 そうですね。


山口
 お互いに理解できる言葉で話さないと。


みあ
 そうです。今はジェンダーが同音異義語になってるから。


chiki
 そうですね。概念の整理、もしかしたら概念の発明すら必要になるのかもしれない。門外漢として驚いたのは、この手の話題が実はまだあまり展開されていなかったのか?ということ。


みあ
 そうなんですよー。


山口
 とくに日本のジェンダー学なり女性学なりというものが、圧倒的に社会学と、まあせいぜい一部の文学系くらいで成り立ってしまっている問題もあると思う。ほかの分野への広がりがない。


せぐりん
 概念が整理されてない言葉、科学の世界にもいっぱいある。


chiki
 その意味で、言葉のブラシュアップの重要なチャンスともいえると思うし、タイミング的には今こそその議論が必要なときだとも思いますねー。


みあ
 先の「ジェンダー概念について話し合うシンポジウム」でも私は「ジェンダーについて、それぞれがどう認識しているかもっとつっこんで話し合わなければいけない」と言ったのですけど、ほとんど反応なかった。「そんなことはもう懲り懲りだ」という会場の雰囲気だった。



山口
 あのシンポに出て来ているジェンダー学側の学者さんたちの中にも、ジェンダー=性役割といった理解の人はたくさんいるはずだ。


chiki
 じゃ、このメンバーでやり続けて無視できないストリームを作ればいいんですよ(爆)


macska
 というわけで双風舎さん、次の本でやりましょう。


chiki
 ちゃんちゃん。


山口
 全部次の本にもっていく macska さんと chiki さん(笑)


chiki
 あ、でも急になんだか整理されてきた感があるんですが(笑)


みあ
 せぐりんが、よくわからないと言ってくれたのがよかったと思います。


山口
 うん、よかった。


みあ
 あそこで、議論が深まった。


せぐりん
 うん。あそこが生物系との断絶だと思ったし。


macska
 みなさま、今日はありがとうございました。


みあ
 チャットに招待してもらえて、よかったです。みなさんと、いいつながりができました!


山口
 今日お話しを伺って、私も専門は文化人類学なので、社会学とか文学系の議論と若干ずれてる面もあるな、と感じたところも実はあります。そういうのもより深く考えたり議論していきたいなあ。


chiki
 最後に突然参加した司会ですが、とりあえずチャットの終了宣言させていただきます。
 おつかれさまー。

 いかがでしたでしょうか。『バックラッシュ!』以降では、理系を含めた議論の盛り上がりもまた大きな課題になることと思いますが、チャットでもいくつかのヒントが示唆されているのではないかと思います。なお、当ブログでは現在「竹村萌えについて話し合うシンポ」を検討中です(ウソ)