ボーンスタイン著『隠されたジェンダー』の訳者・筒井真樹子さんに聞く with スペシャルゲスト tummygirl さん

 みなさま、お久しぶりです。一年数ヶ月ぶりの更新です。
 今回は、ケイト・ボーンスタイン著『Gender Outlaw: On Men, Women, and the Rest of Us』が筒井真樹子 (makiko) さんの翻訳で日本で発売されたことを記念して、訳者の筒井さんとブロガーの tummygirl さんをお招きしてお話を聴きました。


隠されたジェンダー

隠されたジェンダー


macska
 こんにちはー。今日はケイト・ボーンスタイン著『Gender Outlaw: On Men, Women, and the Rest of Us』を翻訳して『隠されたジェンダー』として出版した makiko さんに、この本の魅力といま日本でこの本を出す意味について語ってもらおうという集まりです。ゲストに、セクシュアリティ系の話題で鋭い主張をされているブロガーの tummygirl さんにも来てもらいました。


chiki
 makiko さん、お久しぶりです。お蔭様で同人誌完売しましたよ(笑)。
 tummygirl さん、はじめまして。どうぞよろしく。


macska
 まずは読者のために『隠されたジェンダー』はどういう本か、簡単にまとめてもらえますか?


chiki
 ボーンスタインとは誰なのか、どうして書かれたのか、どう話題にされて、どういうインパクトがあったのか、という辺りを一度聞いておきたいですね。私も全然分からないので。それぞれの受け止め方の違いの意味も、それから分かるように思うので、ぜひ。


makiko
 ひとことで言えばケイト・ボーンスタインという、男性から女性、さらには第三の性別へ移行した演劇人の自伝なんですけど、演劇といってもクィア演劇といって、既存の主流文化に対するカウンターカルチャーとして、主流文化の異性愛中心的な部分、や、性別について固定的な部分を笑うような演劇をつくりだしている人です。


macska
 自伝といっても、普通に自分の人生に起きたことを書き綴るというものとは違いますよね。自伝でもあるけれど、それを通して二項におさまらないジェンダーやセクシュアリティのあり方について語っている。


makiko
 そうですね、作者の主観的な記述はいたるところにあるのだけれど、あくまでそれは演じている、ものであって、それをコラージュ、というかそれ自体テレビのチャンネルをガチャガチャやっている(古)、という感覚で。
 性転換する時、母親にあなたはとんだ役を引き受けたわね、と言われて、その時は憤慨したけど、今となってはありがたい言葉だ、というエピソードがありますが、この点がこの人の人生観なりジェンダー観を端的に表していると思う。


chiki
 確かにザッピングみたいだったw


tummygirl
 そこがトランスジェンダー的な文体だ、というようなことも言いますよね。


makiko
 ビデオアートの作者で、ナムジュン・パイクという、坂本龍一とかとコラボやっていたこともある人がいますけど、それ思い出していた。


macska
 引用多いですよね。まさにテレビのチャンネルをガチャガチャやっている感じ。って、その感覚ガチャガチャやったことのない世代に伝わるのかどうか。


tummygirl
 最初はその感覚だけを見ていたので、感覚的には取っ付きにくかったです、私は。そんなに簡単にジェンダーのザッピングができるかよ、と思ってた。


macska
 でもそのうち催眠が効いてきたり…


makiko
 今となってはある意味古典ですよね。良くも悪くも。1980-90年代前半のポストモダニズムは色濃く出ている感じはしますね。


macska
 ところで、それぞれがこの本にどのように出会ったかを聞きたいです。 chiki さんは今回のチャットのために強制的に読まされたというコトでいいですけど。


chiki
 はっはっはw


tummygirl
 私は99年とかそのくらいに読んだと思います。結構遅かったので、内容的な衝撃度はそれほどなかった。


macska
 ブログでも書きましたが、わたしは95年前後に読んで、当時かなり衝撃を受けました。当時、トランスジェンダーなんて知らなかったし。で、たまたま読んだ日の3日後くらいに、著者が大学に来たんです。トランスジェンダーを自称する人にはじめてあって、すごく感激。


tummygirl
 そのあたりの数年というのは大きいですよね、きっと。すごい勢いで変化していたし。
 あと、99年くらいで、結構もうボーンスタイン的なトランスという発想は広まりつつあったような気がします。当時英国にいたんですけれど、普通の大学院生の友人がすでにああいう物言いをしてて、そっちを先に聞いていたし。


macska
 それは不幸でしたね(笑)


tummygirl
 私はむしろ何だろう、ある意味「今更?」くらいの気持ちで読んでいました、最初は。その後で読み直して、あれ、でも面白い、と思って。


makiko
 日本のトランス業界では全然まだ今更でもないと思うけど。


tummygirl
 ボーンスタイン的な「トランス」的な観点を私が最初に知ったのは英国人の友人からだったので、本を読んだときには「今更」と思った、ということです。もちろん時間的にはボーンスタインが先で、それが英国に輸入されてきていたわけですが、当時の私はそんなこと知らなかった。


macska
 ボーンスタインだけじゃなくて、わたしの感覚では Leslie Feinberg の 『Transgender Warriors』が同時期に結構影響あったと思います。


makiko
 私は全編を読んだのは2002年、『トランスジェンダリズム宣言』のエッセイのリサーチとしてです。
 で、今の日本でなぜこの本の翻訳をやろうかと思ったかというと、前回(ジェンダーフリーからジェンダーライツへ)に言ったことでもあるけれども、日本のバックラッシュの中で、保守側が日本人のアイデンティティだとか、男性のアイデンティティを高めようと喧伝するなかで、左派の方も、マイノリティとしてのアイデンティティを固めてそれに対抗するという、政治的な動きがいろいろと出てきているけれど、それでいいのか?、という思いがずっとしているからです。
 解説に書きましたけど、この本が書かれた1990年代前半は、アメリカでもゲイリブやフェミニズムに対する広範なバックラッシュが起こっていて、ボーンスタインが書いたのもそういう状況下であって、もちろん文脈は異なるから同列に比較することはできないのかもしれないけれども、参考にするのはありかと思って。


macska
 なるほど。


makiko
 同じアイデンティティを共有する人が集まって何か政治的なアクションをやることは、代表制民主主義がある以上、ある意味必要悪なのかもしれないけど、アイデンティティはそんなに明確なものでも固定的なものでもないですし、そういうアイデンティティ政治の内部では必ず権力構造が生まれたり、排除が行われたりする。ボーンスタイン自身そういうものに巻き込まれたわけですし、そうでない政治は可能なのか?、という問いを立てたかったわけです。
 ところで、ぶっちゃけ翻訳としてどうでしたか?> tummygirl さん、chikiさん


chiki
 いい本だと思いました。訳のよしあしについて、特にひっかかるところもなく、スラスラ読めましたし、コラージュ文体のよさも出てた。


tummygirl
 訳しにくそうだと思っていたんですけれど、読んでみて、うまいなあ、と。


macska
 訳しにくいですよね。特に演劇の部分とか。


tummygirl
 とりわけあれですね、日本語文体は「女風」「男風」ってありますから、そこをどうするかって難しかっただろうなと思う。


makiko
 ありがとうございます。
 翻訳としては、戯曲あり、モノローグあり、講演録あり、詩ありで、総合力を試されましたね。
 戯曲については、作者とメールして、日本語で主語や会話を性別によって変えられるのならそうしてくれ、と言われて。


tummygirl
 ああそうなんですか。翻訳文体のジェンダーって結構気になるので、これは大変だったろうなあと思っていたんです。


makiko
 それこそ日本語のもつジェンダーですよね。


tummygirl
 ええ。文学や英語演劇の翻訳でもかえって過剰な女文体になっていて気になることとかありません?日本語の難しいところだろうなと。


makiko
 だからむしろ過剰にそこを演出してくれというのが作者の要望で。
 

chiki
 なるほど。


tummygirl
 なるほどね。今回の部分はそうかなと思ってそれで納得して読めたんですが、作者の希望だったんですね。
 それから、やっぱりボーンスタインが演劇人だからかなと思うのは、ザッピングできるよというのがそれ自体既に一つの効果を狙った演技/行為ですよね。演技/行為への意思が感じられるところが、私は好きです。いま読むと特に。それは makiko さんのおっしゃっている政治的文脈という話と、私の中では関係があるのですけれども。


macska
 ところで、以前 makiko さんが参加された『トランスジェンダリズム宣言』との接合はどうなっているのでしょうか?


makiko
 といいますと?


macska
 宣言の呼びかけと『隠されたジェンダー』で展開される話の関係はどうなっているのかと思ったのです。
 『トランスジェンダリズム宣言』ではトランスジェンダーとしてのアイデンティティを確立、みたいな感じだったのが、今回はそれすら脱構築するようなアイデンティティの着脱化みたいな方向に行った道筋について。まぁ著者の主張がそのまま訳者の主張と決めつけるわけではないですけど。


makiko
 ん? 私がもっとトランスジェンダーのアイデンティティ政治の確立という次元でがんばるべきだったのに、ということですか?


macska
 いや、わたし自身はアイデンティティ政治に基本的に反対で、ボーンスタインの路線でいけるならそれがいい。ただ、周縁化されたコミュニティが政治的な行動を取ろうというときに、なにか強固なアイデンティティの共有を基盤にしていこう、というのはよくある。


makiko
 性同一性障害者のアイデンティティ政治だったら成立しているかもしれませんけどね。もともと性同一性障害か否かというのは診断書の有無で明確に分かれるものだから、それに基づくアイデンティティ政治というのはすごくやりやすいわけだから。
 そういう中で、性同一性障害の枠組みにおさまらない人は非顕在化するか、あるいは無理やりにでもその枠組みに入らざるを得ない状況になっているわけです。


macska
 そういう状況で、makikoさんはどうしたいんでしょう。わたしの解釈と少し違っているのかもしれないのだけれど、makiko さんの書いたものを読むと、『Gender Outlaw』の中で「サードジェンダー」という部分に焦点を置いているような気がして。医療ではないにせよ、サードジェンダーというのもやっぱりアイデンティティになっちゃいますよね。


makiko
 サードジェンダーといっても、考え方としてはふたつあって、単に男女の中間のアイデンティティを認めろ、という主張と、男女という枠組み自体を脱構築しろ、という主張と。ボーンスタインがとるのは後者なわけですけど。


macska
 サードジェンダーというのは、必ずしも「第三の性を認めて二元制から三元制に変えろ」という要求ではなく、サードジェンダーを梃子にして枠組み自体を葬り去ろう、という方向も持ち得るわけですね。
 ところで脱構築しろというのは、具体的にどうすれば良いのでしょうか。男女同室着替えとか?(爆)


chiki
 また懐かしいものをw


macska
 ノスタルジアですねー。


chiki
 騒いでいた本人たちも忘れているようなw


makiko
 ボーンスタインによれば、それこそ男性、女性というアイデンティティなりジェンダー表現を徹底的に相対化したうえで、まさにザッピングですけど混沌の中に持ち込むことですね。ただ、自らアジェンダー(無性別)な生き方をとることはむしろ明確に否定している。


macska
 『Gender Outlaw』の次に出た『My Gender Workbook』 という本で、読者から寄せられたたくさんの「性自認」のリストがありますよね。同じ「性自認」の人は誰もいない。男性、女性を徹底的に相対化すると、そこに行き着くのではないかと。


tummygirl
 それは makiko さんの発言でいう混沌とは違うような気がしますが、そうでもないのでしょうか? そこは私もちょっと聞いてみたい。


makiko
 それはそうなんですけど、今の日本の状況だと、単に性の多様性、「みんななかよく」みたいなところで終わってしまう。
 その間の権力関係みたいなものが見えない。ボーンスタインがそこを言い表すことに成功しているかといえば、不十分な感じもするのだけど。例えば、トランスジェンダー内部の権力構造については、すなわちポスト・オペラティブのトランスセクシュアルが最上位に来て、女装者が差別されるというような話は出てくるけど、それがなぜ起きるかはこれだけではわかりにくい。


macska
 うん、わたしもそれは不十分だと思っています。単に境界をとっぱらえばそれで解決みたいなところが特に。


makiko
 だからといって境界を前提に組織を固めましょう、というのには違和感を感じるけど。


tummygirl
 そこでいろいろなジェンダーって言ってしまって終わると、権力関係が見えない危険があるのかと思うのですが、ジェンダー表現の相対化とザッピングというのは、ある意味、一定の権力関係によってジェンダー表現が指定されているという認識をふまえつつ、その上で何をするのか、という方向を目指すという事なのでしょうか。


makiko
 いや、まだこの本が出た1994年の時点では scrap and scrap しただけなので(笑)。ただ日本の場合はそれすらもまだ出来ていない。


tummygirl
 完全に成功しているかどうかは私もちょっと微妙だとは思いますが。


macska
 わたし的には、権力を「家父長制」で片付けるところが一番弱いと思いました。


makiko
 翻訳屋としては、まあその辺ハラハラするところもありましたねー。


chiki
 それはオモタ。


makiko
 というか権力関係の分析が粗雑というか。一般向けだから仕方がないのかもしれないけど。だけど、思考を進める上での手がかりはたくさん提示されていると思う。
 例えば、ジェンダーなきセックスとか、SM のところに出てくるジェンダーについての相手の同意(自己決定というのとは微妙に異なる)というのはおもしろい視点だな、と思いますけど。


macska
 ジェンダーなきセックス、あれは伏見憲明さんの『欲望問題』への反論ですね(笑)


makiko
 そうそう。


macska
 ひびのまことさんが書いた「たとえそこがどこであっても」という論文にも通じる。


makiko
 伏見さんとバトル中のtummygirlさん、何か一言w


tummygirl
 バトルはしてないですよ(w あの件に関しては、それこそ、この本を一度読んで!とは思いますが(w
 それとは別ですが、セクシュアリティ系のことはやるけど伝統的なフェミ系ジェンダーの視点は無視というか抑圧という、そういう意味で「ジェンダーなきセックス」な人たちに囲まれたりすると、「家父長制悪!」みたいな部分を読んでほのぼのしたり(w


macska
 あはは。


makiko
 『欲望問題』に関して言えば、一方で欧米型のソリッドなアイデンティティ政治にも対抗する必要があるけど、伏見さんもはまっている、日本的なやわらかいアイデンティティ政治もなんだか気持わるいので、それに対する対抗言説は、用意する必要がありますね。


tummygirl
 やわらかいアイデンティティ政治というか、「政治性」を剥奪したアイデンティティ政治ですよね。
 逆に、欧米型のソリッドなアイデンティティ政治っていうのは本当に欧米だけのものなのかな〜とも思うんですけどね。


chiki
 どうソリッドなのだろうか。


makiko
 生まれながらの属性を根拠に参加できる主体を明確に規定した上で、外敵を明確にした上でのアイデンティティ政治か、単に同好の士がなんとなく集まってやっているか。
 ただ日本の場合、「政治性」を剥奪したアイデンティティ政治といっても、それを政治の場で実践してしまったわけだけど。尾辻さんの選挙でw。


macska
 クレイグ議員みたいなのは外敵なのか同好の士なのか…


makiko
 ジェンダー巻さんもだわw
 本当に欧米型なのかな〜というところをkwsk。


macska
 欧米にもいろいろあるでしょう…って一言で終わりだよ(笑)


tummygirl
 そう、それが一つですね。あと、ソリッドなアイデンティティ政治っていうのは本当に日本的ではないの?というのが。


makiko
 アイデンティティ政治のないところに、ポスト・アイデンティティ政治であるクィア政治もない、とよく言われますが――これこそ伏見さんがどこかで言っていたと思いますが――、ゲイ男性に関してはアカー初期の実践とかありましたよね? レズビアンについても掛札悠子さんとかがいた。これらには当時からも関西ではいろいろ批判があったようですが、トランスについてはアイデンティティ政治をやろうとする動きは明確にはなかったと思いますね。


tummygirl
 もどっちゃいますけど、トランスジェンダーのアイデンティティ確立というのと、アイデンティティの脱構築とか、ポスト・アイデンティティというのとは、makiko さん的にはどう関係しているのか、うかがえるとうれしいのですが。


makiko
 トランスに関して言えば、前述の通り、トランスジェンダーのアイデンティティ確立というのは日本においては失敗しているわけで。


tummygirl
 そうすると、トランスのポスト・アイデンティティ政治もあり得ない?


makiko
 いや、だから私は今現在はむしろトランスのアイデンティティ政治を壊すというのではなく、直接、男性だとか女性だとかいうアイデンティティあるいはアイデンティティ政治を問題にしているわけです。
 「トランスジェンダー」を二元的な性別を前提に、一方から他方への「越境」だと捉える限り、トランスジェンダーのアイデンティティといっても、結局男性または女性というジェンダー・アイデンティティに回収されてしまう。だから、そういう意味でのトランスジェンダーのアイデンティティ構築ということはそもそも意味がないことになる。
 だから、逆説的にですが、トランスジェンダーのアイデンティティ構築をもし仮にやろうと思っても、必然的に男性だとか女性だとかいうアイデンティティの脱構築を避けて通るわけにはいかないわけなのです。
 先ほど、レスリー・ファインバーグの話が出ていたけど、彼の、というかhirの戦略はアイデンティティ政治と言えなくもないわけだけど、ボーンスタインと対立するどころか相互補完的な関係にあるのはその辺の関係があるのだと思う。
 ここで、日本のバックラッシュの話に戻るけど、今ジェンダーフリーということが言われなくなって(これ自体は守るつもりないけど)、フェミニズムでさえ無条件に女性アイデンティティということを前提に話を進める方向に向かっているでしょう? そういうのが幅をきかす状況になれば、弾き飛ばされるのはトランスジェンダーとか、そういうわけのわからない人なわけだから、やはり今ここで女性だとか男性というアイデンティティを根拠にする政治を疑わないと大変なことになる。


macska
 今と言わず、もともとフェミニズムはそういうモノだったと思いますが。


tummygirl
 そうそう、もともとそういう物だったと思うんですけれども、同時にその時の「女性アイデンティティ」を考え直そうねっていうのもフェミニズムにはあって、ただ口ではずっと言われているけれども、フェミニズムが全部そういう風に動くかというとなかなか動かないですね。


macska
 だって、女性アイデンティティ前提を見直そうとしたら、すぐにおかしな男性が入ってきて仕切り出すんだもの(笑)


tummygirl
 笑


makiko
 w


macska
 女性オンリーのスペースからのトランス排除の論理を見ても、「もしトランスを入れたら、トランスでもない男性を排除できなくなる」というのがある。


makiko
 トランスの話に戻れば、私はジュリア・セラーノみたいに女性アイデンティティを引き受けた上でフェミニズムを語るという立場にないし。


tummygirl
 女性オンリースペースからのトランス排除というのは現在の日本ではどのくらい起きているんでしょう。ご存知ですか?


makiko
 ビアンバーのほとんどがそうですね。


tummygirl
 あ〜バーはそうなのか。


macska
 ひびのさんがこっちに遊びに来たとき、ビアンバーに入れるって驚いてました。日本のとはバーの規模が違うと思うけど。


makiko
 レズビアン系の団体はたてまえ上排除はしないことになっているけど、快く思わない人は存在しますね。


macska
 ボーンスタインの権力観の問題は、この女性オンリースペースの話のところで一番出てくると思うんです。とにかく悪いのは家父長制でレズビアンもトランスジェンダーも同じ被害者だということになってしまって、レズビアンによるトランス排除は抑圧ではなく単なるミスコミュニケーションみたいな。抗議行動はやめて、もっとよく話し合いましょう、と。「活動家は敵をきちんと選べ」って、実質的に「レズビアンがトランスジェンダーにどんな酷い事をやっても批判するな」と言っているも同然。


makiko
 というかあれは結論をださずにごまかしている感じだと思いますね。私もあそこは消化不良なんだけど。


tummygirl
 それは思いました。レズビアンによるトランス排除は社会的基盤を持たないけれども男性社会でのレズビアンの抑圧は社会的基盤を持つっていうところですよね? そりゃ違うだろうと。


macska
 家父長制が全部悪い、という権力観のせいですよね。
 おかげで、人種や階級による抑圧がジェンダーにどう絡むのかという方向には全然議論がない。


makiko
 うん、白人中産階級的なフェミニズムというか。まあまだ94年だったらそこまでは仕方がないのかもしれないけど。


tummygirl
 日本の場合そもそもフェミニズムからレズビアンが無視されてますからね、かなり。


makiko
 ところで、tummygirl さんにお聞きしたいのですけど、日本でクィア学会がこの秋開催されますよね?


tummygirl
 あ、はい。


makiko
 ここであえてLGBTとか性的マイノリティ学会でなくあえてクィア学会となったのは?


tummygirl
 どうしてなんでしょう(w 個人的には、LGBT学会とか性的マイノリティ学会と言うと、なんだかLGBTを研究する学会とか、性的マイノリティを研究する学会、みたいなニュアンスが強い気がする。
 クィアってそもそも「それなに?」な部分があるので、そこが弱点でもあるのですが。


macska
 クィア学会だとどういうニュアンスに?


tummygirl
 ええと、クィア学会というときは対象だけではなく視座としてのクィアということを一応含意している、という感じです。
 対象はヘテロ社会かもしれない。男女二分法的なジェンダー制度かもしれない。ていうかむしろそっちだ。くらいの感じ。あくまで私個人の感覚で、学会呼びかけ人の統一見解のようなものではないですが。


makiko
 私としてはボーンスタインの本自体を、LGBTそれぞれのアイデンティティに基づく政治と、クイア的な政治を明確に区別しているものと読んだのですが。つまり、アイデンティティの明確性、不変性、生得性を前提にする政治か、アイデンティティの曖昧さ、流動性、選択可能性を前提にする政治か。


macska
 レズビアン&ゲイスタディーズじゃなくてクィア学会がいきなりできてしまうのも、アイデンティティ政治がないままポスト・アイデンティティ政治に行かざるを得ない状況と似ていますね。


tummygirl
 確かに。でもアイデンティティ政治は一応あったですよ、日本でも。LGについては、少なくとも。


macska
 ああ、そうでしたね。


makiko
 さらには、同化主義(フェミニズムで言えばリベラルフェミニズム?)か、そうでないものを目指すか。


tummygirl
 ボーンスタインはLGBTの政治とクィア政治とをそういう感じで分けている部分があると思いますが、LGBTスタディーズではなくクィア・スタディーズの学会、という時には、同化主義かそうでないかというよりは、対象か視点か、ということを意識していました。


macska
 でも同化主義に限らないでしょう。


tummygirl
 そうそう、レズビアンのアイデンティティ政治なんて同化主義じゃないですよね。


makiko
 セパラティズム(分離主義)に逝ってしまうけど。


macska
 最近では同化主義でないアイデンティティ政治の方が多いような気も。 Mattilda こと Matt Bernstein Sycamore の『That's Revolting!』とか。


makiko
 読んでないのでkwsk


macska
 『That's Revolting!』というのは、クィアの立場から同化主義に反対する本です。でもそこで、クィア独自のセンシビリティや価値観というのがでてしまう。


tummygirl
 あら(w それは厄介だ。


makiko
 ボーンスタインはむしろそっちを批判しているのかな。


macska
 ボーンスタインは、何かを批判するどころか、フィールド自体自分で立ち上げたと言っていいのでは。


makiko
 94年の時点で、そういう議論のスキームを作ったところはすごいし、それは生のままつたえたい。
 パトリック・カリフィア『セックス・チェンジズ』の訳本の解説では、竹村さんや野宮さんはこの点をたぶん意図的に避けていたから、今回はここを明らかにしたかったわけで。


macska
 ただ、ジュリア・セラーノの本が今出ているけど、ボーンスタインの本は普通のフェミニストにとって都合がいいんです。


makiko
 え?どういう点で? 日本の文脈では実感がわかない。


tummygirl
 家父長制悪!だからですか?


macska
 家父長制論を何ら変える必要ないし、トランスジェンダーはこんなに素晴らしい、と受け入れる口実を作ってくれる。「少数者を受け入れるリベラルなわたし」という自己イメージに合致するわけ。


makiko
 でも現実にはトランスジェンダーはフェミニストの間でも排除されることの方が多かったのでは? アメリカでも日本でも。
 私から見ればセラーノの方が伝統的なように思うけど。フェミニストが自分の女性アイデンティティを揺るがされることがないという点で。


macska
 ああ、それはその通り。
 でも、ほとんどの人はボーンスタインをちゃんと読んでいないもの。いくらボーンスタインが頑張っても、結局「わたしたちとは違う、特別な人たち」の話として読まれてしまう。読みたいことしか読み取らない人って結構多いからね。
 そういう風に誤読された結果、むしろボーンスタインの本はかれらを安心させてしまう。トランスジェンダーというわけのわからないのがいるけど、家父長制を脱構築するから良いんだと。


tummygirl
 でも、あらゆる人がジェンダーをつくろうとしている過程にあるし、それに失敗し続けている、みたいなこともいいますよね? ある意味バトラーみたいだけど。


macska
 うん、でも伝わらない(笑)


tummygirl
 あ、伝わらないのか(w


macska
 ジュディス・バトラーを理解できなくても仕方がないけど、この本くらい分かりやすく書いたモノを読んで理解してくれないのは困りますよね。


makiko
 それ自体、ノン・トランスのフェミニストとの間に権力関係が存在することの表れというか。でもボーンスタインを擁護すると、性別に疑問をもつ人はだれでもトランスジェンダーだということを言っていて、特殊な人の特殊な問題とは言っていないでしょ? もし特殊な人の特殊な権利という話だったら、それこそ日本の性同一性障害者のメインストリームと同じになってしまう。


macska
 そうはまったく言っていない。


tummygirl
 そうそう、だから面白いんだと思ったんですけど。


macska
 というより、『My Gender Workbook』の方では、本当の男性はキャプテン・カークだけで、それ以外はみんな程度の違いこそあれトランスジェンダーだと言っていますね。キャプテン・カークって、スタートレックの艦長ね。


tummygirl
 なぜキャプテン・カークw


macska
 ボーンスタインがそう書いたのは、スラッシュノベルが流行る前でした。スラッシュのカーク/スポックとか読めば、カーク艦長もクィア(笑)
 しかし、わたしの好きなピカード艦長は男らしくないというのかー!


tummygirl
 でもフェミニズムがトランスを使っちゃうというのはすごくわかるというか。今年の女性学会もそうでしたし。あれはトランスだけじゃなくてLGもだけど。


makiko
 それを言うなら『Undoing Gender』がまさにそうでしょう(苦笑)


macska
 話はかわって、本の最後に掲載された演劇と詩、どう思いました?
 体の細胞が7年で入れ替わるというのはウソですが(笑)


tummygirl
 あ、嘘なの?w


tummygirl
 あのお芝居を実際に演じようと思ったら日本語では演じる人によって微妙に一人称や語尾がかわるかもしれないですね。


makiko
 初演ではボーンスタインが司会者のドック、男性がケイト役だったんですよね。


macska
 男性と言ってもジャスティン・ボンドだけどね。


tummygirl
 「見せ物」という形態と「演劇」という形態との間を縫っていくところは、演劇としてはとてもスリリングで面白いし、テーマと形態とが本当に密接に関係していますよね。


makiko
 日本でやるとしたら、大規模に翻案するしかないと思う。ただ、日本の近代以前は少なくとも同性愛には寛容だったということなので、明治あたりと現代をセッティングするか。だから、見る者の権力性を浮き立たせる仕掛けになっているのはすごいと思った。


tummygirl
 そうそう。かといって見る者に権力性を与えて終わりじゃなくて、それをこう、一瞬奪い返すんですよね。演劇の力というか、演じる存在の力っていうのを信じている作家なんだなあと思いました。


makiko
 で、だから登場人物が無性別 (agender) になる場面があるけれど、人間の真の姿はどうだとか、そういうところはあまり問題ではないと思う。作者自身は思い入れあるみたいだけど。


macska
 うん。


tummygirl
 そうですね。


makiko
 作者も、クイア演劇がクイア演劇たるゆえんは、単にLGBTのことを描いておわり、ではなく、LGBTがどうこれまで表象されてきたか、という構造を明らかにすることだ、と言っているわけで、


macska
 クィア演劇というのは、対象や題材がLGBTである必要すらないですよね。


makiko
 それはそうです。


tummygirl
 対象ではなく視点ってことですよんw


makiko
 これは、いまだ自らをかわいそうな存在として表している、少なくとも日本のトランスには警鐘だと思うし、あるいはその反作用として単に明るく元気な存在として自らを表しているLやGに対しても。


macska
 他に言い残したことがなければ、そろそろまとめに入りたいのですが
 チキさん感想は?


chiki
 チャットの感想なのであれば、「本より難しかった」でw


macska
 ごめんなさい。


chiki
 いや、もっと「一般読者の立場」からの質問せめとかするべきだったかもしれないけれど、滅多に集まらない面子なので、刺激的な対話をしていただいて、必要に応じて注を入れればいいやと思い至り、ふむふむ聞いておりました。
 最後にひとつだけ、つまらない質問なのかもしれませんが、
 隠されたもの ひとつのジェンダー
 隠されたもの 無性差
って、ダブルミーニングになってるんですよね?


makiko
 はい。
 あとHidden Agendaと3つ


chiki
 あ、なってるんだ、やっぱ。書いてあったっけ?(汗)


makiko
 重層的に意味が重ねられていたり、韻がふまれているところは全部フォローできなかったところもあるけど、別のところからはわかるようにはしといたはず。


chiki
 なるほど。


makiko
 近作ではさらにそういう傾向が強いらしく、来日公演を頼んだら断られたw


chiki
 あらま。


macska
 あらら。


makiko
 Queer and Pleasant Danger という作品だそうで、法律用語の「明白かつ現在の危険」(clear and present danger) をもじっているのだけど、それすらもニュアンスでないもん。


chiki
 ジェンダーに関する議論自体、翻訳するのが難しそうですね。


makiko
 ぜんぶカタカナで済ますわけにはいかないしw


macska
 タイトルは「ジェンダーアウトロー」で良かったと思うけど。


makiko
 それは避けるつもりだった。一応日本でも手あかがついているから。


tummygirl
 「ジェンダーアウトロー」が? 良く使われているからですか?


makiko
 よく使われているというより、ある翻訳書の帯に使われてしまっている(苦笑)。それと、単にトランスだけの話の本にしたくないし。


chiki
 「隠されたジェンダー」も、読んでみたら悪くないと思ったんだけど。


macska
 「性別無頼」は強烈なのがいい。


tummygirl
 「性別無頼」は私も好き。


macska
 最後に、一言お願いします。
 二言でも三言でもいいですが、まとめる方向で(笑)


makiko
 えーっと、一部の本屋では手に入りにくいと思いますが、とにかく買って読んでください(笑)ということです。


tummygirl
 私はやっぱり、ザッピングなんて簡単にできるか!というはずのものを、でもあえてやってみせちゃうっていう「アクト」に、感じるところがあります。そのあたりを、じゃあ今の日本の状況では、あえて何をどうやってみせるのが良いのかっていうことと絡めて読むべきだと思うし、そういう意味で今日本で出版されるということはうれしい。


chiki
 「ジェンダーに関する議論を「隠された」ものにし続けないように、今後も議論を継続する必要がありますね。『隠されたジェンダー』をみなさんどうぞ手に取ってください。」というまとめでどうか(笑)


makiko
 もちろん文脈も違うわけですが、何を見せるかでなくてどう見せるか見られるか、ということを考えるにはよい素材だと思います。「顕在化」ということが昨今流行語になっていますが、どう顕在化するか、ということはまともに話し合われた形跡は少ないと思いますので。


chiki
 たしかに。


tummygirl
 どう見せるかによって何が見えるかも違ってきますしね。


makiko
 そうです。かわいそうなマイノリティも困るけど、単に明るく元気な、というのにも辟易してますんで(笑)。


macska
 makikoさんの次のプロジェクトは何ですか? 初版を売り切る、の他に(笑)


makiko
 ロードマップ的には単著でしょうけど、理論書にするとは限らないですね。


tummygirl
 でも楽しみです。>単著


macska
 期待してますー。
 今日は『隠されたジェンダー』訳者の makiko さん、それからゲストの tummygirl さん、どうもありがとうございました。この本は本当にもっとたくさんの人に読んで欲しいです。


makiko
 ありがとうございました。


tummygirl
 ありがとうございました。


chiki
 勉強になりましたー。


隠されたジェンダー

隠されたジェンダー