運動内・学会内マジョリティの「連帯」をぶち壊すということ

 こんにちは、みなさま。5ヶ月ぶりに新しい座談会をお届けします。
 と言いつつ、このチャット座談会が実際に行なわれたのは昨年末。参加者が多く編集がややこしかったことや責任者が病気で寝込んだこともあり、公開準備に3ヶ月以上もかかってしまいました。
 そもそも今回の座談会は『隠されたジェンダー』をめぐる前回の座談会のあと、フェミニズムとクィアという2つの運動を横断して、アイデンティティと政治運動をめぐる議論をもう少し詳しくやりたいな、と思って企画しました。
 ゲストは前回に引き続き登場の筒井真樹子(makiko)さん、ブロガーのtummygirlさんに加え、日本の草の根フェミニズム運動に詳しい斉藤正美(masami)さん、山口智美(tomomi)さんにも合流していただきました。ホストはmacskaがつとめました。


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macska
 こんにちは、みなさま。今回はフェミニズムやクィア・トランスジェンダーの運動におけるアイデンティティとアイデンティティ政治というテーマで、これまで史上最多の4名のゲストをお迎えしています。よろしくお願いします。わたしの発言は聞き飽きたという読者も多いでしょうから、今日は当社比3割ほど控えめでいくつもりですが、はたしてどうなることやら。


makiko
 なりゆきでバトルロイヤルでいいのでわ?


tomomi
 うん、なりゆきでなんとかなるとみた。


macska
 本日のメインイベントは makiko vs. tomomi なので頑張ってー(笑)


makiko
 案外馴れ合うかも。伊田ネタとかでw


tomomi
 イダネタ(笑)


macska
 というわけで、どのあたりからはじめるのがいいかな。


makiko
 イダ。


tomomi
 早速イダですか。


makiko
 で、真面目な話ですけど、伊田さんについても私についても言えることだけど、フェミニズムについては、語る主体の当事者適格という問題が出てきているわけですが。


tomomi
 もう少し具体的にお願いします。


makiko
 例えば私についていえば、男性としての経験性の方がやはり、女性として、サードジェンダーとしてのそれより、やはり外からみても顕著だと指摘されたりすることもあるわけです。それを、ポジショナリティ、すなわち女性のなかでの人種や階級などの差異の問題みたいなものと同様の次元の問題として片付けてよいのかどうか。
 もちろん、蔦森樹みたいにメンズリブの問題として貫くというやりかたもあるのですけど。


tummygirl
 ポジショナリティではない問題として考えるべきだろうか、ということですか?


masami
 おっしゃりたいことはフェミニズムからすると「女」当事者ではないと指摘されるという意味でしょうか?


makiko
 はい、どちらについても。


macska
 MTFでも完全に自分のアイデンティティは女性だという人なら、女性の中での差異として自分の中で済ましてしまえるけれども、サードジェンダーとかトランスジェンダーとか考えてしまう makiko さんの場合はそうはいかないという意味でしょうか? それとも、完全に女性を自認する MTF であったとしても倫理的な問題としてそれで済まして良いのかどうかという話?


makiko
 はい、私の場合は完全に女性に帰属しているという意識はないので。女性のアイデンティティを引き受けるといえば、Julia Serano とか、日本だったら麻姑仙女さんとかがちょっと異なるかもしれないけどそうなのかな?
 現実に性差別があって、区別があるなかでは、それを前提に動くしかない、というところはあるわけで、そういう中ではどうも私はそういう立場性=アイデンティティを引き受けることはこれまで出来てこなかったようなところがあるわけです。「性同一性障害」とかも含め。


tummygirl
 立場性=アイデンティティとして、ここでは考えるわけですね?そうすると、ポジショナリティっていうのは?
 とりあえず、話の出だしで、アイデンティティとポジショナリティって今分けて使っているのかどうか、確認いただけますか? >makikoさん


makiko
 分けて使っています。


tummygirl
 「当事者適格」というのはどちらにかかわるのですか?


makiko
 だから、当事者適格は一般にはアイデンティティの問題とされているわけだけど、私はそうではないのではないか、という考えをもっています。


tummygirl
 あ、そういうことか。すみません理解遅くて。>makikoさん


tomomi
 うん、私もポジショナリティとアイデンティティは別の問題としたほうがいいと思います。


makiko
 もう少し補足すれば、それこそ裁判用語なわけで、ある利害関係にかかわる人はだれでも当事者になりうるのに、実際はある資格(アイデンティティ)をもつ人だけの問題、とされてくるようなことがいろいろあったわけで。
 たとえば同性婚なんかでも、同性愛者*だけ*の話とされるのは物凄く違和感があったり。
 もっとも、アイデンティティ政治をやる側からすると、その方がわかりやすい、バックラッシュ環境では訴求力がある、といわれたりする。


tomomi
 「バックラッシュ環境」というのが錦の御旗みたいになって、いろいろ言えないことが多くなっている。そして発言する人たちも限定されてきている。


tummygirl
 資格が「属性」になるところが問題なのだろうとは思うのですが。


makiko
 はい >tummygirl


tummygirl
 属性は変化しないことになっていますから。


makiko
 はい。だから生物学的本質主義とよくセットになっている。


tummygirl
 そうそう>生物学的本質主義
 それも変わらないことになってるらしいので、同性婚は確かに属性を使いやすいですよね。


tomomi
 ああ。


makiko
 これは、性同一性障害の場合、脳の性分化説という形で言われてきたわけだけど、この点はサイモン・ルベイなんかを見るとゲイも変わらない。


tummygirl
 カウンターディスコースとして有効だったというのは事実ではある。ただ限界もかなりあったわけですよね。


makiko
 オールアバウトジャパンで赤杉康伸さんが言っていることだけど、それだけでは何もできないだろう、という懸念も着実に芽生えてはいる気はしますが。
 ただ、具体的にどう動いて行けばいいかというと、まだ方向性が見えていない、というところかと思います。ましてやまだバックラッシュに対して防戦一方のところもありますから。


tomomi
 話ずらしちゃったら申し訳ないのだけれど、今MLなどでもりあがってる松山市の件、フェミ系のひとが送ってる反論の呼びかけ文に、

 (2)身体及び精神における男女の特性の違いに配慮すること。
  男女の特性を強調することはセクシュアルマイノリティの方々へ配慮に欠けることになります。

 これはなんじゃーとびびっていたのですが。
 
macska
 某秘密主義MLのポストですね(笑)


tummygirl
 えー見てなかったw


tomomi
 某秘密主義ML以外も、いろいろなフェミ系MLで盛り上がっている様子。


makiko
 ただ、伝統的な性同一性障害の理解では、男女の特性の違いを強調することは、むしろ親和的なところもありますけど。


macska
 身体はともかく、精神における男女の特性という点ではね。


tomomi
 ああ、そうですね、伝統的なやつにはね。


tomomi
 「セクシュアルマイノリティ=伝統的性同一的障害」みたいな理解なんだろうか。


makiko
 それが代表されてしまっている感はまだありますね。


tomomi
 女性と政治関連の活動しているフェミニスト(とも自認してないかもしれないが)層の多くは、そう思ってそう。


masami
 「男女の特性を強調することはセクシュアルマイノリティの方々へ配慮に欠ける」これ、ジェンダーフリーということばを意識しているんじゃない?もしかして。


tomomi
 どういうふうに?>斉藤さん


masami
 セクマイの人たちが求めているのがジェンダーフリーの方向で、ジェンダーフリーは男女の特性を強調しないということでしょうというように思ったのだけど、セクマイといってもいろいろいるから。


tomomi
 この文書のジェンフリ定義はこれなんですよね

ジェンダーフリーとは性差別意識からの解放という意味で使われており、ジェンダー(社会的・文化的につくられた性差)によって個人の生き方が制限されず、男性も女性も等しく人間として自分らしく生きられる社会を目指したものです。


masami
 でも、イダ的にあっちでの定義とこっちでの意味は違っていたりするのでは。


tomomi
 うん、矛盾しているんですよねー。この矛盾に、今のフェミニズム業界の中途半端さがあらわれているというか。


masami
 最初の定義と、途中からの使われ方とその意味がぶれているということです。


makiko
 うんうん。


tomomi
 セクマイに配慮しなくちゃ、でも、実は何をどう配慮するんだかさっぱりわからないんだけど、とりあえず書いておかなくちゃ、みたいな。


tummygirl
 あーそれは。


masami
 そうそう。そんな感じかと思って。それっくらいで書かれている文章のような。よくあることですが…


tummygirl
 それ「も」ないのと、どっちがましなのかは微妙な所だと思うけれど。


tomomi
 うん、そうなんですよねー。


makiko
 で、当のセクマイも入れてもらっただけで大喜びとか(苦笑)。アメリカはもっと大変ですけど。


tomomi
 だけど、本当のところでは、フェミニズム内部に本質主義が悪いとも思ってない層は多いのではないだろうかと。


tummygirl
 それは多い(笑)。ていうか「せくまい」にだってものすごく多いでしょう。


tomomi
 伝統的性同一性障害だったら、まだわかりやすいけれど、そのほかのセクマイは実はよくわからない。でも、いちおういっしょくたにして配慮と書いておこうと。


makiko
 日本のばあい、とりあえず配慮はしておかれるけど、その実質は何も配慮されていない、ということはよくありますね。名前だけ配慮されたふりされるけど、ということで。


masami
 あー、それは男女共同参画政策しかりです。


tummygirl
 それほど簡単かなあ。


makiko
 むしろ、権力構造とかそういった面倒な議論を避けるため、とりあえず名目だけ配慮して済ましておこう、という姿勢は、行政だけでなく運動内部にさえある。


tomomi
 斉藤さんとtummygirlさん、もうちょっとご説明よろしくですー。


masami
 セクシュアルマイノリティについてだけのことではないと言おうとしました。日本では入っていることになっている性差別や男女平等政策など、フェミニズムが進めてきたとされていることだって、一応名目だけは政策に取り入れるそぶりは見せるんだけど、実質的には顧慮されているほどには取り入れてはいないということです。単に、文字面入れたよ、とか名目いれているでしょ、というのは「ジェンダーフリー」政策だけではないと思います。


tummygirl
 わかってないけれども名目だけとりあえず配慮しているフェミっていうのも勿論いるでしょうけどさすがにそんなに一枚岩でもないわけで、「せくまい」がわかってないままに「せくまい」に中途半端に配慮しようとしている「フェミ」というのは、そういう構図「も」ある、ということはやっぱりおさえておきたい。


tomomi
 うん、それはそう思います。


masami
 はい。


tummygirl
 そうじゃないとそれこそ「せくまい」美化で終わっちゃって、批判対象とまったくかわらない。


tomomi
 私が今念頭においていた「フェミ」ってのは、おもに女性と政治系運動の人たちだなー。もちろんその人たちも一枚岩じゃないんだけど。


macska
 そういえばインターセックスについて全然分かってないのに配慮したふりをするLGBT団体多い。インターセックスの人が親にカミングアウトなんてするかよーみたいな(笑)


tummygirl
 たしかに。
 
tomomi
 LGBTIと、最後にくっつけておけばいいやとか。


tummygirl
 BTだって最後にくっついてるだけみたいなこともあるわけだし。


tummygirl
 やっぱり政治運動と「わかりやすさ」とある種の本質主義的なアイデンティティへの依存というのはかかわるのかしら


tomomi
 ああ、そうですねえ>tummygirlさん


makiko
 だれがアイデンティティを欲するか、といえば、やはり国家権力であり、マジョリティだと思う。今話している意味でのアイデンティティの問題というのは、国家、国民の構成単位として、特定のマイノリティ集団を承認するかしないか、ということだろうから。


tummygirl
 ただ、だからこそ(権力がアイデンティティを要求するからこそ)マイノリティがアイデンティティを必要とするような「様子」がうまれる、というのもありますよね。


makiko
 そうそう、そうです。


tummygirl
 そこをどうするかってことだと思うのですが。


masami
 なんか深いお言葉で脱落しそうだ、わたし(笑)


tomomi
 歴史的に考えると、70年代のはじめころ、「女」をうちだしたってのはある意味必要なことだったかなとは思います。


tummygirl
 私もそこは結構そう思うんです。ただ、それをそのままたとえば「セクマイ」に応用できるかというとこれはまた微妙。


tomomi
 それをいつまでも変わらず続けるってのは問題があるってのもわかる。


tummygirl
 進化論、段階論で語ると、それこそLGが入ったらそれ以外、性同一性障害が入ったからそこからTG、みたいな。
 実際に「アメリカほど進んでいるわけではないから」みたいな議論は聞きますし。


makiko
 とりあえず「女」内部でもいろいろな人がいる、ということが出てきて、それからそういう枠組み自体をとっぱらえみたいなのが出てきたわけだけど、そういう歴史的経緯をとばしてしまうと空虚なジェンダーフリー論争みたいなのに終始する、ということですね。>tomomiさん


masami
 えっ、日本では「女」内部でもいろいろな人がいる、ということがほんとにちゃんと出てきたことがあったのかしら?


tummygirl
 「女」内部でいろいろな人がいるっていうのは、一応議論としてはあったのでは?


tomomi
 しかしながら、けっこう頑固なリブ系のかたがたは、いまでも「女」枠組を崩されようとするとすごく反発されることがあって。


masami
 そうですね。


tummygirl
 「女」の枠自体がいろいろあるよっていうのが、実感されなかったんだと思うんです。あるいはその実感がうまく継承されていないだけかもしれなけれど。


tomomi
 もちろん、リブ系なひとたちにも敵な「女」はいるわけで、そういうときは「男的な女」みたいな表現で批判されると。


macska
 「女の連帯」というコンセプトを守るためのツールがいくつかあって、「男的な女」(ラディカルフェミニズム的に言うと、male-identified な女性)みたいな虚偽意識論はその一つですよね。


makiko
 ただ、レズビアンですらその中に含まれていたかというとあやしいし、ましてトランスジェンダー女性になると。


tomomi
 うんうん、あやしいあやしい。


macska
 米国でも、「女」内部でいろいろな人がいる、というのにいまだに抵抗しまくりの人たちだっているしー。


tummygirl
 「女の枠」が固まっていたのではというのは、そういうことを考えてました >makikoさん
 今年の女性学会はまさにそういう形で。>macskaさん
 「フェミニスト」として、たとえば女性学会の「ジェンダーフリー」への対応を批判しましょうという企画だったのが、採用段階でものすごく骨抜きにされて。


tomomi
 ええ、そういう企画だったんですかー。


tummygirl
 結局、「連帯」を守らなくちゃっていうのがあるみたいで。


makiko
 ナンダココハ、コワイモナー、ヒィィィィー。


tummygirl
 その過程で、「わたしたち女性」と、それを批判する「セクマイ」っていうのを勝手にイメージでつくりあげちゃって「それは困る」ということになって。


masami
 へえー、そうだったんだ。


tomomi
 橋本ヒロ子さんの女性学会ニュースにのってた学会シンポの感想文、なんだこれって思って読んでたんだけど。


macska
 「女の連帯」防衛ツールには「男的な女」とか「裏切り者」みたいなものの他にもあって、それは他の抵抗運動を、フェミニズムの下におさめちゃう路線。


tummygirl
 あ、そっちに近かった。>macskaさん
 だから「連帯しましょう」って言うわけ。でも「連帯」するときって、「自分たち」の中には「他の問題に向き合ってる人」は入ってない。


macska
 女性の連帯が第一に来る限り、他の問題を扱うのも許す。例えば、白人男性の人種差別を糾弾する、かしこい白人女性フェミニストと自分たちを規定したり。


tomomi
 ああ、あるある。某門棚州立大学など、典型例か(笑)白人女性問題がすべてにおいて上位に位置している。


macska
 それが何に似ているかというと、米国型ナショナリズムに似ている。
 なんとかアメリカンという枠内で多様性を認めるけど、アメリカという枠では団結しなくちゃいけない。


makiko
 そういうのからは、変に女性の片隅に入れて貰って活動するより、さっさと出て批判したい気にもなる。


masami
 そうだそうだ。


tomomi
 そりゃそうだなー。斉藤さんと私が女性学会にだした意見書なんて、連帯をぶちこわす最たるものでしたねー。


masami
 はい。ネットで発表までしたしね。


macska
 ファイトバックの会の連帯も壊してしまった(笑)


tomomi
 ああ、ファイトバックも(笑)


masami
 しかし、どんどん「連帯」くずしをやっていけばいいんじゃないの。>tummygirlさん


tomomi
 バックラッシュがあるから、ってのが妙に理由になってしまって、「連帯」とやらを壊す活動は本当にたたかれるというかねえ。


macska
 本当の意味で壊しているのはどっちだと言いたいところ。


tummygirl
 んーと、私は外に出ない方向でやりたい人なので… 「連帯くずし」というよりは、「そもそも連帯したくてもしたくなくても、私もすでにフェミニストなんですが?」って言い続けたいタイプ。


tomomi
 私もいちおうまだ女性学会会員だと思う。会費今年払ってないか(笑)


masami
 そのうち破門だね。


tomomi
 tummygirlさんは、今度女性学会の研究会かなんかで、イダさんといっしょじゃなかったっけ? 宣伝みた気がする。(注:チャットは研究会直前に行なわれた)


tummygirl
 衝撃ですよ。>研究会


masami
 衝撃ってどういう意味なの?


tummygirl
 いや、一緒っていうのが。


tomomi
 しょ、衝撃なのか。


macska
 イダとタクシーをシェアした経験のある山口さんの方が衝撃では。


tummygirl
 メンバー構成とかほとんど何も聞かされてなくて。これでまた「たましい」とちゃんと向き合えばみんななかよくなれるって言われちゃうのか?みたいな。


masami
 ああー。


tomomi
 「たましい」とむきあえば連帯ばっちりと。


makiko
 おもしろすぎて腹いたいですwwwww。


tummygirl
 そういうの違うって言おうとして、つぶされて、だから反省を含めて研究会だと思っていたら、その反省会でまたつぶしに入るのかよーみたいな。


macska
 前からブログでやろうと思っている「スピシン主義の研究」連載、いい加減やらないとなー。


tomomi
 ああ、ぜひぜひ。


tummygirl
 それ本気で期待していますから。


macska
 本気で(笑)


makiko
 限りなく自己啓発セミナーか三流新興宗教なのか。>フェミ


tomomi
 だけど、イダさん的な、自らの権力性がまったくないものとしてフェミニズム云々いう人がでてくると、なんとかしなくちゃーと思うあまりに、「男のくせに」てきなことをいってしまうことが私もあるので、それはちと反省。


makiko
 うんうん、だから、権力構造について何もなかったようにジェンダーフリーとかいうのをやめましょ?、ということですよね。結局のところ。


tomomi
 うん、そうですね。


macska
 ポジショナリティに鈍感な男性によって、より敏感な男性が駆逐されてしまうというか、声が大きい方ばかり目立ってしまうという問題があって、「ポジショナリティに気を配りましょう」という呼びかけが、結局もともとそういうのを気にする人にしか伝わらない。


tomomi
 ああ、たしかに。


makiko
 MtF内部の政治なんてまさにそうですけどね。男性の権力性に無自覚な人ほど「俺は女だ!」という感じでw


macska
 はは。
 日本女性学会の中で目立っている男性では、イダさんは実はすこしだけマシなんです。ポジショナリティの問題をわざわざ誤摩化そうとするのは、そういう問題があるということを一応自覚しているわけだから。自覚すらしていない人がいる。
 
makiko
 キター。


macska
 イダさんは、中途半端にポストモダンなアリバイを出しているわけ。「自分はマジョリティである」という意識上の区別こそが、マイノリティを作るのだと。だから、マイノリティの側に立つよう意識している。


tomomi
 うん、イダは自分も広義のセクマイとかいってるし。


tummygirl
 んー、すべてが間違いというわけではないと思うのですよね、それ。


macska
 そう、だからイダさんは何が問題か分かっているだけ、女性学会とか某秘密主義MLの他の男性と比べてほんの少しだけマシ。問題が分かっていても回答が全然ダメですが。


makiko
 日本の場合、ポストモダンそのものが中途半端な受け入れられかたしかしていないわけですけど。さっきのいろいろな女性がいる、とかいう議論も含めて。


tummygirl
 日本の場合、モダンそのものが受け入れられたのかとかそういう問題が残っていますからw


macska
 makikoさんが書いている上野千鶴子『脱アイデンティティ』の感想で、

 そして他の場所、『バックラッシュ!』におけるインタビューで、上野は「ジェンダーフリー」概念に対するものとして、「女性」のアイデンティティを基盤とする政治に立ち返ろうとしている節すら見受けられる。

と書いているのが、今回の話そのままですね


tomomi
 うんうん。


makiko
 先の議論に戻りますけど、女性運動がアプリオリに「女性」というアイデンティティを前提にしていること自体が、今の私には物凄く違和感があって、昔は昔で意味があったのはわかるけど(あくまでわかる、であって賛成じゃないよ)、さらに今これだけいろいろなジェンダーやセクシュアリティが出た中で、再帰的に女性アイデンティティを確立した上で、みたいな話だったでしょ?


macska
 『バックラッシュ!』の上野さんのインタビューはちょっと酷かったけど、あれが本音なんだろうなーと思った。


tomomi
 その後の『We』(2006年8/9月号)のインタビューはもっとすごかったような。


macska
 上野さんも、まず女性との連帯を中心に据える限りにおいてレズビアンの権利も支持する、という米国ナショナリズム型な立場のようで。


tummygirl
 基本的に「セクマイ」って考えるとき、上野さんはレズビアンとかはあまり考えていないと思う。


macska
 それはわたしの批判でも書いていますが、「女性」と「ゲイ」の連帯は可能かという疑問を立てた時点で、レズビアンは消去される。


makiko
 さらにトランスについてはもっと。『バックラッシュ!』のインタビュー読んで思ったのだけど、ああ、この人蔦森さんさんざん使い倒しておいてこれかよー、みたいな。


tummygirl
 そう。っていうかまさにそれを学会シンポのために研究会なんかで人々が口をすっぱくして100万回くらい言ったけどそこは通じない人には本当におどろくほど通じない。


tomomi
 そうだったのかー。


makiko
 いろいろなリソースが、たとえば下世話に「予算」にしても、セクマイに回るのならもっと「女性」に回せよ、みたいなところもあるのかもしれないけど。(笑)


macska
 一時期、今度は中村美亜さんを搾取的に使い倒すんじゃないかなーと危惧していたのですが。


masami
 中村美亜さん使い倒す・・・学術会議のジェンダーについての講演会をみていたら、それもありかなーとか(笑)。


macska
 はい、上野さんがいろいろ言及してて。小山エミも一度言及しましたが(笑)


masami
 はいそうでした。


makiko
 田中玲さんは?


tummygirl
 田中さん本人は冷静に距離をおいているような気がしました。


tomomi
 さっきの『バックラッシュ!』本の上野さんの話に戻っていいかしら。


macska
 戻りましょう。


tummygirl
 ええ。上野さんにも戻りますが、「女性としての経験」という時に、ヘテロで医学的に「女性」とみなされる「女性」だけを考えているでしょう? 学校での性教育とかのあたり。


makiko
 法律上、女性ジェンダーがアサイン(指定、割り当て)された女性。


tomomi
 たぶん、『バックラッシュ!』本の上野さんのと、私の文章がつながってしまうって問題を makikoさんは感じられているのではないかなとおもうのだけれど。あと、斉藤さんとやってるサイトとか、ブログでの言論とか。


macska
 バトル開始か?(笑)


makiko
 同じ本に収められていたから、ということですか?


tomomi
 えっと、同じ本ってことも若干あるけれど、「ジェンダーフリー」概念批判をする過程で、ちょっと似たようなことをいってしまっているところが。
 「女性としての経験」ってのは、ある意味議論をたてやすくて便利、ってのもあるんですよね。一般的に通じやすそうで、流れやすいという危険が。


makiko
 それから、大衆受けする。


tomomi
 うんうん。


tummygirl
 そうそう、受ける。
 議論がたてやすいというより、共感をよびやすい。


makiko
 では、その時の「共感」、ってなんだろう?


tummygirl
 「あーそうなのよねーむずかしことはわからないけど」と、わかった気になる人が多数派にいるってことでは。


makiko
 「女性、男性の経験」といってしまうこと自体、物凄く議論を粗雑にするような気もするのだけど。
 この辺、まあ私もかつてはわりとナイーブにジェンフリに乗っていたところもありますけど、ただ斉藤さんが(行政から降りてくる)ジェンダーフリーが、差異を消去する同化主義だ、といわれたのには思いっきりうなづいたところもありますね。
 男女という差異「だけ」に着目することには抵抗しなければならないけど、みんな同質のものとして扱え、というようなことをすると抑圧される人がより多くなるわけですから。たとえば、クラスにトランスの生徒がいるからといって、男女同室着替えにすれば解決する、というわけではない(笑)。
 ここで言いたいのは、差異とは「男女」だけではない、ということです。


tomomi
 あのジェンコロを上野さんにもっていったのは、そもそもなんでだったっけ?日程ぎりぎりで計画して、東大ただで使えるし便利そうってのはあったけど(笑)
 
tummygirl
 東大ジェンコロの報告は、私は直観的には、あぶないかも、と思いました


makiko
 まずtummygirlさんとかひびのさんとかが真っ先に批判されたんでしたっけ。


tummygirl
 そうですね。ひびのさんとかかなり明確だった。


tomomi
 ひびのさんに怪しい人だと思われていたらしいと、後から私きいたような。


macska
 だれがどう見ても、ひびのさんの方がずっと怪しいという件。これは褒め言葉ですが。


makiko
 wwwww


tummygirl
 それは内緒。


makiko
 下手すれば、それぞれのマイノリティ集団が別々にアイデンティティ政治を戦いましょう、ということになりかねないとは私も思った。


tomomi
 そもそもあの企画、あんな大事になるはずじゃなくて、東大の権威ってすごいんだなと。そこまでは思ってなかった。


masami
 あのときの政治的状況が事前によめてなかったのかも。


tomomi
 うん、そうでしたね。


tummygirl
 政治的状況というのを、少し詳しくお願いします。


masami
 はい。ジェンダーフリーをめぐる状況が当初企画した時から時々刻々に変わっていったような印象がある。当日ひらいてみたら全国から人が集まって大変なことになっていた。船橋邦子、竹信三恵子さんとかふぇみんの赤石さんとかみんな手ぐすねひいて集まってきていた、そのあたりの具体的な出来事について今眠くて思い出せないのですが、、、。山口さんどうだったっけ?


tomomi
 上野さんのところにもっていったのは、場所代タダってのと、『We』の上野さんのインタビュー(2004年11月号)がでてたってこともあったように思う。


macska
 ジェンダーフリーバッシングなんて怖くない、ってやつですね。


tomomi
 で、じゃあついでだから聞いてみようかと。でも宣伝もほとんどしなかったし、あんなに人が来るとは思ってなかった。教室変更したか、椅子をずいぶん増やすとかしたような。
 船橋さん、竹信さん、赤石さんに、細谷さんもいましたね。細谷さんにひな祭りの質問されたの覚えているよ(笑)


masami
 言いたかったのは、上野さんがジェンダーフリー批判をしたことが知れていたので、一部では、ジェンダーコロキアムが上野さんの主張の行方を確かめ、それに対抗する会(?)みたいな政治的意味合いをもったということです。終わってみてわかったことですが、、。ほんとは、ジェンダーフリーに流れる主流派とは異なる動きが地方にあることを主張する目的だったのだが、、、。


tummygirl
 報告を読んだ時は漠然と危機感があったのだけれども、その後で、その報告をゲイ運動側と並べて読んだ時に、「ジェンダーフリー」と「バックラッシュ」とのせめぎ合いの中で、「フェミ」と「ゲイ運動」の両方から明確にトランスが落とされていくっていうのが私はとても気になった。


tomomi
 ああ、それは鋭い批判だと思います。
 私としては、どっちかといえば上野さんより、長谷川美子さんがでてきてくれたことが重要だった。
 私の「ジェンダーフリーをめぐる混乱の根源(1)」の文章が、『We』の上野インタビューと同じ号に載ったんです。もともと(1)(2)なんてわかれる予定なかったんだけど、上野インタビューが長くなったから、2号に分けますといわれ、で、その(2)が次の号で没にされて、編集者とのバトルに突入した。
 ジェンコロのときはバトルの真っ最中で、(2)がでるかどうかもわからなかった。


makiko
 おぉぉぉぉぉー。


tomomi
 で、(2)も出ないかもしれないし、言いたいことは言っておかねばみたいなモードで私はのぞんだ。


masami
 上野さんが編集者の言い分ばかり聞く感じがして、やな感じがした。


tomomi
 うん。で、私の(2)が没になったのは、(1)に対しての批判がおしよせたからっぽいんだよねー。


makiko
 ひでえ。


tomomi
 (1)は、2ページだけで、しかも「バーバラヒューストンの読み間違い」という事実しかかいてないセクションだったのに。


tummygirl
 批判押し寄せるって、ある意味大成功なのにーw


makiko
 なるほど、点と点がつながります。


tomomi
 で、そのジェンコロは録音しないはずだったのに、勝手にWe編集者が上野さんだけの許可をとって録音していて、特集号を組むといってきた。それで第二次バトル突入。


macska
 そういえばシンポジウムの後に、細谷さんらがその報告を載せている特集があって、その最後に

(注)斉藤さん、山口さんの報告と後半の話し合いでのご発言については、お二人からの要請により、割愛させていただきました。後日、ご本人たちでまとめてご報告なさるとのことですので、そちらをご参照下さい。

 と書かれてある


tomomi
 あ、そうそう。バトルの結果(笑)


masami
 そうだったね。


tomomi
 ものすごい恣意的なまとめだったんだもん。


masami
 その報告は、編集長がまとめたんじゃなかったっけ。


tummygirl
 フェミニズムの運動のすすめ方を批判しようとしたジェンコロがあって、ところがそれが、「ジェンフリだめじゃん」っていう一点で、「性別無頼w」なんてありえないでしょー、っていう議論と接続されちゃったって理解で、いいですか?


tomomi
 うん、そんなもんですね>tummygirlさん


macska
 細谷さんは3ページ、報告という口実で自説を書いているだけ。そのあとで、編集長が5ページ使って斉藤・山口以外の発言をまとめてある。


tomomi
 長谷川さんもほとんど載ってないんじゃないかな。


macska
 げ、5ページある記事で、発言者の山下さんと長谷川さんの発言は60文字くらいだ。


tomomi
 もともとのバージョンでは、私の発言がなかったか、1行だったかだったんだよなー。


tummygirl
 そこで、ジェンフリ支持していた人たちが多かったのに、それはでも「性別無頼OK」には向かわなかったわけですか?


makiko
 ジェンフリと性別無頼は似て異なるから。


macska
 ジェンフリと性別無頼の違いを教えてください。


makiko
 みんな仲良くがジェンダーフリー、やるときは表に出ろ、が性別無頼。


tomomi
 あの会場ではそういう議論でてこなかったですよね。>斉藤さん


tummygirl
 いや、その場でということではないですが。ジェンフリ支持しつつ、そちら側はきっていくっていう方向に向かったところが、やっぱり私からみるといちばん、フェミニズムがひよったなあって気がするところなので。


makiko
 だから、行政主導かグラスルートか、というか制度化の話を出さないときっちり論じられないのだろうと思うけど(ボーンスタイン自身の現状はともかく)。


tomomi
 ジェンフリ支持しつつ、男女共同参画も支持したかったのが、主流フェミニズムの限界のような。「男女共同参画」は批判できなかったという。


makiko
 でもバックラッシャーからすればどちらも同じだったのでしょ?


tomomi
 ですねー。
 「ジェンフリ」って言葉はとってもバックラッシャーには便利だっただろうけれど、いまは「ジェンダー平等」に取って代わられつつあるっぽいですね。女性学会声明とかみても。


masami
 「ジェンダー」死守路線だからか。
 しかし、ますます「男女仲良く」に傾いていますね、地方では。行政周りにいてボランティアしてくれのっていえば、保守的なおばさん、おじさんしかいないんだから。


tomomi
 みんな仲良く意識啓発ではじまったのが、その言葉にもうちょっとラディカルな感覚をもたせたひとたちもでてきて、言葉の意味は広がったけれど、結局「みんな仲良く意識啓発」が主流な状況はかわらなかったのがジェンダーフリーなのかな。


tummygirl
 ジェンフリはジェンダーを解体することじゃありません、って頑張って主張しちゃった時点で、フェミニズムは結局自分で「ジェンダーフリー」の可能性をそこに押し込めちゃったんだと思う。


makiko
 ああ、そうかもしれませんね>tummygirlさん


makiko
 クイアに関する議論もそうだけど、差異が存在するのは大前提で、その権力関係なりポジショナリティなりを洗いざらいさらけだしてぶつけましょう、ただ、その参加資格は対等にというのが前提だけど、それをやめてみんな仲良くみたいなことにするからおかしくなったわけですよね?


tomomi
 そうですね
 さっきの松山市請願抗議のジェンダーフリー定義は、そのへんがぐちゃぐちゃになっていて、「ジェンダーを消す」といいつつ、そんな気はさらさらないという矛盾したことになっている。


tummygirl
 「みんな仲良く」というのは、仲良くするためにすっごい無理をしなくちゃけない人がいる状況では成立しないんだけど。


makiko
 LGBTという言い方でも、どこかに帰属して同化することによってはじめてみんな仲良くが成立するわけで。


tomomi
 ヌエック(国立女性教育会館)の件も、すごいフェミニズムが防御体制になっていることで、「連帯」プレッシャーもますます高まっているような。


makiko
 国立青年会館との合併話、でしたっけ。


tummygirl
 ヌエックはすでにクィア系のイベントには実質厳しい、という話を聞いた気がするのですが。


tomomi
 ヌエックでクイア系は無理でしょう、、もう。


tummygirl
 そうやって「フェミニズム」を守ってきたっていうのは、あまり指摘されてない気がする。


tomomi
 ヌエックで「慰安婦」もできるのかどうか、、東京女性財団とかは、慰安婦関係に助成金ださないといわれていたし。


masami
 ヌエックは、バックラッシュ側から批判されることを極度におそれているし、それを口実に保守的に回帰しているからあまり存続のいみをかんじなくなってきた。


tomomi
 ヌエックつぶれても、実はそんな実害ないような気もする。


masami
 そうなんだよねー。館長だっけ、数千万の年収もらっているらしいし。


tomomi
 夏のフォーラムも、「女性と災害」とか「客がはいる女性センターでの企画」とかそんなセッションばっかりだしねえ。


masami
 あんまり意味ないような。人畜無害なものばっか。


macska
 逆に、無害そうな団体名とか部署名になって批判をしりぞけつつ、実はかなりラディカルなことをやるってのも理論的にはあり得るねすけどね。役人一人がその気になれば、権限内で結構いろいろできたりするし。


tummygirl
 無害な名前でラディカルなことをっていうのはありだけど、名前を出すことの政治っていうのもゼロではないと思うし。でもそれを言うとアイデンティティの政治に戻りますか? >makikoさん


tomomi
 たとえばこのあたりの「女たちは闘う」っていう言い方。

http://fightback.exblog.jp/7554418/

昔ながらのリブのり炸裂で。闘ってるの「女たち」だけじゃないんだけど、でもいまでも誇らしげに使われていたりもして。
 「女たちが怒る」とかいう言い方使うことこそがすごい、ラディカルだって価値観、まだまだずぶずぶにありそうです。リブのり炸裂フェミニズム団体。


macska
 リブのり炸裂の割には、女性のシンボルと拳を合わせたあのシンボルがリブで昔からあるものだとは知らず、メンバーの創作だと思っていたり…


tomomi
 あ、そうそう。リブのり炸裂なのは一部の人たちであって、ほかはぜんぜん知らない「男女共同参画」系だからねー。
 前もmakikoさんもmacskaさんもいっていたけれど、「女たち」で無理にまとめることで、「館長」の権力性はみえなくされるという事態がある。
 でも、「バックラッシュ」と闘うために「女たち」でまとまろう的言説はすごく簡単。


tummygirl
 簡単なのはダメだっていうのがやっぱり。


makiko
 同じことはセクマイだとかLGBTでも同じで。
 それでいて性同一性障害特例法に含まれるホモフォビアについてだれもまともに批判しようとしなかったり。親が同性だったら子供がかわいそう、なんだから、だったら同性婚にもDP法にも子無し要件つきますよ(苦笑)


tomomi
 そのまとまった「女たち」を、イダさんやさとうしゅういちさんとかがなぜか代表してて。


macska
 バックラッシュに対抗してまとまろう、というのは、館長の権力性だけじゃなくて、「女たち」内部のいろいろな権力性を隠すのに都合がいいですね。


tomomi
 うんうん、そうですね。あと、意見の違いなんかもつぶされていくし。
 リブはそもそも、「左翼で一致団結」とかいう言説に反旗を翻してでてきたものなのに、自分たちが今度は「女」で同じことをやってしまっている。


makiko
 たとえば表現の自由だとか、だれもが利害関係をもつところについて、大同団結することはすごく大切なことだと思うけど。


macska
 makikoさんの言うのは、共通利害を通して連帯しようということであって、共同性を前提としているわけではないでしょ。それは良いんですよ。わたしたちはみんな同じだみたいなことにはならないもの。


makiko
 分断が進むと何もやれない、ということはあるわけで、共同性でなく政策で連帯するのはありだということです。


tomomi
 うんそれはありですね


macska
 わたしが上野さんとメールのやり取りして驚いたのは、彼女はそれが結果として多くの女性にどういう選択を迫ることになるのかまで分かった上で、自分が「女で一致団結」というパフォーマティブな政治をやっていることを、認めちゃうことなんですね。レズビアンに向かって「女」でまとまれ、ゲイやトランスジェンダーとの連帯より女性としての連帯を選べ、というメッセージを発してしまっていることを、気付いていないのかと思ったら、分かった上でやっているみたい。


tummygirl
 しかしそれがどうしてパフォーマティブの政治? セクマイは女だ、と呼びかける?


macska
 いやだから、選択を押しつけているようでいて、既に決められた境界を押し付けてしまっているように思うので。


makiko
 オネエは女かもしれないけど(笑)


macska
 オネエはオネエです!
 かなり昔の話ですが、ドラッグクィーンのRuPaulが「なんで女性の服を着るんですか?」とインタビューで聞かれて、「6インチのハイヒールをはいている女性がどこにいるっていうの? 6インチのハイヒールをはくのはドラッグクィーンでしょ」と(笑)


makiko
 うん、だから、ジェンダー表現という点で抑圧を受けているから、その限度で連帯しましょう、というのは有りということで。>女性とオネエ
 それでも主流フェミは嫌がるかもしれないけど。


tummygirl
 でもその場合、オネエは女性とは別だけど連帯できるもので、やっぱりレズビアンやバイセクシュアル女性っていうのは、セクマイ以前に女、になっちゃいそうで、警戒しちゃいます。


makiko
 あ、そうなるかな。


macska
 これは重要だと思います。


makiko
 うんうん。まさにアイデンティティとしての「女性」を措定しているという意味で。


macska
 MTFのトランスジェンダーも、完全に「女性」アイデンティティに同一化してそれに収まるかどうか踏み絵を迫られる。「女性」になったならば、内部でごちゃごちゃトランスジェンダーの問題で騒ぎ立てるな、とか。


tomomi
 あー。


makiko
 そういう意識はMtFにもかなり内面化されていると思いますが。私もある有名MtFGIDの人に、「フェミを名乗るんだったら体変えて戸籍変えてからにしなさいよ」と恫喝されたことがありますから(苦笑)。


macska
 それはすごいなー。


tummygirl
 女性アイデンティティに同化してそれにおさまることを要求するっていうのも、それに反対するっていうのも、日本でも70年代からやってるんですよね、繰り返し、延々と。ある意味サイクルなわけで、それこそ洋の東西を問わず。


makiko
 セクマイ業界でも80年代後半から延々ループしているわけで。


tummygirl
 たとえばこういう話をすると「そうか今はそういうことになってるんだー」みたいな反応が意外にあったりするんだけれども、そこは違うよっていうのは、やっぱり言っておきたいと思う。


tomomi
 うんうん、それはそうだ。


macska
 歴史の忘却ということでは、ゲイの運動が60年代あたりからあって、最近になっていきなりトランスが出て来た論とか。


tummygirl
 そうそうw


macska
 上野さんが『We』インタビューで言うには、女性運動がこれまで頑張ったおかげで、ようやく在日コリアン女性やら障害者の女性の声がでてきたと。そういう場を作ったのは(日本人/健常者による)フェミニズムだから自分たちが偉い、という考えがそこにあるみたい。
 そうじゃなくて、在日コリアンの女性や障害者の女性はそこにずっといたはずで、あなたたち日本人/健常者フェミのせいで彼女たちの声が届かなかったんだよと。


tomomi
 上野さんは、フェミニズムが一番偉い説だもんねえ。
 『30年シスターフッド』(山上千恵子・瀬山紀子監督)映画のアメリカツアーやったときも、そういう言い方がリブの人からでてきたことがありました。女性運動が連帯しようとしてものってこなかったのは在日女性だとか、私たちの運動のおかげでそれでも彼女たちは救われたとか。映画ツアー参加者の中で、それでだいぶ議論になった。


tummygirl
 それこそ今女性学会の上にいる位の年代で、そういうことを主張してきた人たちはいくらでもいる >「今になってようやく」説


macska
 うん。


tomomi
 女性学会の文書にもなかったっけ?いろいろな社会運動もあったけど、ついにフェミニズムがでてきて世界がかわった、みたいなやつ。


makiko
 あ、でもtummygirlさんとこのバトル見て、あれが東京プライドパレードの重役が言っているのならともかく、今日日の若者ってあんなに堅物なんだ、とある意味感心したり。


macska
 日本語でフェミについて書かれたもの見ていたところ、「女性の中にも差異がある」という主張を、スピヴァクのオリジナルな議論だとしている記述があってさ。バカかよーみたいな。


tomomi
 うげげ、そんなのいるのか。


tummygirl
 そんなのいますか???


macska
 何度か見かけたよ。おそろしすぎー。
 まぁそうやって驚いているところをみると、思ったほどいないのかもしれないけどショックでした。


masami
 女性アイデンティティに同化してそれにおさまることを要求するっていうのは現在強まっていることは確認しておきたいと思います。明日富山での女性のイベントで東京から来られる講師の資料が、「女性は命の大事さや正しいことを正しいという」と素朴にいっているし、その講師資料をみると、講師の対談相手の女性学者が女性運動は男性フリーターの運動とも共闘可能だとこれまた素朴にいっているのをみて、司会のわたしはどうしようと思っている。なんか話がずれているけど。


macska
 女性フリーターはいないのか。


tummygirl
 結局男性フリーターの面倒はみるけど女性フリーターは消えるんだなー。


tomomi
 げげ、斉藤さんそんなの司会するのか。


masami
 うんざり。どうしたらいい?


macska
 サクラを入れておいて、場内から批判させるとか。


tomomi
 だけどさ、以前の『論座』にでてた佐藤文香さんの論考もそんなこといってたよね。主婦とニートはフェミニズムに共闘すべきみたいな。


masami
 そうだった、そうだった。


makiko
 可能は可能だと思うけど、その前にやることがたくさんあるでしょう、という感じ。
 ただ、その話合いの場を公正に設定することこそが、なかなかできない。だから私もあんまりリアルの場に行かなくなってしまったのだけど。


tomomi
 こういう素朴な発言がでてくるのは、そう本当に信じているのか、それとも客層を意識してなのか・・


masami
 掲載紙が何かわからないので・・・


tummygirl
 その二つの区別をどこまでつけるべきなのか。


masami
 この講師は素朴なのではないかな… ほんとに信じているように読めてしまう。
 女性が男性と違ってある意味「社会化」されていないと言い切っているし。


macska
 でもわたし、いろいろなところで講演しますけど、客の反応はたしかに影響受けてしまいますね。単純にしたら、反応がいいもの。


tomomi
 たしかに単純なのは受けるよね。


masami
 社民党の路線にはあっているけどね。「平和には女性の意志の強さ、大事なものは大事だという力が必要だとわたしは思う」というところなんか。


tomomi
 スピリチュアルだなー。


macska
 ええと、スピリチュアルに話が戻ったところで、いい加減眠たいのでそろそろ強引にまとめに入りたいと思います。みなさま一言ずつどうぞ。


masami
 どうしたことか、アイデンティティ政治についてのバトルロワイヤルにはいっこうに突入せず、おかげで(?)、途中からあたまぼーっで沈んでいました。ジェンダーフリーの混乱以降、安全志向が強まり、バトルといえば「女性vs男性」ばかり・・・・。それ以外のバトルがやりづらくなっているのかなあ。思い起こせば、あの2004年12月東京大学ジェンダーコロキアムでのジェンダーフリーを使う、使わないバトルがフェミニズムや女性間の差異についての最後のバトル(議論)だった・・なんてことにならないようにしないと、フェミニズムの進展は望めないような・・・・。これからは、小さなところから議論の場をつくっていけたらと思っています。


tomomi
 makiko vs tomomiバトルロワイヤルは次回のお楽しみか?(笑)斉藤さんが言われている、「女性」対「男性」というより、むしろ「フェミニスト」対「バックラッシャー」以外のバトルが許されない雰囲気になってきたような。実は異論が内部にはあったのにもかかわらず、表立ってはバトルがないことにしようという権力がかなり働いてきた歴史がこの数年間だったのかなとも思います。現在の視点から再び、「ジェンダーフリー」をめぐる論争について見直せたことはよかったし、権力性を問わずして、連帯を叫ぶことの危険性の問題は声を挙げていかないといけないと再確認できました。また、「女の連帯」という表現の裏に潜む権力性についても、より深めて考えて行く必要を感じました。これをきっかけにして、議論を続けていきましょう〜。


tummygirl
  アイデンティティ政治の話はいつかまたできたらいいですね。それこそ「クィア」が「セクマイ」と全く同じ「属性」として使われている状況も(日本語でも英語でも)あるわけで、属性還元への誘惑は強い。同時にそれこそ「女性」という項をたてることに少なくとも一時的な必要があったかもしれないように、属性還元はダメだと言えばすむ問題でもないですし。
 フェミニズムにおけるバトルについては、日本のフェミ業界(w)を二分するようなバトルはないかもしれませんけれども、小さい意見の食い違いはきちんとあるし、それを大事にするところから始めるしかないかと。個人的には、特にブログなんかだと、大雑把でわかりやすいつかみで相手を批判してしまいたい誘惑も結構感じるんですが、そういう「わかりやすさ」の誘惑にも抵抗しないといけないな、と。やっぱり個々の発言なり主張なりというのを丁寧に議論していくというのが大事だろうなと思ってます。


makiko
 「ジェンダーフリー」の話に戻って、以前に私はそれが典型的な「女性」だけでなく、LGBTIを含め多様な性をもつ人が表に出て発言できるきっかけになったという点で有意義だ、という発言をしたことがありますけど、これを今ここで撤回するつもりはないのですけど、同時に「ジェンダーフリー」という名のもとにさまざまな差異がかき消されることがあったことは直視しなければならないし、今わたしの身の回りに起こっていることもそのこととの関連で考えなければならないことを、今回のチャットを通じて痛感したところです。ただ、その差異を語る際の基準は何かといえば、アイデンティティだけでは決してありえない。
 同じことは、フェミニズムの数年後を追って制度化が進行しつつあるLGBTやクイアの運動についても言えることなわけですけど、この点は機会を改めて。


macska
 なんか全員全然「一言」じゃないような。それはともかく、みなさま、今日は長い時間、興味深い話をどうもありがとうございましたー。