『ポップ×フェミ』第5回 : ハーヴァード大学学長の失言を風刺した「ザ・シンプソンズ」のエピソード

 こんにちは、みなさま。毎回ネタの枯渇に苦しみながらお届けしている『ポップ×フェミ』のお時間です。今回取り上げるのは日本でも放映されている米国のテレビアニメ「ザ・シンプソンズ」。実はわたしはこの番組の400近いエピソードを全部観ていて、Wikipedia の該当ページを読んだだけでいくつもの間違いに気付くくらいの大ファンだったりするのだけれど、ここでは今年の4月に米国で放映されたエピソード「Girls Just Want to Have Sums」を取り上げます。このエピソードはシーズン17に含まれますが、日本ではやっとシーズン14を終えたところでまだ未放送なので、楽しみをあとに(といっても数年後ですが)取っておきたい人は以下は読まない方が良いでしょう。要するに、ネタバレ注意。
 物語のはじまりは、劇中のテレビアニメを題材としたミュージカルの会場。上演が終わり地元出身の舞台監督がステージで挨拶する。すかさず彼女に歩み寄り、花を渡すスキナー校長。「ジュリアナ、君はきっと成功すると思っていたよ。常に成績優秀だったからね。」「そうだったかしら、算数ではそれほど成績が良くなかったけれど」と応える舞台監督。「はっはっは、そりゃそうさ、君は女の子だったからね。」それを聞いてショックを受ける観客。スキナーは慌てて弁解をはじめる。「いやいや、そんな意味で言ったつもりじゃないんだよ。わたしが言いたかったことはだね、算数や理科のクラスでは男の子の方が成績が良い傾向があるというだけで…どうして女の子の成績が悪いのかなんて分からないさ。」しかしそうした発言はさらに傷を広げるだけ。
 翌日、発言に憤慨した30人ほどの女性たち(の中に、2名ほど男性が混じっているところが妙にリアル)が小学校の前に集まり、スキナー校長に抗議をしている。スキナーは「大丈夫、彼女たちに同意しているふりをすればいいさ」と彼女たちを講堂に招き入れ、集会を開く。「みなさん、多様性についての第一回のフォーラムにようこそ。なぜ女性は劣っているように『見える』のでしょう? この『幻想』、いや『史上最大のウソ』はどこから来るのでしょうか? 信じてください、わたしは女性が直面している問題がよく分かります。みてください。」見るとスキナー校長はスカートをはいている。「わたしが女性の服を着ているですって? それは気付きませんでした。服に男性用も女性用もありません。わたしにとってはどちらも同じなのです。」
 「つまり男性も女性も全く同じだとでも?」と厳しく追及する女性教師。「もちろんそんな事ありませんよ、女性は全ての面で特別です。」「じゃあ男性と女性は平等じゃないとでも言うんですか?」「違う違う、大切なのは差異で、そんなものは一切ないのだけれど、それこそが同質性を特別にするんです。ああ、もう何て言ったらいいのか誰か教えてください。」スキナーは混乱して倒れる。そしてスキナーに代わり女子教育の専門家が新校長に任命される。就任した新校長が一番に宣言したことは、すべての授業を男子と女子で分けて行うことだった。
 別学化は即時に実施され、学校は右半分がピンク色の女子用、左半分がブルーの男子用に分けられる。ピンク側の扉を開けると、壁には鮮やかな色彩のペイントが施され、有名な女性芸術家の肖像画が掲げてある。小学2年生にしては天才的な頭脳を持ち、これまでそれに相応しい学習環境を与えられていなかったリサ(シンプソン家の長女)は感激する。けれど、はじまった算数の授業は、「数字はあなたをどのような気分にしますか?」「プラスの記号はどんな匂い?」「数字の7ってどう思う?」といった質問ばかり。たまらず「あのー先生、いつになったら実際に計算問題を解くんですか?」と聞くリサ。それに対し新校長は、「問題を解いて支配しようなんていうのは男性が考えること」だと取りつく島もない。女子教育では、なによりもまずセルフエスティームの向上を重視しているようだ。本物の算数を勉強したいリサは、意を決して塀を乗り越えブルーの側に侵入する。
 男子側の校庭ではゴミが散らかり、墜落したヘリコプターまで放置されているほど荒廃している。地面には死体の周囲をなぞったようなチョークのアウトラインまでがある(どういう小学校だ)。しかし窓から男子が算数の難しい問題を解いている様子を見てリサは、これこそ自分が受けたい授業だと思う。家に帰った彼女は、母の協力で男子に変装して転入生として男子のクラスへ潜入することを決意する。
 苦労して入り込んだ男子の教室は、リサの知的向上心を満たすのに十分なものだった。けれども彼女は、同時に早速ほかの男子たちの新入生いじめの対象となってしまう。突然「トイレ」というあだ名をつけられ、いじめっ子に小突き回される。そのことを知った2歳上のバート(長男)は、リサに暴力的なコミュニケーションから下品な食事の方法まで「男の子としての振る舞い方」を教授する。ついには他の男子たちにも受け入れられるリサ。
 舞台は変わって、学期末に行われる優秀な生徒を表彰する集会。「そして算数の最優秀生徒は…」呼ばれたのはリサが男子として使ってきた名前。トロフィーを受け取った彼女は、扮装用のカツラと眼鏡を取り払い勝利宣言する「そう、この学校で一番算数ができる生徒は女子だったのよ!」 騒然とする生徒たち。最後のシーンで、リサは算数が得意な女の子としてのアイデンティティを取り戻す。「科学や数学の分野で業績を残した女性が少ない本当の理由は分からないけれども、わたしは女の子で良かったし、算数が得意で良かった!」
 キレのある社会風刺を特徴とするこの番組のこと、スキナー校長の失言は昨年1月にハーヴァード大学のローレンス・サマーズ学長が講演で語った「科学で優れた業績を残した女性が少ない理由の一つとして、生まれつきの生物学的な差が有力だ」という発言をパロディしたものだろう。サマーズ学長の発言は教授会や学生などから激しい反発を呼び、かれは直後に辞任に追い込まれた。しかしそうした現実の時事問題をベースにしながら、もちろんコメディとしての面白さも踏まえつつ、男女別学やセルフエスティーム重視教育の是非、男の子たちが置かれた環境の熾烈さなどトピカルでポップ×フェミな話題を盛り込んだ内容はさすがといった感じ。ミュージカルも良かったしね。でもわたしがこのエピソードで一番気になったのは、スキナー校長を卒倒させた「差異についての語りにくさ」。
 一部の保守論者はフェミニズムを「男女の差異の存在を否定するもの、あるいは消去しようと企むもの」と決めつけているけれど、フェミニズムはそんな単純な主張をしているわけではない。フェミニズムの中には、「あらゆる面での平等」を求める軸と「差異の承認」を求める軸が同時に絡み合いながら存在している。というより、「差異がなければ平等、差異があれば不平等」ではなく、差異を承認することからしか本当の意味での平等ははじまらないと考えるのだから、両者の軸は決して対立していない。それはつまり、固定化された性役割分担や既存の性秩序をそのまま受け入れるということでも、あるいは平等に扱われるためには男性を模倣して女性であることを捨てなければいけないという状況でもなく、それらの抜本的な改革を求めて行くことになるはず。
 そのあたりも『バックラッシュ!』に掲載されている様々な論文で微妙な重点やスタンスの違いが見られるはずなので、よろしければこの「差異と平等」という問題にそれぞれの論者がどのような立場から関わっているのかという点にも注目してみてください。


 さて、また週末がやってまいりました。明日土曜日は、これまでネット上でたくさんいただいた感想や書評を紹介したいと思います。また、『バックラッシュ!』に含まれた論文がきっかけでいくつか論争も発生しています。そのあたりをまとめてレポートします。そして楽しいおまけもあるという話… みんなも感想コメントを書いて、白石さんに返事をもらおう!(ウソ)