バーバラ・ヒューストンが説く「ジェンダーフリーの本当の意味」

 こんにちは、みなさま。今日はニューハンプシャー大学の教育学者バーバラ・ヒューストンさんが本書『バックラッシュ!』に寄せた「ジェンダーフリー」概念に関する短いコメントを紹介します。東京女性財団が作製したパンフレットがヒューストンさんの論文を参照しつつこの語を日本に紹介して以来、賛成派・反対派のそれぞれでこの語はたくさんの異なる意味で解釈されてきました。言葉の意味は使用されることで変化するものであり、ヒューストンさんの定義した意味だけが絶対でないのはもちろんのこと。でも一旦原点に帰って、ヒューストンさんがどういう意味でこの言葉を使っていたのか、教育はどうあるべきだと考えていたのか確認することは無駄ではないはずです。
 本書『バックラッシュ!』では、以下の文章に加えて彼女と「ジェンダー・センシティブ」な教育を提唱したジェーン・マーティンさんを交えたロングインタビューも掲載されています。発売まであと3週間、予約をいれるなら今ですよ!

「ジェンダー・フリー」概念に関するコメント
バーバラ・ヒューストン(翻訳:山口智美)


 私の論文が議論される際に、「ジェンダー・フリー」という言葉が曖昧かつ多義的に使われているということを知りました。そこで、私がどのようにこの言葉を理解しているのかを明らかにしたいと思います。「ジェンダー・フリー」という言葉は、私が教育哲学会で行われたシンポジウムに参加した時に使ったものです。そのシンポジウムは、後にアン・ディラー、キャスリン・モーガン、マリアン・アイムとの共著として出版した『教育におけるジェンダー問題』The Gender Question in Education (Westview Press: Boulder, CO., 1996)という本に収録されています。
 この「公教育はジェンダー・フリーであるべきか」と題したシンポジウムにおいて、キャスリン・モーガンと私はこの問題についてディベートを行いました。モーガンは、教育はジェンダー・フリーであるべきだという考え方を擁護する立場に立ちましたが、私は、教育についてジェンダー・フリーの方針を採用すべきではないという立場でした。私の立場は、ジェンダー・センシティブのアプローチを採用すべきだというものでした。
 確かに、ジェンダー・バイアスをなくすという意味で「ジェンダー・フリー」を捉えるならば、私たちは皆、教育はジェンダー・フリーであるべきだと考えています。しかしながら、「ジェンダー・フリー」という言葉はジェンダーを解消したり、または組織的かつ意図的にジェンダーを無視するという別の意味も持っています。そのため、私は、ジェンダー・バイアス、または性差別をなくすために、故意に、また組織的にジェンダーを無視したり、ジェンダーを除去しようとする方針に対して、強く反対する立場に立ち議論したというわけです。
 「ジェンダー・フリー」アプローチの問題点は以下の通りです。第一に、捉えにくいジェンダー・バイアスを見逃したり、時にはそれを強化してしまったりすることがあり、そのために教育を受ける女性にとって機会の平等が与えられない状況が続いてしまいます。
 第二に、このような「ジェンダー・フリー」の解釈というのは、性の平等の理想を前もって仮定してしまうために、性の平等に関して中心的で重要な問題を最初から除外してしまうという欠点があります。これがどういうことを意味しているのか、さらに説明を続けます。
 もし一般的にジェンダーを解消するとか、常に無視するなどの方針を立ててしまった場合、支配的な集団(この場合男性)を常に有利に扱い続けるような状況を作ってしまう可能性が高く、教育機会の平等を実現させるために必要なはずの試みを失敗させてしまいかねないということを、私は例を挙げながら示したのでした。基本的に、「ジェンダー・フリー」という方針をたてると、「この状況において機能している、ジェンダーに関わる差異は存在するのか?」とか、「この差異をどのように評価すべきなのか?」などといった疑問について、各々の状況に即して検討することができなくなってしまうのです。
 私がここで最も強く主張したいのは、以下の点です。ある状況下でジェンダーが機能しているのか、どのように機能しているのか、そしてジェンダーに注意を払うべきなのか、それとも払うべきではないのか、性差別をなくすべく導入した方針はうまく働いているのか、などの問題がありますが、これらについて、私たちは抽象的なレベルにおいて答えを知ることはできないのです。このような問題に対しては、(「ジェンダー・フリー」アプロ−チのような)抽象的なレベルではなく、常に個々の具体的な状況に即して、どのようにジェンダーが機能しているか(すなわち、上で述べたような、性差別をなくすべく導入した方針がうまく機能しているかなどの問いについて)を検討しなくてはならないのです。
 したがって、ジェンダー・バイアスをなくすために何を試みたとしても、私たちは常にジェンダー(という観点)に細心の注意を払わなくてはなりません。ジェンダーが関係するときにはそれを考慮にいれ、平等を達成するためにジェンダーを考慮にいれないことが必要であるなら、そうしなければならないのです。
 要するに、私の主張は、私たちはジェンダーを無視したり、解消しよう(「ジェンダー・フリー」)とするのではなく、ジェンダーにより多くの注意を払うべきだというものです。この方針はジェーン・マーティンによって最初に紹介され、教育における「ジェンダー・センシティブ」アプローチと名付けられたものです。私は、これこそが、ジェンダー・バイアスがない教育制度や、一般社会を本当に目指すために圧倒的によい選択肢であると考えています。

 さて明日は日曜日。いよいよ『バックラッシュ!』プレゼント企画の第一回の当選者発表です。「プレゼント企画って何?」と思ったかたは、5月28日の記事参照。今後も毎週チャンスがあるので、どしどしご応募ください。
 また、macska 手製バッジ獲得レースの第一回の中間発表も明日です。第一週のトップに躍り出るのは誰か、こうご期待ください。(ところで、盛り上げるのはいいけど、意見が違う人が見て著しく不快になるような書き込みはやめてくださいね。売り上げに響くので。)
 というわけで、プレゼント企画満載の明日の『バックラッシュ!』キャンペーンブログを読んでハワイに行こう!(ウソ)