『セックス/ジェンダー』

 みなさま、こんにちは。毎日律儀に午前0時すぐに更新しているキャンペーンブログです。本書『バックラッシュ!』にはバックラッシュをよりよく理解するためのキーワードを解説するコラムが含まれています。解説しているキーワードは、「ジェンダーフリー」「バックラッシュ」「新自由主義(ネオリベラリズム)」など10個。当ブログでは、そのうち5つを今日から毎週水曜日に紹介していきます。初回のテーマはもちろん、「セックス/ジェンダー」。

【セックス/ジェンダー】


生殖学的性別すなわち「セックス」に対置される社会的・文化的・心理的な性別のあり方を指す言葉として1950年代に「ジェンダー」という用語が採用されて以来、この語は社会科学やフェミニズムにおいてさまざまな論者によってさまざまな定義を与えられ使用されてきた。この欄でその変遷を詳しく解説することはできないが、現在使用されている用法は大きくわけて二つあると理解しておくとジェンダーに関する議論が理解しやすくなるだろう。
 用法の一つ目は、単純に「セックス」の対置物としての「ジェンダー」だ。人類にとって性別のあり方には生物学的な要素と社会的・文化的な要素が混じり合っていると思われるが、この用法ではそのうち前者を「セックス」、後者を「ジェンダー」と呼ぶ。内閣の男女共同参画局は「ジェンダー」の定義として「社会的・文化的に形成された性別」を採用しており、だいたいこれに類似している。この定義では、固定的な性役割分担や「男らしさ」「女らしさ」の規範がジェンダーの例とされ、個人がそれらから自由に生きることができる社会をめざす立場をジェンダーフリーと呼ぶ。
 これに対し、ジェンダー理論の文脈においては「セックス」も「ジェンダー」の一種である、あるいは「ジェンダー」によって「セックス」が作られる、という表現がされることがある。これはつまり、セックスとジェンダーの区分――なにが生物学的に決定されており、なにが社会的・文化的に形成されているのか――もまた社会的・文化的に形成された認識であり、そうである以上両者の区別は絶対ではないという考え方に基づく。この定義において、「ジェンダー」とはただ単に「性別」を形成する一要素ではなく、「性別」に関するわたしたちの認識全体を含むものとして再定義される。
 ジェンダーフリー概念をめぐる議論において前提とされているのはほとんど常に前者の定義であり、本来ならばジェンダー理論を研究しているわけではない一般の人はそれだけ理解しておけば十分なはずなのだが、フェミニズム理論の文脈で発された発言がバックラッシュ論者によって脱文脈的に紹介され不当に攻撃されることがある。たとえば、後者の文脈に属する「セックスもジェンダーの一種である」という言明が前者の定義によって解釈される結果、「生物学的な要素は存在しない、すべて社会的・文化的に形成されているのだ」「人の性別のあり方は社会的・文化的に決定されており生物学的要素はないのだから、育て方によってはいかようにも育てられるのだ」という暴論としてバッシングされている。言うまでもなく、完全に曲解に基づく言いがかりだ。

 紙幅の都合でこれ以上丁寧に説明することができなかったけれど、「ジェンダーがセックスを規定する」ということについては moricoro さんがもっと詳しく解説してくださっています。あと手前味噌になりますが macska dot org に掲載されている「誰でも分かる『ジェンダーがセックスを規定する』の意味とその意義」という記事も参考に。
 さて明日ですが、ふたたび双風舎の谷川さんに登場してもらいます。編集作業もそろそろ終わり、これから売り込みに忙しくなる時期ですが、アマゾンでの予約や書店からの注文がどれくらい入っているのか気になるところ。出版状況をどんどん公表して、目指せ双風舎 2.0! 時代は谷川 2.0!(ウソ)