江戸しぐさの人は「江戸っ子大虐殺」の設定を無くしたいんじゃないかな。

江戸しぐさって、「現代では忘れられた江戸時代のマナー」みたいな設定だったわけでしょ。まあそういうのを芝三光というおっちゃんがもっともらしく語ってむにゃむにゃやってたわけだ。「江戸時代の人はね」って。こんなのってあんまし実証性とか考えてないよね。100年以上前のことだし、「いい話」だし、うやむやでもおっちゃんがもっともらしく語れば、話を聞きに来る人は「ほうほう、なるほどねえ~。現代人もこういう事をすればいいんだねえ」って納得しちゃうもん。こういうのは聞き手がわざわざ「嘘だ」と思って聞きに来るわけじゃねえからな。

 

そこに弟子入りしたのが、なんか公民権運動のノンフィクションで賞とかとった越川禮子氏。多分この人頭いいもんで「これ、細かいとこ突っ込まれたらやばい」と思ったんだろうね。だって江戸しぐさっていかにも日常のちょっとした所作なんだよね。文献やそれを伝えた江戸講なるものが廃れて失われたと言っても、江戸時代の話なんて芝居から落語から日記からいっぱい記録が残ってるのに、そういうのがなにひとつ江戸しぐさを証明してない。お話を有難く拝聴するだけの人以外が介入してきたらたちまち根本から崩れ去るんじゃないか。多分越川禮子氏、江戸しぐさの弱点を実際良く知ってたんだと思う。んで自分が本書くときに調べたアメリカやベトナムの虐殺事件を日本に置き換えて明治新政府による大虐殺で江戸講が途絶えたって設定作りこんじゃったわけだ。少々強引でも、うるさがたへの説明は一応できたと。

 

ところが、江戸しぐさ、思いの外すんなり受け入れられてしまった。ACがとくに検証もせず素敵なアニメーションを付けてCMにしたし、新聞も雑誌もみんな「ほうほう、なるほどねえ~現代人もこういう事をすればいいんだねえ」で納得してしまう。江戸しぐさが実在してたのか、もしあったならなぜ廃れたかに興味を示すメディアはなかった。教科書、教材にも採用されてしまう。こうなるといかにもとってつけた設定の「江戸っ子大虐殺」が逆に足を引っ張ってしまう。ただ忘れられてしまったという消極的な話から、はっきりした大事件にしてしまったのだから当然だ。実際江戸しぐさ批判でも、具体的に「江戸時代に行われる行為としてはおかしい」と個々のしぐさを検証するより、「江戸っ子大虐殺」を批判する方が簡単だし、実際最も嘲笑されるのはそこだ。

 

4月2日のTBSラジオ、「荻上チキ-Session-22」で原田実氏をゲストに江戸しぐさを検証していたのだが、番組からNPO法人江戸しぐさにあてて質問を出し、それへの回答を読み上げていた。興味深いのは件の「江戸っ子大虐殺」についてで。

越川禮子氏は江戸しぐさの断絶の原因としてご著書で「江戸っ子狩り」を挙げておられますが、史実や記録には残ってないとも書かれておりました。この江戸っ子狩りが事実であるという根拠を教えて下さい。

という質問に対し、

江戸っ子狩りについても、事実と述べている部分はございませんで、口承として伝えられた事として記述されております。

 と、著書で「事実として述べているわけではない。そう言い伝えられているのだ」と答えているのだ。つまり「いやそう聞いただけで江戸っ子大虐殺があったと断言してるわけじゃないですよ」と言ってるのである。江戸っ子狩りは、越川禮子氏にとって「事実」と強弁する価値がない。切り捨ててもかまわない部分である。というか、できれば消してしまいたいのだと思う。なにしろその部分はACにも出版社にも政府にも、特に必要とされていなかったのに最大の弱点になってしまったのだ。

 

過去につい書いちゃった事が、いまになってちくちく刺さる。まさに黒歴史なんじゃないかな。