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自宅に続く道には立ち入り禁止の看板が立つ。旧満州に続き、岩間さんは再びわが家で生活できなくなった... 自宅に続く道には立ち入り禁止の看板が立つ。旧満州に続き、岩間さんは再びわが家で生活できなくなった=19日、福島県葛尾村 <分村して進出> 旧満州(現中国東北部)はある意味、確かに「王道楽土」だったのかもしれない。 「あんないい所はないな。肥えた黒土が背丈くらいの層になっていた。肥料をさほどまかなくても、何でも大きく育った。コメも最高の出来だった。ずいぶん内地に送った。戦争に負けなければ、今ごろ大尽になっていた」 福島県三春町の仮設住宅。福島第1原発事故で同県葛尾村から避難している岩間政金さん(87)から聞いた旧満州の日々は、夢のような暮らしだった。 出身は長野県旧上久堅村(現飯田市)。1937年3月、吉林省吉林市郊外の白山子に父母と姉妹の5人で入植した。 長野県は基幹産業の養蚕、製糸が29年からの世界恐慌で大打撃を受け、旧満州へ全国最多の3万7000人を送り出した。大陸進出と食糧