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バイレ・ファンキを知ったのは2005年のM.I.A.のファースト『Arular』が出た頃だったと思うが、既にその... バイレ・ファンキを知ったのは2005年のM.I.A.のファースト『Arular』が出た頃だったと思うが、既にその名前は十分に認知されていて、日本では2000〜2001年頃からスマーフ男組と露骨キットを中心に広まっていた。その後2006年11月にDJマルボロが初来日したのは「ようやく」という感じだったので、2007年に日本での初コンピ『スパンク・スキャット&ポリティクス』が出たのはシーンが温まってからの印象がある。 アルゼンチン音響派は2002年にフアナ・モリーナが日本盤を出したことで一部の音楽ファンには認知されており(フアナ・モリーナは平井堅と共演までしている)、2003年には360°recordsがフェルナンド・カブサッキとの合同コンピを出している。2006年初頭にコンピ『トロピカリズモ・アルヘンティーノ』が発売されたことで再注目されたが、ここ一、二年のブームということではない。 ダブ・
2007/10/10 リンク