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谷崎の朗読は数年前、『新潮』の付録CDで『瘋癲(ふうてん)老人日記』の主役を務めているのを聴いた... 谷崎の朗読は数年前、『新潮』の付録CDで『瘋癲(ふうてん)老人日記』の主役を務めているのを聴いたことがある。その時も驚いたのだが、文章に句読点の少ない谷崎が、ぷつりぷつりと意味を伝えるのに的確な位置で、しかしまるで子供の音読のような読み方をする。ほとんどの人にはそのまま最後まで「棒読み」に聴こえるだろうと思う。 がしかし私には、ひいきし過ぎているだろうか、すぐにその「棒読み」がたいした技であるように感じられたのだった。彼が歌舞伎や浄瑠璃といった芸能によく耳を傾けていたことが私にはよく伝わってきたのだ。 古典芸能のセリフ回しは、新劇以降のリアリズム演劇のように感情をこめない。情の芸である浄瑠璃でさえ、ベタベタと人間描写に浸ってはならないことになっている。例えば老母をあらわす太夫の声は、老父よりも低く発せられる。表現は再現ではなく、あくまでも“そう聴かせたらええんや(当代竹本住太夫談)”という
2016/06/20 リンク