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前回、桜玉吉の「なげやり」を取り上げて、「やおい/非やおい」が書き手の性別によって、あるいは男性同... 前回、桜玉吉の「なげやり」を取り上げて、「やおい/非やおい」が書き手の性別によって、あるいは男性同性愛をモチーフにするか否かで分けられるものでないこと。 また「やおい」とは三人称的妄想であり、愛の対象との断絶性がそこにあることなど、無駄に力説したけれども、 今回は他の作家からのアプローチを試みてみる。 ってエラソーなこともいいつつもただのやおい語りですから、お気楽に。 今回も個人的な話から。 まだ「やおい」という言葉を知らなかった頃、 三島由紀夫の「仮面の告白」とか読んだものの、私はまったくなんとも思わなかったのね。 なんかホモの人、必死だなぁ、くらいだったわけよ。同級生のもっさーと生えた腋毛見て勃っちゃいましたか。同級生を夜のおかずにしてましたか。でも今はホモ隠しで偽装結婚ですか。大変ですな。みたいな。感想としてはものすごぉく他人事だったのね。 この印象は後に「やおい」を知るようになって