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昭和30(1955)年11月15日、東京・駿河台にあった中央大講堂は、卒倒者も出る混乱ぶりだった... 昭和30(1955)年11月15日、東京・駿河台にあった中央大講堂は、卒倒者も出る混乱ぶりだった。舞台の中央には日の丸、その上には「新党結成大会」との大書。日本民主党と自由党の2つの保守政党が合流し、自主憲法の制定を党の使命に掲げた「自由民主党」が誕生した。この年10月には左派、右派の両社会党が統合して日本社会党を結党しており、それから40年近く続く「55年体制」の幕が開けたのだ。 翌日の朝刊は大会の様子をこう伝えている。「三木老は、声量、論旨、態度とも他を圧して堂々たる漢語調の名演説。(中略)これに反して鳩山首相は、内容、音声ともにお粗末で通り一ぺんの挨拶(あいさつ)に終つた」(産経時事=当時の東京本社発行の産経新聞の名称)「熱のない鳩山、緒方演説 三木氏ひとり熱弁ふるう」(朝日新聞) 鳩山とは大会前日まで日本民主党総裁だった首相の鳩山一郎、緒方は同じく自由党総裁だった緒方竹虎。記事が唯
2013/05/11 リンク