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東日本大震災の発生時、ちょうど避難訓練の準備をしていた保育所があった。岩手県野田村の野田村保育所... 東日本大震災の発生時、ちょうど避難訓練の準備をしていた保育所があった。岩手県野田村の野田村保育所。建物は津波で無くなったが、約90人の園児と14人の職員は全員無事だった。保育所は月1回のペースで避難訓練を行い、常に津波を意識していた。なぜ、そこまでの備えができていたのか。(梶原紀尚)背中に乳児くくり「早ぐ!」 三陸鉄道のねじ切られたレールが津波の威力を示していた。保育所の建物があったはずの場所には、片側の門扉だけしかなかった。人口約4700人の野田村では震災で28人が死亡。450戸以上が全半壊するなどの被害が出た。 震災当日、午後3時から毎月恒例の避難訓練を予定していた。訓練は火災、地震、津波の3つの想定で行われており、津波訓練の場合、15分以内に約500メートル離れた「高台の家」に避難する段取りだ。 主任保育士の廣内(ひろない)裕子さん(53)はこの日、園児たちの昼寝をいつもより早く切り
2011/04/28 リンク