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□成功体験に酔い戦略描けず 日米半導体協定は日の丸半導体の競争力を徐々にそいでいった。日本メーカー... □成功体験に酔い戦略描けず 日米半導体協定は日の丸半導体の競争力を徐々にそいでいった。日本メーカーは危機感を抱きながらも世界を席巻したDRAMに安住、次の成長戦略を描けなかった。10年に及んだ日米半導体協定は平成8(1996)年に終結したが、そのとき日本メーカーはすでに世界の時流から取り残されていた。 ■第2の“終戦” 日本製半導体のダンピング輸出を防止するため、米国側が日本メーカーに求めたのはコスト構造の開示だった。米商務省はそのデータに基づき、メーカーごとの最低価格をはじき出し、各メーカーの輸出価格を決めていった。 「価格決定権が自分の側になく、自由度が完全に奪われた」。日立製作所で半導体事業を担っていた牧本次生(76)はこう振り返る。コスト構造の開示によって日本メーカーの実力は競争相手に丸裸にされた。 日本市場の開放についても、通産省(現経済産業省)は「政府にとって最重要事項」である
2013/08/24 リンク