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飯豊山穴堰は、飯豊山の雪解け水により、水量の多い荒川の上流玉川(小国町)の水を白川へ疏水し、水量... 飯豊山穴堰は、飯豊山の雪解け水により、水量の多い荒川の上流玉川(小国町)の水を白川へ疏水し、水量が少なく、常時水不足に悩まされている小松・高豆蒄・黒川・高山村と、奥田村(いずれも現川西町)とその下流地帯までに水を引くために、奥田村の肝煎横山平左衛門がこの構想を思いついた。時は寛政(1789〜1801年)の初期であった。 黒井半四郎らによる現地調査が寛政10年(1798年)に行なわれ、翌年から工事が始まった。標高1,538㍍の高山での作業は、7月末から10月半ばの約2ヶ月しか期間がなく、初年は約3.5mほど掘進した。 完成は文政元年(1818年)で、20年を要したが期間中大倹約令などで5年間工事を中断したので、正味15年の工事期間であった。隧道の長さは実測で147.70m、総費用は4,029貫425文で、現在価格で約5,400万円を要したことになる。 穴堰の開削によって白川にもちこまれた水が
2013/10/01 リンク