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1988年から倉庫に眠っていた1台 「ミウラ」の成功によって、スーパースポーツカー メーカーとしての認知... 1988年から倉庫に眠っていた1台 「ミウラ」の成功によって、スーパースポーツカー メーカーとしての認知度を世界的なものとしたランボルギーニ。ミウラはファーストモデルの「P400」から「P400S」、「P400SV」へと進化を遂げ、1970年代を迎えることになるが、このころになるとランボルギーニの社内では、後継車に関する議論が積極的に交わされるようになる。 ミウラのプロジェクトでチーフ・エンジニアの職を担ったジャン・パオロ・ダラーラはすでにランボルギーニを離れ、次期モデルの開発を事実上一任されたのはパオロ・スタンツァーニであった。デザインはミウラと同様に、マルチェロ・ガンディーニを擁するベルトーネへと委ねられることになった。 縦置きでミッドシップは現在も継承 スタンツァーニにとって、次期モデルを設計するにあたりもっとも大きな課題となったのは、V型12気筒エンジンをミウラのように横置きではな