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「諦」という漢字に引きずられて「あきらめる」などという翻訳=説明の仕方をするから、訳語の否定的な... 「諦」という漢字に引きずられて「あきらめる」などという翻訳=説明の仕方をするから、訳語の否定的なニュアンスに引きずられて、そこで語られている思想がまるで意味がないものであるかのように受け取られるということが、仏教解説の常となっている。 「諦」とは、「絶対観」と訳すべき言葉であって、善悪二元論を達観したメタレベルの認知行為のことである。相対的な認識とも言えるか。 こんなことはもう何十年何百年単位で引きずられた日本語の誤訳の問題であって、もっといえば教典を日本語訳しなかったことのツケの問題であって、いい加減一般常識的なレベルで翻訳=解説の差異の初歩的な作法として周知されるべきだと思うのだが、仏教=教団そのものが、江戸以前と江戸と明治以降でまったく性格を異にしているという背景もまた理解されていないことも相まって、日本仏教は思想的に相も変わらず混乱の極みにある。というか思想的価値はほとんどない状態
2009/07/23 リンク