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1689年3月27日(新暦5月16日)、松尾芭蕉は門人の曾良をともなって、江戸から東北・北陸へ600里(約2400... 1689年3月27日(新暦5月16日)、松尾芭蕉は門人の曾良をともなって、江戸から東北・北陸へ600里(約2400km)、150日間の「おくのほそ道」の旅に出ました。奥州藤原氏が平泉で滅亡してから500年後のことです。 江戸・深川を出発してから44日目、5月13日(新暦6月29日)に奥州平泉を訪れた芭蕉は、藤原三代の栄華の儚さと義経の最期を偲び、あの有名な句を詠みました。 「夏草や 兵どもが 夢の跡」 (なつくさや つわものどもが ゆめのあと) 高館(たかだち)にのぼってあたりを見渡すと、藤原氏の栄華の痕跡はあとかたもなく、ただ夏草が茂る風景が広がるばかり。栄華の儚さを詠んだ句です。 続いて芭蕉は中尊寺を訪れ、美しい金色堂を参詣し、以下の句を残しました。 「五月雨の 降り残してや 光堂」 (さみだれの ふりのこしてや ひかりどう) 光堂とは金色堂のことです。あらゆるものを朽ち果てさせる五月