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1 最近、竹内好論を書く必要があって再読している。読めば読むほど、安吾とロジックが似ていると改めて... 1 最近、竹内好論を書く必要があって再読している。読めば読むほど、安吾とロジックが似ていると改めて思うところがある。それについては以前、学位論文(『安吾戦争後史論 モダニズム以降の表現の可能性』2007年)でも書いたことがあるのだけれど、文学史上、具体的に二人の交渉や接点がなかったというのもにわかに信じがたいほど似ているのだ。 竹内と安吾は1930年代にキャリアを開始している。世代的には、いわば遅れてきたモダニストといっていい。30年代といえば、モダニズムとマルクス主義の熱狂が少しずつ冷めてきた時代。それらに熱狂した人たちがもう一度自分の置かれた立場を再考しはじめる時代である。その渦中で、反動的な先祖帰りがあったり(旧世代の復活と私小説の再評価など)、半ば強制的に宗旨替えを余儀なくされた作家も出てくることになる(転向など)。竹内と安吾のスタートはこのような時代を背景にしていたのだった。 坂