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思えば、物語や意味になかなか結実しない言葉の列、即物的な文章を肯定的に評価する傾向が見られだした... 思えば、物語や意味になかなか結実しない言葉の列、即物的な文章を肯定的に評価する傾向が見られだしたのは、90年代の後半、J文学がにぎわったころである。たとえば、ベケット(というかジジェク)経由で中原昌也を擁護する絓秀実のジャンク文学(『「帝国」の文学』『JUNKの逆襲』)。あるいは、自然主義を擁護する大杉重男の、文学の無名性(『アンチ漱石』)。 ただし、このとき彼らは、ジャンクそれ自体、無名性それ自体に愛着を感じ、評価したのではなかった。二人とも、国民作家・夏目漱石を批判する文脈においてジャンクなり無名性を提示したのであり(80年代以降の物語批判の極北)、その意味でジャンクも無名も、言葉の即物性とはおよそ無縁な、物語(「父殺し」とか)の磁場にロマンチックなまでに従順な側面をもっていた*1。 しかも彼らは、漱石の実作に直接向かい合うというよりも、漱石を擁護することで国民作家-国民文学という物語