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日記、というものからぼくはいかにも縁の遠い人生だった。3年前に癌を患って、あんたいちおー死ぬかもし... 日記、というものからぼくはいかにも縁の遠い人生だった。3年前に癌を患って、あんたいちおー死ぬかもしれんよ、わたしが助けるからんなこたならないけどね、と恩人である先生に言われたときは、自分が結婚もしておらず子供もなく、この世に自分が生きてきたなにかしらのかたちや想いが遺らないことの恐怖、というやつに心底怯えてヤバげなサイコスパイラルに捕われたりもしたのだが、多くは覚悟でなく愚鈍と慣れによってなんとやら、とイノセンスで押井大人も申しておりますように、死の恐怖すら人はあっというまに日常に回収してしまうものなのでございます。5年生存率、という厄介な言葉もありますように、いまだって転移の可能性がないわけじゃございません。というのに、それにすら慣れてしまう。人間の鈍感さ(というか俺の鈍感さだけど)というのは、人間を発狂から救う重要なセーフティなのだと思う訳ですよ。 そういうわけで、明日をも知れぬ身(文
2015/11/26 リンク