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「努力しても誰も認めてもらえない。」 「俺の努力を認めてくれないあいつらはクソ。」 こんな呟きをよ... 「努力しても誰も認めてもらえない。」 「俺の努力を認めてくれないあいつらはクソ。」 こんな呟きをよく見かけます。 どうして、わざわざ憎たらしいアンチクショウに自分の努力の成否を判定してもらおうとするんでしょう?影でコソコソ頑張っていた自分自身も、あれこれの事情も、ロクに知らない赤の他人を審判にして、自分の努力が無駄骨だったかどうかを判定していただいて、いいことなんてあるんでしょうか? 「努力の成否を他人に決めてもらう、という姿勢自体がすでに誤りのはじまり」ということを、意外と多くの人が知らなすぎます。きちんと努力を掬えるのもゴミ箱に放り出せるのも、自分自身だけなのに。 「赤の他人に、俺の努力が判定できるわけがない」 世間の他人って、わりと表面的な出来事だけを見て「無駄な努力」だの「実った努力」だの好き放題言いますよね。 でも、そういう他人の判断基準って、たいていは「うまくいっている=努力が
2010/07/11 リンク