エントリーの編集

エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
ぼくは伏線フェチで、漫画とか映画で伏線が回収されるとものすごく気持ちが良い。 なので、自分で描いて... ぼくは伏線フェチで、漫画とか映画で伏線が回収されるとものすごく気持ちが良い。 なので、自分で描いている長編の「左ききのエレン」でも伏線は盛りに盛り込んでます。ほとんど全話で伏線を張るor回収しています。張るシーンを描くときは、合わせて回収されるシーンを考えてます。それがすごく気持ちが良い。 でも、最近後輩と「スラムダンクの山王戦は至高」って話してたんですが、もう説明不要の聖戦ですけど「左手はそえるだけ」とか「流川とのハイタッチ」とか、とにかく物語の全てが回収される凄まじい快感があるじゃないですか。 あれって伏線回収なのかな?と思って。 なんか、もう伏線とかそういう論理的な積み上げとは別次元なんじゃないかと。あれは、流川が実在して、桜木が実在して、本当にあんな青春を過ごして、あの結末に行き着いたとしか思えないっていうか。 小学校か中学校の国語の授業で「すべての物語は感情の変化を描いている」と